明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

小説を書き始めるために必要な、たった1つのこと

まずお断りしておくと、ここから書くのはあくまで「趣味としての小説」の話であって出版することを前提としたお話ではない。そう前置きした上で、とにかく小説を書いてみたいけれど今ひとつ踏ん切りがつかない、公開する勇気が出ないという人のために、一通りなろうでの連載を完結させてみた立場から書いてみたい。


結論から言うと、大事なことは「他人の創作物に寛容になる」ということに尽きる。人の作品に普段から厳しくダメ出しをしていると、人はその厳しい視線を自分自身にも向けてしまう。作品を発表することのハードルが高くなってしまう。どうせ最初からうまく書けるはずもないのだから、1作目はとにかく完成させることだけを目標にしておけばいい。認められようとか褒められようとか思わない。まず書き始めることが大事なので、できるだけ目標は低くしておきたい。


普段から人の作品を厳しくレビューしていると、いざ自分が小説を書いてみた時に「普段あれだけ偉そうなことを言っていて自分で書いたらその程度か」という視線にもさらされる。やはり普段自分がやっていることは自分に返ってくる。将来褒めてもらうためにまず先に褒めておけなどという話ではないが(そんな褒められ方では意味がない)、あまり他人の作品に厳しすぎると結局自分が創作するとき手足を縛ることになる。


先日、電車で帰宅する途中に向かいの席に座っていた30代と思しき男性がゲームに興じていて、「いい年してそんなことして遊んでていいのか、もっと有意義なことに時間を使うべきではないのか」なんてことを思ってしまった。この種の説教は、自分でやりたいと思いつつ自分には禁じていることだったりする。なら説教するより自分の中の禁止令を解いてあげるほうが生産的だ。他人が面白くない小説を公開していたら、「こんなものを他人に読ませるなよ」と考えるより、「この程度でいいのなら俺も公開していいよな」と考える方が公開するハードルが下がる。


そういえば、今まであまり小説を読んで(無料のネット小説は除く)、つまらないと思ったことがない。実力のある作家や好きな作家の本ばかり選んでいるから当たり前かもしれないが、基本的に人の書いたものに肯定的だからあまり文章を公開することに恐れがなかったのかもしれない。


自分を愛せなければ人も愛せない。言われすぎて陳腐な言葉になっているが、これはやはり真実だ。書いたものを人目にさらすには、最低限自分と自分の書いたものに対する愛が必要だ。ではどうすれば自分を愛せるのか。まず人の書いたものに寛容になればいい。つまらない表現に触れたら、この程度のものでも世の中に存在することを許されているのだな、と考えることで自分自身のつまらなさも許せるようになる。文章も拙くて、キャラクター造形も魅力がなくて、盛り上がらないストーリーでも公開する自分を許せるか。越えるべきハードルはそこだけだ。技術は書き続けなければ付いてこないし、まずは拙くても公開する、それだけが大事なのだと思う。