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なんとなく気になった本は最近は買うことにしている。
そうした直感がよく当たることが多いからだ。
そしてこの小説もやはり手にとってみて正解だった。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp「小説」という言葉は本来蔑称だったらしい。
天下国家について語るジャンルである歴史や政治などに比べて、所詮は作り物にすぎない小説などは下らないものだというわけである。
三国志演義や水滸伝を書いたと言われる羅漢中も、小説などに手を染めたおかげで子孫に障害者が生まれたのだ、なんて差別的なことを言われていたらしい。
それくらい、中国においては小説というのは見下されるジャンルだった。
だとすれば、「歴史小説」という言葉は本来矛盾しているということになる。
もともとの意味からすれば、歴史とは小説の扱うジャンルではないのだ。
しかし僕はそうした物語を好んで読んできた。
歴史、ないしは架空世界の歴史とも言えるようなファンタジーなどを好んで消費してきたのだ。
これらは基本的に英雄を描くものであって、市井の人間の哀歓を描くものとは異なる。
あえて言うなら、それは神話に近い。
少なくとも近代小説は、こうした英雄とは対極にあるような平凡だったり、駄目だったりするような人物を主人公に据える。
リアリズムが出発点にあるから当然そういうことになるのだ。
ただ、僕はそうした市井の人間を描く物語など、読んでも仕方のないものだと思ってきた。
小説というのは読んでいる間現実を忘れさせてくれるような別世界に連れて行ってくれるから楽しいのであって、そこら辺にいるような人間の人生を覗き見たところで仕方がないのだと考えていたような気がする。
しかし、この『ホテルローヤル』を読んでいて、それが大きな間違いであることに気付かされた。
この短編集はラブホテルにまつわる物語が集められているのだが、出て来る男女に人生の表舞台を歩いているうような人物は一人もいない。
ラブホテルというもの自体があまり大きな声で語れるような存在で無いように、この小説に登場する人物もみなどこか陰があり、陽の当たらない人生を生きている。
読んでいて何らかのカタルシスが得られたり、大きな感動を味わえるというわけではない。
しかしこの物語は、どこか深く心に沁み通るものがある。
物語は全てフィクションだが、確かにこのような人達がこの世のどこかに存在しているのかもしれない、と感じさせるようなリアルな息遣いが登場人物には感じられる。
考えてみれば、英雄物語の類ではまずスポットライトが当たらないような人達にも、それぞれに物語があるのだ。
つまらない人生だとか、 平凡な人生なんてものはあり得ない。
本作にはホテルで働いている60歳のパートの女性が主人公の話もあるが、そういう人でも光の当て方ではちゃんと物語になる。
優れた作家の手にかかれば、どんな人間でも主人公足り得るのだ。
どれも明るい話ではないのに、これを読んでいるうちに少しづつ心のこわばりがほどけてくるような感覚を覚えたのは、「成功した人間しか語られる価値はない」という固定観念を解きほぐしてくれる効果があったからかもしれない。
ここ数年ばかり、超人的な力や才能を持った人間が活躍するような話ばかり読むことに疲れを感じていたところだったので、この小説を読んだことで行き詰まりを打破できそうな気がしている。
市井の片隅に生きるに人々の人生を語ることに価値はないなんて言ってしまったら、それは自分の人生には価値が無いと言ってしまうのと同じだ。
人生の価値はその人のスペックや成し遂げたことの大きさでは語ることができない。
そうした価値観の外でひっそりと生きている人もいるということを知ることができるのも、小説を読む醍醐味のひとつであるように思う。