明晰夢工房

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古代ローマ末期の「ヘイトスピーチ」

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時事問題に過去の歴史を当てはめて解説しようとすると色々と無理が出てきたりするものですが、ローマ領内に侵入したゴート人を「難民」と捉えることは必ずしも的外れとは言えないようです。上記の記事を読んだあと『新・ローマ帝国衰亡史』を読み返してみたのですが、なかにはこんな一節があります。

新・ローマ帝国衰亡史 (岩波新書)

新・ローマ帝国衰亡史 (岩波新書)

 

 

 ドナウを渡り属州モエシアに移った、難民と言ってよい人々を待ち受けていたのは、トラキア地区のローマ軍司令官を務めるルピキヌスと属州モエシアの軍司令官マクシムスであった。彼らは、移動してきた人々にひどい仕打ちをした。古代の記録はこぞってこのことを伝えている。

 ゴート人の実態は確かに「難民」と言っていい状況だったようです。

 

このようにゴート族の「難民」をひどく扱ったため彼らは飢えるようになり、やがて反乱を起こしてローマ対抗するため周辺の部族と連帯するようになってしまいます。そしてローマ東半の皇帝ヴァレンスはアドリアノープルでゴート族と戦って大敗し、本人も殺されるほどの惨状に陥ります。

 

本書によれば、このアドリアノープルでの大敗がローマを変質させる決定的な出来事になったそうです。それまでどんな民族でも市民としての義務(具体的には軍務)を果たせば「ローマ人」としての受け入れてきたローマ帝国が、この頃からゲルマン人を他者として認識する見方が出てきて、「排他的ローマ主義」とでも呼ぶべき主張が台頭してきたのです。

 

その中には、「ゴート族は元来ローマの奴隷だったのだから、そんなものを軍隊の司令官にしてはならない。彼等を軍隊から追い出してローマ人だけの軍隊を作るべきだ」という、現代で言うヘイトスピーチのようなものまで含まれています。本来民族で人を差別していなかったローマ帝国が、アドリアノープルでの敗北でアイデンティティの危機に陥り、遂には排外主義を主張するに至りました。

 

本来ローマは開かれた帝国で、フランク族やゴート族、ヴァンダル族などから顕職に就く人物が多数出ています。末期のローマを支えた将軍であるスティリコもヴァンダル族の出身です。しかし帝国の力が衰えるにつれ、排外主義が台頭する姿はどこか現代の世界情勢とも重なるものがあります。中国においても、北方の騎馬民族に圧迫されていた時期に中華思想が台頭したことを考えれば、排外主義やヘイトスピーチは国力の衰退の象徴といえるのかもしれません。