明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

自己評価が高いのは、本当にいいことなのか

今日はこちらを読んで考えたことなどを。

gattolibero.hatenablog.com

最初にお断りしておくと、こちらのエントリで書いてあることにはほぼ同意である。自己肯定感が低いと、とにかく生きづらい。単に辛いというだけでなく、理不尽な言いがかりをつけてくる人に対しても「ここまで言われるということは自分が悪いのだろうか」などと考えて抗議できなかったり、心が折れやすいのでなかなか新しいことに挑戦できない。最初から「こんなことは自分には不可能だ」と諦めてしまったりする。自己評価が低いことで、自己評価が高い人が取りうる選択肢を思いつかず、人生が大幅に不利になってしまうのだ。

 

なら自己評価が高いことがいいことなのは自明じゃないか、という結論になってしまいそうなのだが、この結論には「誰にとっていいことなのか」という問いがない。本人にとっては間違いなくいいことだ。失敗しても立ち直りが早いので心が軽く、自信が強いからどんどん人の中にも入っていけるし交友関係も増やしやすく、新しい経験も積みやすいから仕事でも私生活でも好影響が出る。とにかく本人のメンタルヘルスについては良いことずくめだ。

 

しかし、周りの人から見たらどうなのか、ということになると、また見えてくる風景が変わってくる。例えばこちらのエントリで紹介されている図を見るとなかなか複雑な気持ちになる。

www.pojihiguma.comこのエントリで書かれている「自己主張力が高いタイプ」はそのまま自己肯定力が高いタイプと言い換えても良いと思う。自己評価が高くないと自分を強く主張できないからだ。こちらのエントリでは自己主張の強いタイプの中でもいくつかのタイプに別れると分析されているのだが、いじめられる側からすると、自己主張が強い=自己評価の高いタイプでかつ同調力が高く共感力の低いタイプは、クラスのボスとして君臨しいじめを扇動する最悪のリーダーだ。自己評価が高いがゆえに自分のしていることを悪いとは考えないから反省もしないし、自己主張の強さと高いコミュニケーション能力(同調力)によって虐めを正当化するようクラスの世論をまとめ上げることができる。これはいじめられる側からすれば悪魔のような存在でしかない。

 

この図では自己主張が弱い=自己評価が低いタイプの方がいじめられるリスクが高いということになっていて(自己主張が強くても孤立しているといじめられやすいようなのだが)、その意味ではやはり自己評価が高いほうがいいのだろうが、それもやはり本人にとっては、という話だ。

 

創作と自己肯定感

そういえば以前、創作と自己肯定感についてこんな文章を書いていた。

saavedra.hatenablog.com

偏見も混じっているかもしれないが、自分から見て、屈託なく明るいタイプの人が書くネット小説は、どこか出来が甘い部分があるように感じられる。才能がないということではなく、自分の作品に対して一度突き放し、第三者のような視点からダメ出しをしていくことで完成度を上げていくというプロセスをあまり経ることなく、人前に出しているのではないかと思えることがままあるのである。

そもそもそういうタイプの人は「精神の自給率」が高くて、あまり人からの評価を必要としていないのかもしれない。自分が良いと思ったのだからこの作品は良い、と思えるし、それで満足してしまえる。メンタルヘルスという点ではとても良いことかもしれない。しかし「これでは人に認めてもらえないのではないか」という不安が少ないことは、推敲の機会も少なくし、それだけ完成度が落ちる可能性もある。

これは少々決めつけすぎかなと思っていたが、先日このようなツイートを見かけた。

 自己肯定感が高い人は、読者は自分の小説を最後まで読んでくれると疑わないかもしれないし、その分読者を離さないようフックを仕掛けようという意思も弱いかも知れない。ある程度自作に不安があるということが、良い作品を生み出す上でプラスになる事もありうる。もっとも自己評価が低すぎるとそもそも作品を人前に出せないので、程度問題ではあるのだけれども。

 

趣味で創作をやる限り、小説は多くの人に読まれなければいけないというわけではないし、自己肯定感の高い人はそもそも最初から幸せなので出来の甘い小説を書いてしまってもそれで不幸になることもないのだろうから、それはそれでいいのかもしれない。ただ、他者から見て良い作品を生み出すには「これで本当に読んでもらえるのか」という不安を心の片隅に飼っておくことは大事なのではないかとも思う。

 

 繰り返すが、自己肯定感が高いことは当人のメンタルヘルス的にはとても良いことで、基本的には望ましいことだ。ただし周囲との関係性で考えた場合、そのことを無条件で肯定して良いかということになると、いささか疑問無しとし得ないことも事実だ。自助会にやってきて皆の悩みがまるで理解できない女子大生が将来カウンセラーの仕事をするとなると、これはちょっと考えてしまう。そういう人が本当に悩めるクライアントの立場に立って相談に乗ることができるのか。当人の幸せが、周囲にとっての幸せとは限らないのだ。