明晰夢工房

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大腸がんの体験と「公正世界信念」

以前、カクヨムで大腸がんの体験記を公開したことがあります。

 

kakuyomu.jp

内容としては初期の大腸がんの手術をしてしばらく入院したというだけのことで、辛い闘病体験やそれでもこんな仲間が支えてくれました的なドラマを期待されると当てが外れてしまうと思います。単に当時考えていたことを淡々と書いただけですので。

 

そもそも病状としては別に大したことがないし、治るものを手術して順当に治したというだけですが、それでも「がん」という言葉の持つ響きは軽いものではありません。普通ならまだこういう病気にかかる年齢ではないのに手術なんてするような事態になってしまうと、冒頭に書いたように「罰が当たったのだろうか」と考えてしまう人は少なくないようです。

 

手術のために入院する前に、多くの人のがんの闘病記を読みました。すると、やはり告知を受けると「自分は何か悪いことをしたのか」と考えてしまう人が多いのです。がんになるような年齢の人でなければ特に。つまり、人間は人生とは理不尽なものであるという現実に耐え切れず、辛い出来事が降りかかるとそこに何らかの理由を求めてしまう生き物のようなのです。病気を患うのは辛いけれど、その病気に値するような何らかの倫理的過ちを自分が犯しているとするなら、辛い病気も甘んじて受け入れることもできるというわけです。

 

 

togetter.com

 不幸な目に遭うのはそれだけその人が悪い人間だからだ、と考えれば、「自分はそんな悪い人間ではないから不幸な目には遭わないはずだ」と安心することができます。しかし通り魔に象徴されるように、世の中には善人を巻き込む理不尽な不幸などいくらでもあります。そういう現実から目をそらすために、公正世界信念というものができあがったのかもしれません。

 

もっとも、病気というのは多くの場合不摂生の結果なのだから、そんな通り魔みたいな不幸とは異なるのでは?という考えも成り立ちます。ですが、多くのがん闘病記を見て回っているうちに、20代や30代で大腸がんを患った人の日記も見かけました。不健康な食生活をしていても、普通ならその年で大腸がんにはなりません。カクヨムにも書きましたが、僕自身「その年でそんなにポリープが大きくなるなんてねえ……」と言われたのです。ポリープが発見されたのは健康診断で便潜血が見つかったからですが、腸にポリープがあっても採便の時に血が交じるとは限りません。運が悪ければ出血していても見逃す可能性もあるのです。大腸カメラを入れればポリープは確実に見つかりますが、自覚症状もないのに大腸にカメラを入れる人なんてほとんどいません。もし運が悪ければ、僕は今頃こうしてこの文章を書くことはできなかったでしょう。

 

食事や生活習慣に気を使い、健康診断に行くことで大事に至る可能性を下げることは可能です。しかし、それでも病気を100%防ぐことは、残念ながらできません。他のあらゆる不幸を完全に避ける方法が存在しないのと同じように、です。僕はたまたま生き残ったので、退院したあとは「こうして生き残ったからには、自分にはまだやるべきことがあるのではないか」などと思ったりしたものですが、これも公正世界信念の一種でしょう。やるべきことがあろうとなかろうと、人は生きるときには生きるし、死ぬときには死にます。そういうことを頭の片隅においておけば、今酷い目に遭っている人に追い打ちをかけるようなことを言わずに済むのかもしれません。