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世界史の超おすすめ概説本を7シリーズ+5冊紹介してみる

書棚を見ていると世界史の書籍がかなりの冊数になったので、せっかくなので世界史を学んでみたいという方のためにおすすめの概説書を紹介してみることにしました。

なお、これから紹介する本は社会人が趣味として学ぶためのものを想定しています。たぶん高校生が読んでも受験勉強には役立ちませんので、そこはあらかじめご了承ください。

1.中公文庫(旧版) 世界の歴史シリーズ

 

世界の歴史 (3) 中世ヨーロッパ (中公文庫)

世界の歴史 (3) 中世ヨーロッパ (中公文庫)

 

 

 シリーズの構成は以下のとおりです。

 

古代文明の発見 貝塚茂樹
ギリシアとローマ 村川堅太郎
3 中世ヨーロッパ 堀米庸三
4 唐とインド 塚本善隆
5 西域とイスラム 岩村忍
6 宋と元 宮崎市定
7 近代への序曲 松田智雄
8 絶対君主と人民 大野真弓
9 最期の東洋的社会 田村実造
10 フランス革命とナポレオン 桑原武夫
11 新大陸と太平洋 中屋健一
12 ブルジョワの世紀 井上幸治
13 帝国主義の時代 中山治一
14 第一次大戦後の世界 江口朴郎
15 ファシズムと第二次大戦 村瀬興雄
16 現代―人類の岐路 松本重治

 

村上春樹も愛読していたというシリーズですが、今はもう古本でしか手に入りません。

古代中国の貝塚茂樹、中世ヨーロッパの堀米庸三、宋と元の宮崎市定など著者の顔ぶれは錚々たるものですが、これらの著者の著作はもはや「古典」であって、内容としては古びている部分も少なくありません。

 

このシリーズの特色は、なんといってもリーダビリティーの高さにあります。

どの巻も読みやすさにはかなりの注意が払われていて、興味深いエピソードなどがたくさん盛り込まれており、歴史にあまり馴染みのない読者でもすんなりと入り込めるように工夫されています。13巻の『帝国主義の時代』は個人的にあまり興味の持てないところでしたが、それでも学生時代はかなりのめり込んで読んだことを覚えています。

  

世界の歴史 (6) 宋と元 (中公文庫)

世界の歴史 (6) 宋と元 (中公文庫)

 

 

なにしろ古いシリーズなので内容が政治史に偏っていて、あまり文化史・社会史的な内容が読めないきらいはありますが、そうしたものはまず政治史を抑えた上で肉付けするものだと思うので、そういう意味ではまずこれから読むのもいいかもしれません。ただし東南アジアについて独立した巻がなく、イスラムやインド、アフリカなどについての記述が薄いため、その部分は他のシリーズで補う必要もあるかと思います。

個人的な一番のおすすめは6巻の『宋と元』です。宋代において中国では西洋に先んじて「東洋のルネサンス」が起こったというのが東洋史学の泰斗・宮崎市定の主張ですが、これが読めるのが本書の醍醐味です。

 

2.中公文庫(新板)世界の歴史シリーズ

 

世界の歴史〈11〉ビザンツとスラヴ (中公文庫)

世界の歴史〈11〉ビザンツとスラヴ (中公文庫)

 

 

こちらは多くの図書館に収蔵されているので、知っている方も多いでしょう。

旧版に足りなかった部分を意識したのか、イスラム関連やインド史などもずいぶん充実し、ラテンアメリカやアフリカ史にも独立した巻があります。

シリーズ構成は以下の通り。

 

(1)人類の起原と古代オリエント [文庫]
(2)中華文明の誕生 [文庫]
(3)古代インドの文明と社会 [文庫]
(4)オリエント世界の発展 [文庫]
(5)ギリシアとローマ [文庫]
(6)隋唐帝国と古代朝鮮 [文庫]
(7)宋と中央ユーラシア [文庫]
(8)イスラーム世界の興隆 [文庫]
(9)大モンゴルの時代 [文庫]
(10)西ヨーロッパ世界の形成 [文庫]
(11)ビザンツとスラヴ [文庫]
(12)明清と李朝の時代 [文庫]
(13)東南アジアの伝統と発展 [文庫]
(14)ムガル帝国から英領インドへ [文庫]
(15)成熟のイスラーム社会 [文庫]
(16)ルネサンスと地中海 [文庫]
(17)ヨーロッパ近世の開花 [文庫]
(18)ラテンアメリカ文明の興亡 [文庫]
(19)中華帝国の危機 [文庫]
(20)近代イスラームの挑戦 [文庫]
(21)アメリカとフランスの革命 [文庫]
(22)近代ヨーロッパの情熱と苦悩 [文庫]
(23)アメリカ合衆国の膨張 [文庫]
(24)アフリカの民族と社会 [文庫]
(25)アジアと欧米世界 [文庫]
(26)世界大戦と現代文化の開幕 [文庫]
(27)自立へ向かうアジア [文庫]
(28)第2次世界大戦から米ソ対立へ [文庫]
(29)冷戦と経済繁栄 [文庫]
(30)新世紀の世界と日本 [文庫]

 

ボリュームは旧版に比べて倍近くに増えていますし、イスラム史や東南アジア史・アフリカ史が少ないという旧版の弱点も克服されています。が、読みやすさに配慮されていた中公旧版に比べ、良くも悪くも巻ごとに著者の個性が強く出る内容になっており、巻によっては必ずしも世界史の入門書としてはおすすめしにくいものもあります。

 たとえば10巻の『西ヨーロッパ世界の形成 』などは政治史の部分がかなり少なく、社会史や生活史が大部分を占めています。中世ヨーロッパの暮らしについて知りたい方にはいいでしょうが、中世ヨーロッパの政治史はこれでは理解できません。明らかに基本的な政治史を知っている読者向けです。中世ヨーロッパ史については中公旧版のほうがいいと思います

 

なにしろ巻数が多すぎて全部読めていないのですべてには言及できませんが、個人的おすすめの巻は3巻のインド史、8巻のイスラム史、11巻のビザンツ史、16巻のルネサンス史です。このあたりは手堅く読みやすい政治史の概説として利用できます。

また、特におすすめしたいのが25巻の『アジアと欧米世界』です。これは経済史の巻ですが、この巻は世界システム論を使って「なぜ世界は今のような姿なのか」を明快に記述しています。著者のひとりが『砂糖の世界史』の川北稔氏ですが、川北氏の担当している部分が本書の白眉です。

  

世界の歴史〈25〉アジアと欧米世界 (中公文庫)

世界の歴史〈25〉アジアと欧米世界 (中公文庫)

 

 

  世界システム論では生産・流通・金融の全てにおいて他の中心国家を圧倒している国家を「ヘゲモニー国家」と読んでいますが、このヘゲモニー国家はオランダからイギリス、そしてアメリカへと移行したと言われています。本書で説明されるのはオランダの興隆とイギリスの台頭までですが、イギリスが「商業革命」「生活革命」「財政革命」という3つの「革命」を経て強国にのし上がる過程がわかりやすく解説されています。

生活革命の内容としてはコーヒーハウスの誕生や綿織物の普及などがあげられますが、とりわけ重要なのが砂糖入り紅茶を飲む習慣の定着です。イギリスがカリブ海で生産していた砂糖は「世界商品」としてヨーロッパに輸出され莫大な利益をもたらし、イギリスの経済的覇権を支えました。ナポレオンは一時大帝国を建設しましたが、それは本質的に陸上帝国であって、自由貿易で植民地を結び効率の良い海洋支配を行っているイギリスには敵し得なかったことも説明されています。この巻を読めば、歴史の見方が今までとかなり変わると思います。

  

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

 

 

三角貿易とイギリス史の関係については川北氏の『砂糖の世界史』でより詳しく学べます。これは名著です。

 

3.興亡の世界史シリーズ 

  

興亡の世界史 大英帝国という経験 (講談社学術文庫)

興亡の世界史 大英帝国という経験 (講談社学術文庫)

 

 

興亡の世界史シリーズについては一度こちらのエントリで紹介しました。

saavedra.hatenablog.com

このシリーズは『唐とシルクロード』のように比較的専門性の高いものもあり、必ずしも概説書として使えるものばかりではありませんが、『アレクサンドロスの征服と神話』はヘレニズム史、『オスマン帝国500年の平和』はオスマン帝国史、『ロシア・ロマノフ王朝の大地』はロシア史の通史として普通に使えます。未読ですが、『地中海世界ローマ帝国』もローマ史の著作の多い本村凌二氏の本なので手堅いだろうと思います。『通商国家カルタゴ』はカルタゴの通史なので、ローマ史とセットで学べばさらに面白さが増すと思います。

モンゴル帝国と長いその後』は通史と言うよりは価値観の話が多いのであまり概説書としては向きませんし、モンゴル史を知るための最初の一冊としても適していません。『大英帝国という経験』はイギリス社会を様々な面から活写している好著ですが、これもまずは英国史を別の本で押さえてから読んだほうがいいものと思います。

 

4.マクニール『世界史』

  

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

 

 

何年か前にこの本がずいぶん売れているというニュースを目にしましたが、この本には類書にはない大きな特徴があります。それは、「なぜ歴史がそのように動いたのか」ということを、可能な限り記述しているという点です。退屈な史実の羅列とは全く異なり、多くの史実の背後にどのような因果関係があるかを解説してくれるので、読んでいて飽きることがありません。私は今でもこれをよく読み返しています。

ただし、この本はアレクサンドロスチンギス・カンのような英雄の活躍を読むための本ではありません。本書では歴史を技術の進歩や地理的環境から説明している部分が多く、歴史上の人物については最低限の解説しかされないので、この本を読んでも受験勉強にはおそらく役立ちません。英雄の伝記より『銃・病原菌・鉄』や『文明崩壊』などが好きな方な向けです。

 

5.図説世界の歴史

  

図説 世界の歴史〈7〉革命の時代

図説 世界の歴史〈7〉革命の時代

 

 

これは個人的に一番おすすめのシリーズです。

文章が読みやすく、図盤が多いので視覚的にも理解しやすい。

全10巻と内容も多くはなく、なにより一人の著者が全巻を執筆しているので内容がぶれることがなく、読みやすさにもかなり配慮されていると思います。

ただし、著者がイギリス人であるためか、若干西洋中心主義的な雰囲気もなくはありません。たとえば4巻の『ビザンツ帝国イスラーム文明』には、「モンゴル軍の目的は侵略と破壊というきわめて単純なものでした」という記述があります。おそらく日本のモンゴル史家ならこうは書かないでしょう。もっとも、モンゴルの征服によりユーラシアのほぼ全域に「パクス・モンゴリカ」が行き渡り、巨大な交易圏が成立したことにもきちんと触れられています。

難を言えば年号があまり書かれていないことくらいで、多くはない分量の中でイスラム史やインド史なども十分スペースを割かれていると思います。中国史については少々物足りなさは感じますが、中国史はそれだけで一ジャンルになってしまうのでこの分量では書ききれないのは仕方がないのでしょう。なお、8~10巻は近現代史の内容ですが、この3巻は立花隆氏が「日本の成人すべてに読んでほしい現代史3冊」と高く評価しています。

 

6.講談社『中国の歴史』シリーズ

  

中国の歴史04 三国志の世界(後漢 三国時代)

中国の歴史04 三国志の世界(後漢 三国時代)

 

 

国史はスケールは大きいものの、本格的に世界史に連結されるのはモンゴル史のあたりからでしょうか。いずれにせよ、このシリーズは手堅い中国史の入門書として利用できます。この手の概説書ではたいてい三国時代魏晋南北朝時代と一緒にされていますが、このシリーズでは珍しく三国志の巻が独立しています。4巻の『三国志の世界』の内容については以前こちらで紹介しました。が、これは史実の三国志を知るための入門書として最適です。saavedra.hatenablog.com

ただしこのシリーズも巻によって著者が違うため巻によってはそれなりに癖もあり、特に『疾駆する草原の征服者』などはモンゴル史家の杉山正明氏が書いているためか、遼の記述が巻の半分程度を占めています。もっとも、遼に関する本は少ないのでこれはこれで貴重でもあり、特に遼と五代の国家との関係などは私にはかなり楽しめました。杉山氏の著書や契丹族が好きな方になら間違いなくおすすめですが、そのぶん中華びいきの方には厳しいかもしれません。 

  

疾駆する草原の征服者―遼 西夏 金 元 中国の歴史 (08)

疾駆する草原の征服者―遼 西夏 金 元 中国の歴史 (08)

 

明・清時代と同時代のモンゴル・チベット史については『紫禁城の栄光』も参考になります。

saavedra.hatenablog.com

 7.世界全史 

 

世界全史

世界全史

 

 

 どれもこれも長すぎる、1冊でわかりやすく理解できる本はないのかという方にはこれがおすすめです。経済史に力が入っており、人物を書くよりも歴史上の出来事を因果関係でつないでいく描写の仕方はマクニールの世界史とも近いですが、こちらは日本人の著者のものなのでより読みやすい。イギリスの三角貿易が資本主義を生んだという描写も上記の『アジアと欧米世界』の内容とも重なり、コンパクトな分量で世界史の要点を的確に抑えています。

 

8.もういちど読む山川世界現代史

  

もういちど読む山川世界現代史

もういちど読む山川世界現代史

 

 

 『アジアと欧米世界』は大英帝国成立までの歴史を世界システム論で語っていましたが、こちらは帝国主義以降の時代を世界システム論で解説しています。帝国主義というのも結局は「中心」諸国が自国国優位な経済システムを構築するために「周辺」諸国に低開発状態を押し付け、都合よく作り変えていくプロセスだったことがわかります。

 

9.世界史の誕生

  

世界史の誕生─モンゴルの発展と伝統 (ちくま文庫)

世界史の誕生─モンゴルの発展と伝統 (ちくま文庫)

 

 

 これを概説書の範囲に入れていいのか迷いますが、これほど壮大な歴史観を文庫本一冊読めるのはお得なので紹介してしまいます。内容としては「遊牧民から見た世界史」とでも言うべきもので、モンゴル帝国が誕生したことにより東西の文明が連結されて初めて本当の「世界史」が誕生した、と説明されます。明の諸制度もモンゴルの真似であり、ロシアもピョートル大帝が登場するまではモンゴルの後継国家に過ぎなかった、という見方はややモンゴル贔屓がすぎるようにも見えますが、世界史における遊牧民の役割という観点も大事なので、価値のある一冊と思います。

 

10.山川出版社の世界歴史大系

  

ロシア史〈1〉9~17世紀 (世界歴史大系)

ロシア史〈1〉9~17世紀 (世界歴史大系)

 

 

 このあたりになるとそろそろ概説書とも言えなくなるような気もしますが、国内で手に入るもっとも詳しい各国史はこれなので、国別の歴史を知りたい方にはおすすめです。高いぶんだけ内容も充実していて、コラムの内容も勉強になります。政治史が中心で文化史や社会史の記述は少ないですが、そのかわり政治史についてはかなり厚みのある内容になっています。上記のロシア史の巻はキエフ公国時代のロシア史について書かれている貴重な本で、類書が他にあまりないので紹介しました。

saavedra.hatenablog.com

 

11.中公文庫の物語歴史シリーズ

  

物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)

物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)

 

 

 世界歴史大系シリーズは内容は充実していますが、値段が高いですしイギリスやフランスなど大国の歴史がメインなので、もっとコンパクトな各国史が読みたい方にはこちらがおすすめです。このシリーズはマイナーな国や地域も多く取り上げているので、気になるところを読むだけでも面白いと思います。特にウクライナやカタロニアなど、あまりなじみのない地域のものの方が初めて知ることが多く読み応えがあります。定期的に刊行が続いているシリーズでもあり、今後もナイジェリアやオーストリアなどをテーマにしたものが出ます。

なお、『物語ドイツの歴史』は『ハーメルンの笛吹き男』など多くの名著をものしている阿部謹也氏が書いていますが、新書で読めるドイツの通史としては岩波の『ドイツ史10講』のほうが良い内容ですのでこちらも紹介しておきます。

  

ドイツ史10講 (岩波新書)

ドイツ史10講 (岩波新書)

 

 

 10講シリーズはほかにイギリス史とフランス史がありますが、イギリス史10講は内容は良いものの、初心者がいきなりイギリス史の入門書として読むには少しハードルが高いように感じられました。イギリス史は海外の植民地との関係が深く、ブリテン島の歴史として完結しないので、『砂糖の世界史』などと併読するのがいいかと思います。中公新書の『物語イギリスの歴史』は上下巻に分かれていますが、これもかなり良い内容です。

 

新書で世界史の著作といえば出口治明氏が書いている『人類5000年史』もありますが、こちらはまだ3巻までしか刊行されていないので全体としてのレビューはまだできません。3巻までの書評はこちらに載せています。

saavedra.hatenablog.com

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12.教養のグローバル・ヒストリー

 

教養のグローバル・ヒストリー:大人のための世界史入門
 

 

商業ネットワークから世界をを理解できる貴重な一冊です。『砂糖の世界史』の全時代版とでもいうべき内容で、これを読めば世界史の断片的な知識が交易ルートを通じてつながっていきます。バグダードを中心としたイスラーム・ネットワークが中国までつながっていたこと、モンゴル帝国のつくりあげたユーラシア・ネットワークがペストをヨーロッパに伝えたこと、明が朝貢体制を維持しつつ交易相手国をつくる育てるため琉球王国を育てたことなど、興味深いトピックが次々と出てくるので飽きません。商業がどう世界史を動かしたか、を知りたい方には最適な一冊となっています。

くわしい書評はこちら。

saavedra.hatenablog.com

 

新書のシリーズとしては最近刊行がはじまった岩波新書のシリーズアメリカ合衆国史の内容も今後に期待できそうです。

saavedra.hatenablog.com

 

岩波新書からは中国史の概説書の刊行も始まっていますが、こちらは従来の時代別の概説書とは違い地域に注目して叙述している意欲的なシリーズで、今のところは2冊ともよい内容になっています。

saavedra.hatenablog.com

 

 

おまけ:図説も大事です 

 

山川世界史総合図録

山川世界史総合図録

 

 

 世界史は日本史とちがって扱う世界が広いので、同時代に別の地域でなにが起こっていたか、というある種の空間把握能力みたいなものが必要になってきます。これは文章を読んでいるだけでは身につきません。そこで便利なのがこの図説です。時代ごとの各地域の国家や文明の勢力図がのっていて、年表も地域ごとに比較できるので便利です。この内容で781円(税別)はお得。

 

もうひとつおまけ:便利な人名辞典

 

世界史のための人名辞典

世界史のための人名辞典

 

 

世の中に人名辞典は数多くありますが、それらの多くは分厚くて手軽に利用できるようなものではなかったりします。その点この辞典はページ数も493ページと手頃で、一人あたりの解説も長くなりすぎない程度です。世界史上の人物の簡潔な人物伝集として読めるもので、名前しか知らないような人の人物像を肉付けする上でも役立ちます。

 

読者を新たなクトゥルフ沼に誘う一冊──『邪神任侠 家出JCを一晩泊めたら俺の正気度がガリガリ削れた』

世の中にはたくさんの「沼」がある。

鉄道やミリタリー、歴史、哲学、廃墟やSFなどなど、一度はまり込んだら抜け出せないジャンルは枚挙にいとまがない。

そして、中でもとりわけ深い沼のひとつにクトゥルフ神話がある。

 

それだけに、クトゥルフを題材とした創作も数多い。

有名どころは、やはり『這い寄れ!ニャル子さん』だろうか。

核となる邪神の設定を共有していれば、クトゥルフ神話は各自が独自にそれぞれの神話を作り出すことができる。

それだけに、クトゥルフ創作の世界はバラエティ豊かだ。

今回紹介するのは、北海道を舞台に邪神と任侠という、一見奇妙なコンビの活躍する『邪神任侠 家出JCを一晩泊めたら俺の正気度がガリガリ削れた』だ。

 

邪神任侠 家出JCを一晩泊めたら俺の正気度がガリガリ削れた (Novel 0)

邪神任侠 家出JCを一晩泊めたら俺の正気度がガリガリ削れた (Novel 0)

 

 この小説は、カクヨムで行われた第1回ノベルゼロコンテストで特別賞を受賞している。

異世界転生が禁止されたことが話題になったコンテストだが、なるほどノベルゼロ側はこういうものを望んでいたのか、と思うほど独特の味わいのある作品に仕上がっている。

 

作者の海野しぃるさんによると、クトゥルフ神話はなぜか北海道出身の作家が好んで書くらしい。

そういう海野さんも北海道出身で、本作も北海道を舞台としている。

北海道といえば、我々本州の人間は見渡す限りの雪原だとか、アイヌやキタキツネを連想するが、本作を読んでいると意外と北海道とクトゥルフは相性が良いことがわかる。

北海道は本州人からするとどこか異国情緒が漂っているように感じられるが、この北の大地になら邪神だっているだろう、と思えてくるのだ。

 

そんな試される大地、北海道で展開される本作なのだが、サブタイトル通り冒頭から読者のSAN値(正気度)をどんどん削ってくれる。ヒロインのクチナシは帯に描かれている通りチャーミングな容姿と健気な性格の持ち主なのだが、主人公の禮次郎をいきなり○○てしまうのだ。私はクトゥルフ物は初体験だが、クトゥルフとはこういうものなのだろうか。いや、一口にクトゥルフ神話と言ってもかなりバラエティ豊かなもののようなので、これはその数多ある神話体系のひとつのあり方だということなのだろう。

 

 クトゥルフをよく知らない身からしても、本作に登場する邪神は実に蠱惑的で、おぞましく、それでいて魅力的な存在だ。特に物語の鍵となるシュブ=ニグラス。あんな女に出会ってしまったら、自分なら抵抗できないかもしれない。こんな存在にトラウマを与えられてしまうのだから、禮次郎の人生は本当に災難だ。いや、それがきっかけでクチナシのような魅力的なヒロインに出会えるのなら、それも悪くないのだろうか。こんな事を考えてしまうあたり、すでに自分もクトゥルフ沼に引きずり込まれつつあるらしい。

 

というわけで、本作はクトゥルフを特に知らなくても風変わりなファンタジーとして楽しめるが、知っていればより楽しめるのも確かだ。まずクトゥルフについて知っておきたい、という方のために、作者の海野さんがカクヨム初めてでもよくわかるクトゥルフ講座を連載している。私はこれを読んでシュブ=ニグラスが何なのかを学んだ。これを読めば、本作の内容を一層楽しめるようになるだろう。

kakuyomu.jp

クトゥルフ創作の裾野は実に広い。本作は主人公の禮次郎とクチナシのバディものとしても楽しめるし、物語を彩る不気味な邪神たちはホラー好きの読者の飢えも存分に満たしてくれる。そして、本作はクトゥルフを知らない読者をもクトゥルフ沼に誘う、格好の入門書ともなっている。一度ページを手繰れば、読者の前に豊穣な神話の世界が開けているだろう。クトゥルフ神話の新たな地平を切り開く一冊が、ここに誕生した。

呉座勇一『陰謀の日本中世史』が学会の大物から在野の研究者まで撫で斬りにしている件

 

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

 

 

これは凄い。

880円の新書でありながら保元・平治の乱から関ヶ原の戦いに至るまでの中世史の概要を学べる。

しかも通説や俗説をきちんとした学問的証拠をあげて次々と論破し、読者に陰謀論とは異なる、最新の歴史的知見を与えてくれる。

そして最終章ではなぜ歴史の世界にも陰謀論がはびこるのか、明快に説明してくれる。

これほどコストパフォーマンスの高い一冊はなかなかありません。

 

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 『応仁の乱─戦国時代を生んだ大乱』が思いがけずベストセラーとなった著者の呉座勇一氏が、今回は日本中世史をテーマに、鋭い学問の刃で俗説や通説に切り込みます。

冒頭の保元・平治の乱などはややマイナーですが、頼朝と義経の確執の真因や足利尊氏と後醍醐の関係、前著でも扱った応仁の乱、そして本能寺の変と多くの話題を取り扱っているので、およそ歴史に興味のある方ならなにか引っかかるテーマがあると思います。

 

これを読めば日本中世史のイメージが大きく変わる

本書を読んでいて驚いたのは、最新の歴史学の知見と、多くの人がもっている歴史的事件のイメージとはまるで異なっていることが多い、ということです。

例えば、源義経という人物は一般的には政治的感覚に乏しく、頼朝の許可も得ずに勝手に後白河法皇から官位をもらったために兄弟の間に不和を生じた、ということになっていますが、実は義経が官位をもらうことを頼朝は認めていたらしいのです。

こうした義経の昇進に対して、頼朝が叱責をくわえた形跡は見られず、むしろ頼朝側近の大江広元の協力が確認される。菱沼一憲氏は、義経検非違使任官は頼朝の同意を得た、あるいは頼朝の意志を含んだものと主張している。

ではなぜ義経検非違使任官が頼朝との決裂の原因になったと考えられていたかと言うと、歴史を結果から逆算して考えるからだと呉座氏は主張します。私達は、後に頼朝が義経と対立した歴史を知っているので、それ以前の義経の行動が頼朝と不和を招く原因のように見えてしまうのです。

後白河にしても、別に頼朝との対立を煽りたくて義経に官位を与えたわけではありません。義経検非違使に任官した時点ではまだ西国に平氏が存在していたので、このタイミングで源氏を分裂させても意味がないのです。後白河=陰謀家というイメージは、大河ドラマなどで刷り込まれたイメージに過ぎないようです。

 

時代は下って、後醍醐天皇の行動についても興味深い記述があります。

 後醍醐という人は正中の変・元弘の変と二度も倒幕を計画して失敗したということになっていますが、実はこのうち正中の変については後醍醐は黒幕ではなく被害者だった、という説が紹介されています。つまり、この時点では後醍醐は倒幕など考えておらず、誰かが後醍醐を皇位から引きずり下ろすために倒幕を計画していると噂を流した、というのです。

それが誰なのか?はここでは書きませんが、事実かどうかも疑わしいのになぜ後醍醐は二度も倒幕を企んだことになっているのか。これもやはり、結果から逆算して歴史を見ているからです。後醍醐という人物には独裁的で非妥協的というイメージがあるので、それを過去に投影すると一度倒幕に失敗しても諦めずに再び倒幕に立ち上がる後醍醐、という人物像が立ち上がってきます。ですが、義経についても見たとおり、結果論で歴史を語ることは往々にして史実を歪めてしまうことにもなるのです。

 

そして、後醍醐と足利尊氏の関係についても新知見が示されます。北条高時の遺児時行が中先代の乱を起こし鎌倉を一時奪還したとき、尊氏は出陣の許可を後醍醐に求め、さらに征夷大将軍の地位を要求しています。これは一般的に尊氏の武家政権樹立への第一歩と見られているものですが、実はそうではなく、北条時行に対抗するためには征夷大将軍の権威が必要だったということに過ぎない、というのです。鎌倉を奪回した尊氏は勝手に恩賞を与え始めますが、これもあくまで関東の秩序を安定させるために必要な措置であって、後醍醐に反抗する気など尊氏にはなかったと解説されています。

 

尊氏はこの後、後醍醐によって謀反人とされてしまい、後醍醐は新田義貞に尊氏の討伐を命じています。しかし、弟の直義が出馬を促しているにもかかわらず、尊氏は後醍醐に恭順を示すと言って出家してしまいます。尊氏に最初から後醍醐に対抗する野心があったなら、これは非常に奇妙な行動に映ります。この矛盾を説明するため、中世史家の佐藤進一氏は「尊氏は遺伝性の躁鬱病だったのではないか」と推測しています。

 

日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)

日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)

 

 

佐藤進一氏は中公文庫の日本の歴史シリーズ『南北朝の動乱』の著者です。この巻はシリーズの中でも名著と言われており、この「尊氏躁鬱病説」も広く知られていますが、もし尊氏にもともと後醍醐に対抗する野心がなかったとするなら、彼の行動はなんの不思議もないことになります。呉座氏は本書の中で亀田俊和氏の説を引きつつ、「尊氏は現状に満足して、天下取りの野望など持っていなかった」としています。そして佐藤氏の推測に対しては、精神疾患者への差別につながりかねない危険な発想」と厳しく批判しています。

尊氏にはもともと野心があったというのも、結局、後に彼が幕府を樹立したという結果から逆算した推測です。いかに我々が後世の立場から歴史を見ることに慣らされすぎているのか、ということが、本書を読むとよくわかります。そしてこれが陰謀論がはびこる原因の一つとなっているのです。

 

いちばん力の入っている本能寺の変に関する陰謀論批判

このようにいくつもの新鮮な歴史像を提示してくれる本書なのですが、やはり一番力の入っているのは六章の「本能寺の変に黒幕はいたか」です。おそらく多くの読者の一番の関心もここにあるでしょう。本能寺の変については在野の研究者が多くの自説を発表していますが、それらの中には光秀以外の黒幕の存在を想定したものがいくつもあります。本書ではこれらの黒幕説についてそれぞれ批判を加えていくのですが、面白いのは黒幕説が誕生した経緯です。

光秀が本能寺の変を起こした動機として、要は天下取りの野心があったからだ、という説は古くから存在しています。これに対し、黒幕説というのは光秀は単独で主君を殺すような大それた真似ができる人物ではない、だから黒幕がいるはずなのだ、という前提があります。しかしそう考えるのは本書の帯にも書いてありますが「光秀をバカにしすぎ」というのが著者の主張です。呉座氏は9.11テロについてもこう述べています。

人間は大きな結果をもたらした大事件の原因を考察する場合、結果に見合うだけの大きな陰謀主体を想定しがちである。9.11テロに関しても、アメリカの自作自演という陰謀論があった。アルカイダ程度のテロ組織が超大国アメリカに痛打を浴びせられるはずがないという違和感が陰謀論の発端になっているのだろう。

このような見解を披露したうえで、著者は様々な黒幕説に切り込んでいきます。朝廷黒幕説や足利義昭黒幕説、イエズス会黒幕説などが取り上げられていますが、イエズス会黒幕説については「荒唐無稽すぎる」と一蹴されています。秀吉黒幕説も以前から存在していますが、これについても「事件によって最大の利益を得たものが犯人である」という推理から導かれたものに過ぎないと書かれています。

 

この章で特に力が入っているのは、明智憲三郎氏の「家康黒幕説」(ご本人はこの呼び方を嫌っていると書かれていますが)への批判です。明智氏明智光秀の子孫としてメディアにも出演しており、『本能寺の変 431年目の真実』など著書も話題になっているからでしょうが、明智氏への批判は約15ページにわたって展開されており、数ある黒幕説の中でも特に念入りに検討されています。

明智氏の説というのは、本来光秀を使って家康を討とうとしていた信長が、逆に家康と共謀した光秀に殺されてしまった、というものです。勢力を拡大しつつある家康に脅威を感じた信長がこれを始末しようとしたというのが明智氏の主張ですが、呉座氏はまずここに突っ込みます。武田氏が滅びてしまっても、信長が北条氏と対峙するうえでまだ家康の力は必要なのだし、謀反を口実にして家康を誅殺したとしても他の家臣も信長の粛清を恐れて織田政権が瓦解してしまう、と呉座氏は主張します。これはもっともな主張だと思います。

 

また、光秀がどうやって家康を味方につけるのか、という問題もあります。呉座氏は大して親しくもない光秀に信長が貴方を殺そうとしていると言っても家康がそれを信じるのか、と疑問を呈しています。家康が光秀の話に乗らず、逆に信長に光秀が協力を呼びかけてきたことを暴露すれば光秀は一巻の終わりです。これは本書では何度も指摘されていることですが、陰謀というのは成功させるためには協力者を限定しなくてはならないのです。黒幕説を主張する人たちはこの点を軽視している、というのが本書の主張です。誰かと共謀する時点で陰謀が発覚するリスクが高くなるのだから、よほど強固な信頼関係を築いている相手とでなければ共謀などできません。そして、光秀と家康はそこまで強い絆で結ばれているわけではないのです。

 本書にも書かれているとおり、本能寺の変を成功させるには、信長と息子の信忠を同時に討つ必要があります。長男の信忠が生きていれば、信忠を中心に家臣が結束してしまうからです。信忠は本来は家康の接待役として堺に行くつもりでしたが、予定を変更して信長を迎えるため京に留まることにしています。京に信長父子が同時に存在するという千載一遇の好機が、幸運にも訪れたのです。この状況は黒幕などの存在で作り出せるものではない、と呉座氏は主張します。光秀はこの機会を逃さず、すばやく単独で行動を起こしたというあたりが事の真相のようです。

陰謀論を批判しても歴史学者の業績にはならない

このように、歴史の世界にも数多くの陰謀論が存在しています。ですが、こうしたものを批判しても、それは歴史学の世界では業績にならないと呉座氏は書いています。本能寺の変坂本龍馬暗殺について、「ああいうもので盛り上がれるのは素人」という空気が日本史学会にはあるのだそうです。

しかし、専門家が陰謀論を取るに足らないと無視している限り、そうしたものが世の中に広まってしまいます。陰謀論とは異なりますが、東日流外三郡誌という偽書が一時話題になったことがあります。この本についてアカデミズムはほぼ黙殺していましたが、専門家からの批判が出ないためにこれを「まぼろしの東北王朝」について記した本物の歴史書だと信じていた人も少なからず存在していました。私も中学生の頃、この「東北王朝」が実在していたという本を読んだことがあって、一時期はその存在を信じかけていました。このような事態を放置しておくわけにはいかない、という動機から、本書は書かれています。

だが、すべての日本史研究者が「時間の無駄」と考えて無関心を決め込めば、陰謀論やトンデモ説は致命傷を負うことなく生き続ける。場合によってはマスコミや有名人に取り上げられ、社会的影響力を持つかもしれない。誰かが猫の首に鈴をつけなければいけないのだ。それが、本書を著した理由である。

 というわけで、これは極めてまじめな本なのです。本書を読めば、陰謀論を語ったりドラマ的な脚色を加えたりしなくても、歴史というのは生の姿のままで十分に面白いものだということがよくわかります。だからこそ、『応仁の乱』も売れたのでしょう。本書も売れるでしょうが、この本で多くの読者が本当の中世史の面白さに触れることができれば、もう陰謀論には出番がなくなるかもしれません。おそらくはそれも著者の狙いでしょう。

陰謀論フェイクニュースにだまされないためにはどうすればいいか

本書は最終章のタイトルが「陰謀論はなぜ人気があるのか」になっており、ここでなぜ人が陰謀論を信じてしまうのか、について書かれています。理由として大きいのが、「因果関係の単純明快すぎる説明」です。現実の物事の因果関係は複雑であるのに、陰謀の主体をユダヤフリーメーソンなどにすることにより、理解した気になれてしまうというわけです。

 

こう書くと陰謀論は知性の足りない人が引っかかるもののように思えてしまいますが、必ずしもそうではありません。呉座氏は本書で「インテリ、高学歴者ほど騙されやすい」と説いています。戦前日本のユダヤ陰謀論の代表格の四天王延孝は、陸軍中将にまで昇進したエリート軍人でした。教養あるインテリはオカルト本などにはふだん接していないため、その手のものに初めて接するとその内容を過大評価してしまうのだそうです。知的好奇心が強く、皆が知らない真実を知りたいという欲求を持っていることも、インテリが陰謀論に接近してしまう原因になるでしょう。

 

本書を読んでいて強く思ったのは、結局、人間とは放っておくと見たいものばかり見てしまう生き物なのだということです。後醍醐は不屈の闘士である、明智光秀は単独で謀反を起こせるような人物ではない──といった先入観があると、それに合致した史料ばかりを読むようになり、自分に都合よく過去を歪めてしまいます。こうしたバイアスから抜け出すためには、まず人が陥りやすい陰謀論のパターンを知っておくことが大事です。本書では「結果から逆算して歴史を見る」ことの誤りが何度も指摘されていますが、これなども人が犯しがちな過ちのひとつです。本書で扱っているのは歴史に関する陰謀論ですが、陰謀論者の思考形態はジャンルが変わっても同じです。相手の手管を知っておけば、トンデモやフェイクニュースに引っかかる可能性は減らせるはずです。本書で学べる内容は、様々な怪しい情報に耐性をつけるうえでも役立つものと思います。

カクヨムの新連載小説「ムルムクス」が怖すぎて続きが気になりすぎる件

読みだしたら止まらない小説というものがある。

いつも歴史とファンタジー小説しか読まない自分が、まさかホラーにここまではまるとは思わなかった。

これは一度読んだが最後、続きが気になり、次回の更新を渇望してしまうようになるだろう。文字通り巻を措く能わず、という感覚を味わえる、これはそんな作品だ。

kakuyomu.jp

世の中、「怖い話」というのはいくらでもある。

殺人鬼が暴れまわったり、大災害が起きるパニック映画ももちろん「怖い話」だ。

しかし、フィクションとして求められる「怖い話」とはどういうものだろうか。

単にこちらに脅威を与える、という存在が出てくるだけでは物足りない。

やはり「得体が知れない」ということが、上質なホラーには欲しい要素なのではないかと思う。

 

普通に生きていても体験できないことを体験できる、それがフィクションならではの強みだ。

そして、そのフィクションの強みを存分に活かしたホラーがこれから紹介するカクヨムで連載中の作品「ムルムクス」だ。

どんな雰囲気の作品なのかは、多くの言葉を費やすよりもこの動画のほうがよく雰囲気を伝えてくれてる。

 

この世界では、ある女生徒の突然の心停止に始まり、次々に登場人物が理不尽に死んでいく。

その死に方には法則性があるようにも感じられるし、登場人物もそう考えてなんとか対処しようとするのだが、その努力をあざ笑うかのようにあっさりと死ぬ人物も出てくる。

その死が超自然的要因によるものなのか、殺人なのか、あるいは他の原因があるのか、それすらもわからないという恐怖が、じわりじわりと日常を侵食していき、盤石だった世界にひびが入っていく。

 

ある人物の死に様などは本当にひどいもので、これ以上酷い死に様というのは数多のミステリやホラーの中にもなかなか出てこないのではないかと思う。

その酷さ自体も衝撃的なのだが、果たして何者がどういう動機でこんな真似をするのか、という不気味さ、得体の知れなさが、一連の事件への恐怖をより増大させ、読者の心をつかんで離さないのだ。

 

一番ひどい死に方をした人物の特徴からして、この世界には「例外」が存在しないらしいことも明らかだ。主役級に見えたからといって生き残れるとは限らない。

どんなキャラでも理不尽に死ぬかもしれないし、その死がどんな理由で起こっているのかも、見当もつかない。

 

この状況の中で、年端もいかない少年少女がいつまで正気を保ち得るのか?

現時点ではまだわからないが、この先とてつもないカタストロフが待ち受けているかもしれない。

そんなことを考えてしまうほど、このムルムクスの世界は不気味な不条理さに満ちている。

考えすぎかもしれないが、この作品での一連の「死」とは、我々が住む世界そのものの一つの象徴であるかもしれない。

人生とは理不尽だし、善人が何も報われないまま酷い目にあったり、逆に悪人が富み栄えることもある。

そうかと思えば、善人が善人であるがゆえに幸福をつかむこともよくある話だ。

何事も確実にこうと決まらない、これという法則性が何もない、そんな不条理の中に我々は投げ出されている。法則性があるようなないようなこの作品の連続死もまた、そうしたこの世の不条理さの一つの現われであるように思えるのだ。

少なくともそう思わせるだけの不思議な深みが、この作品には感じられる。

 

saavedra.hatenablog.com

ムルムクスの作者はこちらで紹介した『6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる』の大澤めぐみ。

こちらを読んだ方なら、がらりと作風を変えてきた著者の変貌ぶりに驚くだろし、『おにぎりスタッバー』からの読者なら、まだこの作者はこんな手札を隠し持っていたのか、と新鮮に思うかもしれない。

もちろん、作者のことを何も知らない読者でも十分に楽しめる。ホラーに適性がない人を除けば、およそどんな人でも惹き込まれる吸引力を持った作品になっていると思う。

ウェブでは異世界系の作品が目立つが、こういうものも無料で公開されているのだということをぜひ多くの方に知ってほしい。

 

…… というわけで、ここからは私からの提案、なのですが。

もしこの作品を読んで、面白いと感じたなら、できればカクヨムのアカウントを取得してこの作品に☆を入れたり、それぞれの話に応援の♡を入れるなどのアクションをしてみてはいかがでしょうか?

そんなのめんどくさい、という気持ちはよくわかります。

ですが、これは好きな作品や作者をダイレクトに応援することのできる、またとないチャンスでもあるのです。

カクヨムのアカウントを取得しないまま、小説を読んでもPVが増えるだけですが、☆が増えればそれだけ作品の評価に直結します。

読んで面白いと思っても、読むだけだとその気持ちが作品の評価に何ら反映されませんし、それはとてももったいないことだと思います。

それに、カクヨムに登録してこの作品をフォローすれば更新された時に自分のアカウントやメールアドレスに通知が来ますし、続きを追うのが容易になるというメリットもあります。

 

なにより、読者に評価してもらえるというのは作者にとり、最高のモチベーションになるのです。

私もカクヨムで書いている立場だからわかるのですが、書けばすぐに反応がもらえるというのがウェブ小説の強みです。

応援されればされるほど書く気力が湧いてきますし、それだけ良い作品を書くこともできるというものです。

読者の一票によって良い作品が増える可能性が高まる、という好循環が生まれれば、それだけ良いものが世の中に出回りやすくなります。

これを読んだ方が、一人でもそのような循環の中に加わっていただけるなら幸いと思います。

西郷どん1話「薩摩のやっせんぼ」感想:とにかく渡辺謙の島津斉彬がすべて

子役時代の喧嘩とか挫折とかそこらへんは大河ドラマの定番なのでおいておくとして、やはり今回は島津斉彬、これに尽きる。「蘭癖」とも言われるほど西洋の学問に熱中した斉彬の登場シーンは大砲を爆発させるところだった。佐久間象山も江戸で大砲の演習を行い砲身を爆発させているが、そのあたりもイメージしているのかもしれない。

ザ・名君。開明的で人望篤く薩摩の近代化の基礎を作った偉人。欠点を探すほうが難しいような人だ。今この人を演じられるのは渡辺謙くらいしかいないかもしれない。強いて欠点を挙げれば砂糖の専売で奄美諸島を苦しめたことがあげられるかもしれないが、この制度は斉彬の時代に始まったわけではない。西郷は奄美大島に流されたときに島民の苦しみをはじめて知ることになるが、それはまだ先の話だ。

 

 

初回からこの斉彬を登場させるなら、西郷を教え導く役どころということになる。郷中同士の喧嘩で右腕が上がらなくなり、剣が持てなくなった西郷にもう侍が剣を振り回すような時代は終わるのだと諭す斉彬。まるで未来を見てきたかのような物言いだが、このくらいは許容範囲内だろうか。

 

こうした現代的な発言をどれくらいドラマの中に入れるかは時代劇では意見のわかれるところだ。西郷が女装をして女子の気持ちを理解しようとするところなども、当時の薩摩武士ならまずやらないことだろう。将来西郷の妻になる糸との接点を作るためのシーンなのだが、西郷の優しさを表現するためのエピソードでもあるということだろう。

 

今のところ、島津久光はただのお人好しのようにしか描かれていない。そのことを母のお由羅にもたしなめられているが、この久光が今後どう成長していくかが見ものだ。斉彬があまりにも完璧で魅力に富んでいるために、その斉彬の薫陶を受ける西郷と対峙する久光はどうしてもその背後に兄の巨大な影を見ることになる。後に西郷が久光により島流しとなってしまう伏線が、この時点ですでに撒かれている。

 

久光を演じる青木崇高は、龍馬伝では龍馬の活躍に嫉妬し、容堂の前で「龍馬が妬ましかった」と涙ながらに告白する後藤象二郎を熱演している。コンプレックスを持つ人物を演じるには最適の人だ。久光は天才肌の兄と何かにつけて比較されてきただろうし、ドラマ中でもすでにお由羅に地ゴロと言われないようにせよ、と注意されてしまっている。これはのちに久光が西郷に言われることになる台詞だが、今後久光がどのように成長していくか、お由羅事件はどう描かれるのか、といったところにも注目していきたい。

バーチャルユーチューバー輝夜ルナ(かぐやるな)の動画に魂を鷲掴みにされた

キズナアイからミライアカリ、狐娘おじさんなど多彩な人材を輩出しているバーチャルユーチューバー界なのですが……

最近TLでよく名前を聞くので、輝夜月(かぐやるな)の動画を観てみたらすっかりハマってしまいました。

 流れの早いネット界ではもう今更なんでしょうか。

 この異常なほどのハイテンションと「首絞めハム太郎の異名を取るボイスに心を鷲掴みにされる人が続出しているようで、まだ3つしか動画がアップされていないのにツイッターにはファンアートがたくさん投稿されています。

 

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字幕はちゃんと舌足らずな滑舌に合わせて書かれているところもポイント。

猛スピードで展開される軽妙なトークが視聴者を飽きさせず、時折挟み込まれる男言葉も良いアクセントになっています。

いろいろと雑なところを全部勢いで流していくノリが最高。

 

2本めの動画。冒頭からけたたましい挨拶とノリツッコミ。

受け入れられる人には癖になりそう。

全然喋れてない早口言葉もこのノリだと許せてしまう。

朝からテンション上げたい人は起きたらこれ観るといいかもしれないですね。

このノリで出社されても困る気もしますが。

 

 

うるせぇ!ルナちゃんは今朝なんだよ!これではストロングゼロの擬人化とか言われるわけだ。

キズナアイなど他のバーチャルユーチューバーを意識しまくっていることが明らかになる3本目の動画。別に気にしなくても十分差別化できてるからね?

結局、輝夜月の挨拶は何になるのか……?結論は普通でもプロセスが全然普通じゃない。

 

クリスマスはぼっちを全力で煽る。

 若干の優しさも感じられないこともない……?

ゲーム実況もはじめた輝夜ルナ。

なおゲームはかなり苦手な模様。

 

動画が4つもミリオン達成してしまっているのでキズナアイも意識しまくっている模様。

キズナアイとのコラボもそのうち実現する……?

 

公式ツイッターも動画と同じテンションで大変面白いです。

バーチャルユーチューバー界の先輩とも仲良し。

 

このノリに洲崎綾さんもすっかり虜になった模様。

しかしこの設定画だけ見ているとああいうキャラだとはまったく想像できない。

 

このテンションがいつまで保てるのか少々心配ではありますが、今一番成長が楽しみなユーチューバーなのでチャンネル登録者数が100万人に達するまでどれくらいかかるか見守りたいと思います。

『おんな城主直虎』が最終回まで描ききった「戦をしない戦」

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このドラマがここまでの傑作になると誰が予想しただろうか。

本の森下佳子は最終回が一番よく書けたと言っていたが、本当に素晴らしい大団円だった。

真田丸にもつながる赤備えの登場や龍の形の雲が湧き出るお頭の最期、碁石を使った「完」の粋な演出など、このドラマを見守ってきた視聴者には大満足の最終回に仕上がっていたのではないかと思う。

 

特に良かったのは、この最終回では「交渉人」としての万千代の活躍が描かれていたことだった。

このドラマでは今までずっと、「戦をしない戦」を描いてきた。

戦をするところは直虎の父直盛が桶狭間で戦死するところなど必要最小限にしか描写されることはなく、力を入れてきたのは徳政令をめぐる今川家との駆け引き、瀬戸方久の「銭の戦」、井伊を守るためあえて汚名を着る「目付」としての小野政次の孤軍奮闘の様子だった。

 

大河ドラマで女性を主人公にすると、戦には出られないという制限がかかってくる。だがこのドラマはそれを逆に利用し、戦国時代の普段光を当てられない、しかし本当は何より重要である内政と民百姓の有りようをドラマの前半の主軸に据え、地味ながらも弱小の国衆の苦闘を描き出すことに成功している。

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しかしこれだけなら新しい試みとはいえても、井伊谷という地域の小さな物語で事は終わっていた。この作品の凄いところは、ドラマ前半で直虎が国衆として辛酸を嘗め尽くしたことが全て後半への伏線になっていたことだ。

一族の男たちを次々に失い、もう戦で命が失われることを心底嫌っていた直虎の思いを、政次もよく理解していた。戦のない世を作りたい、という今まで何度も大河ドラマで聞いたこの台詞は、直虎が言うからこそこの上ない重みを持つ。そして、この二人の思いを背負って世に出たのが万千代だった。直虎と同じく、戦ばかりの世の中が嫌だと嘆く家康を天下人に押し上げることで、直虎の見果てぬ夢が現実となる。万千代が井伊家を再興し、家康に仕えたことで井伊谷の小さな流れがようやく天下へと至る大河へと合流した。井伊谷のローカルな物語は、大河ドラマとして完成するよう設計されていた。この構成の妙には驚くほかない。

 

後に井伊の赤鬼と恐れられ武将としても活躍する直政ではあるが、これまでずっと刀槍を交えない戦をしてきた直虎の後継者である万千代が最終回で為すべきことは、やはり交渉人としての仕事でなくてはならない。万千代はもともと才能も優れていただろうが、今川や武田や徳川など大勢力の狭間で苦労してきたことで万千代の外交感覚は磨き抜かれていただろう。国衆が何を求めているのかは、若くとも万千代こそが一番よく知っている。だからこそ、旧武田領の国衆へ説得に出向くのは万千代でなくてはならなかった。

 

思えばこのドラマは、長篠の戦い以前にも六左衛門が木を切り出すシーンを描いたりと、裏方の働きを描くことが多かった。これもまた、合戦を支える地味ながらも重要な仕事であり、「戦をしない戦」だ。派手な合戦シーンに頼らない作劇には、視聴者への信頼が感じられる。それでいてこの作品では次々と死ぬ井伊の男たちの姿や政次の最期や信康事件など、戦国の世の悲哀を今までのどのドラマより容赦なく描き出している。力のある脚本とはこういうものか、ということを思い知らされた一年だった。

 

 

『おんな城主直虎』は、ちょうど真田昌幸が独立して活動を始める時代に物語を終えている。一年間をかけて、『真田丸』に至る物語を見事に語ってみせたのだ。『真田丸』が信繁の華々しい戦場での活躍を描いて終わったのに対し、『おんな城主直虎』は、最後まで戦を正面から描くことはなかった。それは、これが直虎と、その願いを受け継いで平和な世を作ろうとしている直政と家康の物語だからだ。赤備えを率いて出陣するところを少しだけ描いたのはファンサービスみたいなものだろう。

 

家康がこのような背景を持っていることを考えると、真田丸で信繁と家康が対峙したシーンもまた違った色合いを帯びてくる。どちら側にもそれぞれの正義があり、互いが互いを相対化することが歴史を知ることの面白さだ。『真田丸』において三谷幸喜が突きつけた挑戦状に、森下佳子は脚本家としての全ての力量を持って応えた。これこそが、現代における最高の「刀を用いない戦い」だったのかもしれない。