明晰夢工房

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自分自身も「老害」化しつつあるという自覚

togetter.com

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こういうものを読んでいてある程度共感する部分もある程度には、自分も「老害」化しつつあるのかな、という自覚はある。最も僕自身は野尻氏のように最近の所謂「転生もの」は主人公を甘やかしているから良くない、というよりも、どうしてこうも似たようなゲームみたいな世界観の話ばかりなのか、という点に不満があったりするわけなのだけれども。

 

最近、ある小説投稿サイトのファンタジーのランキング上位の作品をいくつか読んでみた。そこでは多くの作品は主人公や仲間にはパラメータが設定されていて、どんなスキルを持っているかもゲームの画面のように文章の中で示され、主人公の立ち寄る街では当然のように武器屋やアイテムショップがあり、そこで必要な品を補充することができる。都市には冒険者ギルドがあって、そこに登録すれば仲間を雇えたりダンジョンの探索ができるようになる。もちろん作品ごとに細かな違いはあれど、おおまかに言ってこうした世界観の上に成り立っているものが「ファンタジー」だと受け止められているようだ。

 

もちろん、こういうものだってアリなのである。そもそもファンタジーなのだから、何を書こうが自由なのだし、ゲームのような世界でゲームのような戦い方をする「ファンタジー」があっても何も問題はない。でもここまで似たような作品が多いと、ファンタジーってこういうものだったっけ……?という疑問も沸いてくる。好きに世界を作れるのがファンタジーの醍醐味だと思っていたのに、多くの作品がゲームそのもののような世界を描き、それで人気を呼んでいる。どうやら今ネットで待ち望まれている「ファンタジー」というのは、こういうもののようだ。そして、こういうものについていけなくなるほどに、僕自身が古い人間になりつつある。

 

廃都の女王―グイン・サーガ〈137〉 (ハヤカワ文庫JA)

廃都の女王―グイン・サーガ〈137〉 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

僕自身の原体験として、ファンタジーというのはグイン・サーガだとか、アルスラーン戦記のようなものだという刷り込みがある。もちろんこれだってひとつの思い込みだ。ファンタジーはきちんと作りこまれた大河ドラマでなければいけない、という決まりはどこにもない。別にゲームのような世界でチートスキルで無双するような話を書いてはいけない理由など何もないのだ。ただ、僕自身はそういった話に馴染めそうもないし、食わず嫌いは良くないと思っていくつかそうした「ファンタジー」を読んではみたものの、あまり読み進める気になれないものが多かった。これは完全に嗜好の問題なので作品の善し悪しとは別問題なのだが、野尻氏はそこを一緒にしてしまっているきらいはあるかも知れない。

 

正直に言うと、重厚な世界感の上に展開されるようなファンタジーがネットの主流ではなくなっていることに一抹の寂しさは感じる。野尻氏は自分が親しんだような作品が今は主流ではなくなっていることを読者の堕落だと考えているようなのだが、一概にそうとも決めつけられない。ネットでお気楽なファンタジーを楽しんでいる読者が、別の場面では純文学を読んだりしているかもしれない。人は同じような本ばかり読むとは限らないからだ。

 

アルスラーン戦記が最近アニメ化されたように、こうした本格的なファンタジーには今でも需要があるのだと思う。ただしこういうものはネットで受けるタイプのファンタジーの主流派ではなくなっている。そういう現状に不満があっても、流行りというのはそういうものなのでどうしようもない。

 

現状に文句ばかり言っていても仕方がないので、創作をする者としては「こういうものが自分の考えるファンタジーだ」という作品をぶつけてみようと思い、構想を練ってはいる。ネットで受けるテンプレから間違いなく外れているのでどう受け止められるかはわからない。余りにも反応が薄ければ書くモチベーションがなくなるかもしれないし、それはそれで仕方がないとも思っている。そうなったらまた観客席に戻って、以前好きだった古臭いファンタジーに耽溺するのもいいかもしれない。