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劉邦の魅力と"SAVE THE CAT"の法則

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 劉邦の魅力の秘密はどこにあるのか?

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劉邦という人物は、取り立てて取り柄がある人物とも思えないのに、なぜ多くの人材を惹きつけたのか。

 

その理由としては、『項羽と劉邦』に書かれているように、「この人は自分がいなければ駄目な人なのだ」と思わせるようなところがあったから、ということは確かに言えるように思います。

史記を読んでいても、たしかに劉邦は人の言うことはよく聞くし、仕える人間としては支えがいのある人物だったのは間違いないでしょう。

自負心が強く、范増の言うことも聞かなかったりする項羽とは対照的です。

韓信や陳平ももともとは項羽陣営にいたのに劉邦についてしまったのは、項羽のもとにいても活躍の場が与えられなかったからです。

 

しかしこの劉邦という人、何かと欠点の多い人でもあるのです。

まず、どうひいき目に見ても、行儀の良い人とは言い難い。

女好きだし、むやみに態度は大きいし、すぐに人を罵る。

人徳と言うほどのものも特にありません。何しろ劉邦は股肱の臣である蕭何からも「傲慢で礼を欠いている」と言われてしまうような人です。

これが漢の公式の史書である史記に書いてあることなのだから、劉邦の素行はよほど酷かったのでしょう。

 

それどころか、劉邦項羽に敗北して逃亡する途上で自分の子供を馬車から捨てるという暴挙にすら出ています。

これはおよそ我々のような凡人には理解しがたい行為です。

司馬遼太郎は『項羽と劉邦』の中で、儒教的価値観からすれば子供が親のために自分を犠牲にするのは当然の行為だと何とか擁護しようとしていましたが、そもそも劉邦儒教なんて大嫌いなのだからその観点からこの行為を正当化できるとも思えません。

生き延びるためなら自分の子供も犠牲にして構わない、生存本能の怪物ような人物が劉邦だったのです。

 

劉邦はいやしくも漢王朝の始祖です。その劉邦を正当化しなくてはならない立場であるはずの司馬遷がこう書かなくてはいけないくらい、劉邦の素行の悪さは広く知れ渡っていたと考えないといけません。

 

こうした劉邦の性質を考えると、およそ人に慕われるような人間とも思えない。

そんな劉邦が、どうしてどこに言っても「劉邦が好きな人に会ってしまう」のか。

このことを考える時、僕はある法則を思い出します。

 

SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術

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感情の振り幅を大きくする効果を知っていた劉邦

 映画などの脚本において、主人公をいい人と思わせたければどうするか。

簡単な例として、車に轢かれそうになっている猫を助けさせればいい。

主人公が一見悪そうな人物に見えるほど、その行為は効果的です。

第一印象が悪い分だけ、猫を助けたという善行によって彼の株は一気に上がり、視聴者の感情の振り幅が大きくなる。

 

劉邦という人は、実はこの法則を熟知していて、現実に活用していたのではないかと思っています。

例えば、酈食其という儒者劉邦の元を訪ねたときのこと。

この時、劉邦は召使に足を洗わせながら酈食其を引見するという、無礼極まりない態度に出ました。

劉邦よりずっと年上だった酈食其は劉邦を「年長の者にそんな無礼な態度を取るな」と叱りつけると、劉邦は素直に言うことを聞き、酈食其を丁重に迎えました。

この後、酈食其は劉邦の外交官として各地に活躍するようになるのですが、それはまた別の話。

 

この状況、酈食其から見たらどうでしょうか?

最初は召使に足を洗わせながら、年長の酈食其を引見するほどの無礼な男。

酈食其は儒者であり、劉邦儒者が嫌いなのでこういう態度を取ってしまいます。

しかし酈食其が一喝すると劉邦の態度は一変し、しおらしく言うことを聞くようになる。

これ、最初から礼を尽くすより、はるかに劉邦は酈食其に好印象を与えるのではないか?と思うのです。

「あんなに無礼な男が、この私の言うことを聞いてくれた。それだけ私を特別な人間と認めてくれたからだ」

酈食其はこう感じたかもしれません。

 

劉邦がこうした行為を無意識に行っていたのか、計算ずくでやっていたのかはわかりません。

 ただ、このやり方が人を惹き付ける上で効果的であることは、間違いなく知っていたと思います。

その証拠に、劉邦は後にも同じような手段を用いているからです。

 

劉邦項羽陣営から引き抜いた男に、黥布という男がいます。

この人は、項羽の配下でも随一の猛将で、劉邦からすればぜひとも欲しい人材でした。

劉邦は随何という儒者を黥布のもとに派遣し、黥布を味方に引き入れます。

この黥布が劉邦に初めて面会した時、劉邦はまたも足を洗わせていました。

項羽を裏切ったことを黥布は激しく公開しましたが、宿舎に案内されると、食事や調度品などが全て劉邦と同じものが用いられていました。

すっかり機嫌を直した黥布は、以後劉邦に心服するようになったのです。

 

いったん落として上げるというごく単純な心理操作ですが、こうした人心掌握法を劉邦は巧みに活用していたのです。

 SAVE THE CATの法則が逆に働いていた項羽

このような老獪な人物である劉邦に比べれば、項羽などごく単純な人間に過ぎません。

秦の首都である咸陽を攻め落としたらそのまま略奪してしまうし、斉で反乱が起きたら数十万の民を穴埋めにしてしまいます。

樊噲に諌められて略奪を思いとどまった劉邦とは何もかも対照的です。

 

項羽は貴族の出身で、普段はとても礼儀正しく感じの良い人物だったと言われています。

しかし、一度敵に回した相手は穴埋めにして殺してしまうほどの残忍さを発揮します。

劉邦のように部下の進言に素直に耳を傾ける度量もありません。

普段の印象が良いだけに、後に悪い行為をすると与える印象は劉邦とは完全に逆になってしまいます。

猫を救うどころの話ではありません。普段猫をかわいがっているあの人が実は猟奇殺人者だった、くらいの落差があります。

敵に回せば恐ろしい。項羽の権力の源泉は、とにかく戦争に強いことです。

しかし、韓信のような軍事的天才を劉邦に取られ、黥布のような猛将まで失った項羽では、結局劉邦には勝てませんでした。

劉邦ほどの人間通ではなかった項羽は、自分という個性をどう演出するかを知り尽くしていて、有能な人材を使いこなせた劉邦には敵わなかったということです。

 劉邦は本当に度量の大きな人物だったのか

人の諫言をよく聞き、受け入れることのできた劉邦項羽に比べれば確かに度量の大きな人間のように思えます。

しかし、天下を統一した後の劉邦はどうだったか?

劉邦漢王朝樹立に大きな功績のあった韓信や、先に書いた黥布などを次々に粛清します。

天下が定まった後というのはそういうものだと言う人もいますが、光武帝李世民趙匡胤のように天下を平定しても粛清などしない皇帝も少なくありません。

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 劉邦の側からすれば、そうしなくてはいけない事情があったのかもしれません。

史記には韓信は反乱を起こそうとして失敗したと書かれています。

ですが、陳舜臣氏などは『中国の歴史』の中で、これは冤罪ではないかと推測しています。

本当は、韓信の実力を恐れた劉邦がもっともらしい理由をつけて粛清したというあたりが真実なのかもしれません。

司馬遼太郎は『項羽と劉邦』の中で、項羽の弱点は猜疑心であると書いています。

しかし、項羽と対比される劉邦も果たして猜疑心と無縁であり得たのか。

韓信という「勇者」と共存できなかったあたり、どうもそうではなかったのではないか――と、そう思えてならないのです。

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