明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

ミクロな名人芸

「人間ってね、車に跳ね飛ばされるともうね、ただの肉の塊になっちゃうんだよね」

学生時代に初めて自動車免許の試験に合格し、タクシーを呼んで駅まで向かう途中、運転手は淡々とした口調で話し始めた。50くらいの人の良さそうな運転手は目撃した交通事故の様子をバスガイドのように流暢に、さっきまで生きていた人間がいかに簡単に物言わぬ骸になってしまうのかを聞かせてくれた。説教臭さを微塵も感じさせない運転手の話は過度に恐怖を煽ることもなく、ただお前がこれから操る鉄の塊は人を一瞬にして人を葬ることのできる凶器となり得るのだという事実だけを突きつけてきた。


わずかな情報から、ふいに物事の全体像が見えてくることがある。免許センターから吐き出される若造を運び続けるうちに、これから路上にデビューする若造に事故の目撃談を聞かせることが彼の仕事になっていたのだろう。彼は運転に気をつけろとも、スピードを出すなとも一切言わなかった。説教臭い物言いは若者に嫌われると経験から悟ったのかもしれない。事故の悲惨な光景を淡々と語る今のスタイルに落ち着くまで、何度も話し方を変えたのだろうか。ある種の戦争経験者の語り部のように、染み入るように心に入り込む彼の語り口はある意味「芸」の域にまで達していたように思う。


権力者を攻撃する声であれ、マイノリティを排撃する声であれ、大声で怒鳴りつける者は聞く者の心を捉えられない。罵倒の背後にある不安や臆病さを聴く者が敏感に感じ取ってしまうからだ。静かな言葉は抵抗なく人の心に入り込む。そして深く根を下ろす。今でもハンドルを握るたびに、あの運転手の声が聞こえる気がする。彼の話はどんな記録媒体にも残らないし、陽の目を見ることもない。しかし事故を減らすのに幾分かは貢献しているだろう。世の中にはおそらく、そんなミクロな名人芸が無数に存在しているはずだ。