明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなど

「消費するだけの豚」と「行動しない冷笑系」

最近、なろうで小説を書いている。今まで物語を消費するだけで自分で何も作り出していないことにどこか後ろめたさがあったし、書いたものに反応がもらえるとやはり嬉しいので、楽しみながら続けている。

 

オタク界隈で「消費するだけの豚」という言い方がある。この言い方は以前から嫌いだった。消費するだけで何が悪いのか。小説を買い、CDを聞き、ゲームで遊ぶ人間がいるからこそクリエイターは仕事を続けられているのではないか。創作者と消費者は役割分担が違うだけで、どちらが立場が上だということはない。創作を始める前はそういう反発があった。

 

しかし、自分で創作らしきものを始めてみると、ある種の行動至上主義のようなものが自分の中に芽生えてくる。作品に文句を言っているだけの人間より俺のほうが偉いのだ、という視点が生まれてくる。人はポジショントークの生き物だ。大したものを生み出しているわけでもないのに、ただ作り手側にいるだけで自分が偉いのだと錯覚を起こしそうになってくる。

 

反差別界隈で、デモを批判する人たちを奴らは行動しない傍観者だ、行動を起こしている我々に冷笑主義者が何を言う資格があるのか、という言葉を聞くことがある。以前はこういう物言いを聞くたびに鼻白んでいたものだが、今はこう言いたくなる気持ちがよくわかる。創作に手を染めていることで、俺は安楽椅子に座って文句ばかり言っている連中とは違う、という特別意識が目覚めてくるのだ。しかし、行動を起こしていることそれ自体が正しさを担保してくれるわけではない。苦労して小説を書こうが、内容がつまらなければ批判にさらされる。そこで「戦う君のことを戦わない奴等が笑うだろう」と口ずさんで見たところで、それはただの合理化だ。

 

ステージにのぼる人間は、のぼる勇気があるというだけで、それ自体が賞賛されるべき行為というわけではない。批判されるリスクに身を晒しているからこそ、良いパフォーマンスを見せることができれば賞賛される。ステージに上がった俺は観客より偉い、上がる勇気のない奴は口を閉じていろ、と言うのなら、あらゆる批評は成立しない。己の耳に心地良い言葉だけを聞きたいなら、ステージを降りるべきなのだろう。