自己啓発の本などを読んでいると、とにかくセルフイメージ(=自己評価)を高めることが大事だということが強調されていて、そのために高い服を着ましょうだとか、成功者に会いに行きましょうだとか、いろいろなノウハウが紹介されたりする。個人的にあまり興味の持てない話だが、そういう方向で努力してみるのもそれはそれで意味はある。
ただ、最近思っているのは、こと創作をする上では「自己評価が高いことが必ずしも成功につながらないのではないか」ということである。自分に自信を持つのは良いことであるはずだが、自信がありすぎるのも良くない、という感覚がある。
先日、こういう本を読んだ。
この人の本は何冊か読んでいるが、この本の中で面白いのは、生きやすくなる方法として「精神の自給率を上げる」というアドバイスをしていることである。これは他者からの承認に頼る割合を下げるということで、自分で自分を評価する割合を上げることができれば、それだけ他者からの評価に振り回されずにすむ、ということだ。
これ自体はとても大事なことだし、「精神の自給率」が低すぎると、他者の承認を得たいあまりに理不尽な要求にも逆らえなくなる。だから自給率を上げることは大事だ。しかし、上がりすぎるとどうなるのか。
偏見も混じっているかもしれないが、自分から見て、屈託なく明るいタイプの人が書くネット小説は、どこか出来が甘い部分があるように感じられる。才能がないということではなく、自分の作品に対して一度突き放し、第三者のような視点からダメ出しをしていくことで完成度を上げていくというプロセスをあまり経ることなく、人前に出しているのではないかと思えることがままあるのである。
そもそもそういうタイプの人は「精神の自給率」が高くて、あまり人からの評価を必要としていないのかもしれない。自分が良いと思ったのだからこの作品は良い、と思えるし、それで満足してしまえる。メンタルヘルスという点ではとても良いことかもしれない。しかし「これでは人に認めてもらえないのではないか」という不安が少ないことは、推敲の機会も少なくし、それだけ完成度が落ちる可能性もある。
小説を書いていて思うのは、人は結局この「精神の自給率」を100%にはできないからこそ幾分かは外部からの承認に頼る必要があるし、その一手段として創作というものがあるのだろうな、ということである。他人に認めてもらう必要がないのなら、小説なんてチラシの裏にでも書いていればいいのだ。しかしそうはいかないからこそ人に認められるようなものを書こう、というモチベーションが生まれる。その上で誰かに褒めてもらえるようなものがかけた時の喜びは、本当に大きい。
「自分はそれほどすごい人間ではない」という前提があり、それを自覚しているからこそ文章を研ぎ澄ませていかないと読んでもらえない、という気持ちが出てきて、それが良い作品を生むこともあるかもしれない。自信のない人に自信をつけさせるノウハウばかりが目につくが、自信がないことをもっと肯定的に見る視点があってもいいように思う。