明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

立派すぎる創作論には聞く耳持ちません

しばらくこちらを留守にしていたが、今後は読者からの支持を取り付けるといったことは一切考えず、ここは単に考えたことを捨てていく場所として使おうと思っている。何だ、それって今までと何も変わらないじゃないの。

 

ということを前置きした上で。

 

時折創作に関して、こういう事を言う人を見かける。

「創作というのはこういうものを作りたい、という内から湧き出る強い欲求によってするものなのだから他者からの評価を求めるのは邪道だ。自分が作りたいものを使った、ということそれ自体で満足するべきなのだ」

 

ええ、確かにご立派な考えですし、言ってる本人は本当にそれが実行できているのかもしれませんけどね。ただ僕自身はこんな考えにはまるで賛同できないし、今小説を書いている人に評価が得られなくたって気にすることはないんだよ、なんてことはとても言えない。

 

確かに創作ってのは、最初は原初的な創作欲求みたいなものに突き動かされて始めるんです。でもそれだけでどこまでも走っていけるというものではない。やはり人からの評価も欲しくなるし、全然支持してくれる人もいないのに書き続けたって一体何がどうなるのか、こんな行為に意味はあるのか、とは普通思う。相当唯我独尊みたいに見える人でも、話を聞いてみると評価もされてないのに長々と書き続けるのは胆力が必要だ、と言っている。

 

やはり走り始めたあとは、ある程度支持なり賞賛なり、そこまで行かなくても何かしらの感想なり反応なりがもらえたほうがモチベーションが高まるってのは間違いのないことなんですよ。それを求めて創作するのは何も間違ってないし、そもそも反応が何もないということは面白くないという可能性が高いわけだから、それを続けることに意味があるのかと当人が悩むのも当然の話。

 

「好きでやってることなんだからモチベーションは勝手に湧いてくるはず」ってやはり幻想なんじゃないかと思うわけです。それにこの言い分、何かに似てませんか。ほら、アレですよ、「好きな仕事をさせてやってるんだから待遇に文句言うな」というブラック企業の言い分、あれと全く同じです。仕事なら働きに見合う待遇が得られなければモチベーションなんて下がるに決まっているし、ましてや趣味なんて一円も貰えないんだから応援も反応もなければやる気なんて出るわけがない。人の承認なんか求めるなって、お前は創作者を放置しても勝手に無限にコンテンツを生み出してくれるマシンか何かだと思ってるのか。

 

半端にアドラーの本とか読んだせいなのか知りませんが、ときおりこう言う「他者の評価のために行動するのは邪道」みたいなことを言い出す輩がいるのは困りものですね。それを自分自身に言い聞かせるだけならともかく、他人にこんな説教をするような輩は迷惑極まりない。アドラーの話をされても僕は承認に関するアドラーの議論は間違っていると思うのでどうでもいいし(そもそもどうしてフロイトユングと同時代の人の話をそんなにありがたがるのか)、独りよがりな作品を書かないためにも「他者に評価されたい」という欲求は過大にならない限り必要なものではないかと思っています。大体、人に認められたくないんだったら人前に作品を公開する意味なんかないんだよ。

 

承認欲求というのは適切なコントロール下に置かれる限り、創作意欲を掻き立てるために利用できると思いますし、認められたいと思えばこそ作品の質を向上させようという意欲だって湧くんですよ。このあたりの機微を無視する人は、僕にはとても信用できない。「人にどう思われるかが大事なのではない、自分がどうしたいかが大事なのだ」と言われたって、その自分がしたいことの中に「人にウケたい」ってことが入っているのだからそこを切り離せるわけがない。

 

そういうわけですので、僕自身は読まれやすい小説や受ける方法というのも大いに追求していきたいですし、評価を受けなくても書きたいことが書ければいい、とはあまり思っていません。「評価されたい」という気持ちを殺しながら書くのも、それはそれで不健全なのではないかと思っています。人の承認欲求を笑うな。この欲求を勘定に入れずして、創作などできないと今は考えています。