明晰夢工房

主に自分語りです。

他人に言いたいことは、自分自身に言いたいこと

小説を書くような人間は例外なく本が好きなわけで、良い本を探す指標として書評サイトなどを巡回することになる。こうしたサイトを参考にすることで、今はほとんど本を買って外れを引くことがなくなった。コメントの雰囲気から自分に合っているかどうかも大体わかるし、自分の勘を頼りに書店の店頭で良い本を探すしかなかった時代に比べると、本当に便利になった。

しかし、ある時から、どうにも抑えきれない疑問がいつも心の片隅に居座るようになった。それは、「なぜ、この人達は本を読むだけで満足してしまえるのだろう」というものである。

読書メーターのレビュアーから有名な書評ブロガーに至るまで、的確に内容を分析することができ、かつ読者の心をつかむ面白い書評を書ける人は少なくない。でも、いくらたくさんの本を読んで感想をアップしたところで所詮は消費者に過ぎないじゃないか、という想いがいつもあった。そんなに人の小説をたくさん読んでいて弱点を的確に指摘できるのなら、あなたが書けば?と思っていたのである。小説は日本語が書ければ書くことはできるのだから。

その頃は、小説に文句を言っている人は、自分で書かずに消費者の立場に甘んじている怠惰な人達だと思っていた。人に注文をつけるのは一人前なのに、なぜ自分では何も書こうとしないのか。自分の作品は晒さず、安全地帯から石を投げているだけの自分を恥ずかしいとは思わないのか。そんなことをいつも考えていた。

しかし、そういう気持ちが出てくるということは、自分自身の中に「小説を書かずに文句だけを言うのは良くない」という価値観があるからである。自分自身、本当は書きたいという気持ちを持っているのに、人前に作品を晒すのは怖くて実現できていないという後ろめたさがあったから、他人も同じなのだろうと考えてしまっていたのだ。「なぜ書かないんだ」という問いを突きつけるべき相手は、自分自身だったのである。自分と向き合ってみた結果、しばらくしてから小説を書き始めたことで、精神的には相当楽になった。やはり人は自分自身にだけは嘘は付けないのだと強く実感している。

 

走りながら考える

走りながら考える

 

 あらゆる自己啓発書が、本当にやりたいことを見つけてそれをやりなさい、と教えている。夢は多分かなわないと言う為末大氏ですらそれは変わらない。しかし、その本当にやりたいことが何なのかを見つけるのがまず難しい。そんな時は、自分が他人にどんな不満を持っているのか、それは自分自身に対して持っている不満の投影ではないのか、ということを考えてみることも、1つのヒントになるのではないかと思う。