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明晰夢工房

主に自分語りです。

「運」を良くするならニッチな知識を身につければいい――メンタリストDaiGo『ネガティブな人ほど運がいい?』

読書

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麻雀のプロも「運を良くする方法」を知っている

中学生の頃、ある麻雀プロの本にハマっていて、その人の麻雀必勝法を一生懸命読んでいたことがあります。

その人に言わせると、どうやら「ツキ」と言われるものは実在しているらしいのです。

麻雀で勝つには「ツキ」を味方につけなければいけないということで、そのための方法論まで彼の本には具体的に書いてありました。

 

中でもよく覚えているのは、

 

「負けが込んでいる時には、多くの人は一発逆転を狙おうとするが、それは一番やってはいけないことだ。そういう時はどんな安い手でも一度アガることで、ツキを取り戻さなければいけない」

 

という部分です。

何となくわかるようなわからないような話なんですが、「負けが混んでいると自信がなくなってくるから、自信を取り戻すために何でもいいからアガれという意味だろうか」くらいに当時は思っていました。

 

結局この言葉の真意は今でもよくわかっていないんですが、この「一発逆転を狙うと運が悪くなる」ということに関しては、メンタリストDaiGoも同じことを主張しています。

 

ネガティブな人ほど運がいい! ?

ネガティブな人ほど運がいい! ?

 

 この本の中でDaiGoさんは、「宝くじのような一攫千金を狙うと運が悪くなる」と明言しています。

 

当たる確率がとにかく低いのだから、その金銭を自己投資に回して資格でも取ったほうがよほどお金を生み出す可能性が高い。

お金を目的として宝くじを買うなんてわざわざお金を失っているようなものだし、それは確率論を理解していない「運の悪い」人の典型的な行動なのだ、ということです。

 

まあ、宝くじというのは庶民がささやかな夢を買うためのものですし、そこまで言ったら言い過ぎというものかもしれません。

DaiGoさんも夢を買うために宝くじを買うなら別にいい、と断っています。

でもお金のために宝くじを当てようとしてもそれは現実的ではないし、そういう人はとかくお金を得るための現実的な努力をしない傾向があるから「運が悪い」のだ、ということでしょう。

 

「運を良くする方法」なんて存在するのか?

このあたりで、そもそも「運が良い」とはどういうことなのか、を明確にしておく必要があります。

簡単にいえば、運が良いというのは「当たりを引く」ということです。

ソーシャルゲームのガチャでSSRキャラを引けたらそれは運が良いという事。

一定確率で成功する可能性のあることで成功できれば「運が良い」のです。

 

しかし、本来、運というものは人間にコントロールすることはできないはずです。

それなのに、この本も含めて、世の中には「運を良くする方法」について書かれた本というのはたくさんあります。

それらの多くはオカルトだったりスピリチュアルな内容のものだったりしますが、DaiGoさんがこの本で書いているのはそういう領域の話ではありません。

 

ガチャでSRやSSRキャラを引く確率はあらかじめ決まっています。

この確率そのものをコントロールすることは、どうあがいても不可能です。

では、「運を良くする」ために、コントロールするべきは何なのか?

 

DaiGoさんがこの本で主張していることは、試行回数と精度を上げることです。

射撃で的に当てるためには、とにかくたくさん撃つか、射撃の腕を上げるか、の2つの努力をする必要があります。

どちらにより力を注ぐべきかはその人の性格や能力によって異なるでしょうが、とにかくするべきことはこの2つだけです。

 

トイレを素手で掃除したり、水にありがとうと言ってみたりしても弾が的に当たるようになるわけではありません。

これらの行為も巷では「運が良くなる」行為だと言われたりしますが、こういう非現実的な方法に頼る人ほど運が悪いとDaiGoさんは断言しています。

当たりを引くための具体的な行為を何もしていないのだから当然でしょうね。

 

ガチャの場合なら精度は上げられないので、とにかく試行回数を増やすしか成功する方法はないということになります。

(だから試行回数を増やしても大金が当たる確率が極端に低い宝くじは推奨できないというわけですね)

 

有名ブロガーが「毎日記事を書け」というのも試行回数を増やすためだろうし、ナンパ師が毎日ひたすら声をかけるのもやはり試行回数を増やして結果を得るためでしょう。

そのことの是非について議論はあるでしょうが、とにかく数をこなさないことにはどんなジャンルでも成功は望めないことは確かです。

「運」は人を介してやってくる

 つまり、「当たりを引く」というのは一定確率でしかできないことだし、常に成功するわけではないんだけれども、試行回数と精度を上げることで「当たりを引く」回数を増やすことができる。

それが「運を良くする」ということだとDaiGoさんは言っているわけですね。

 

これ、考えてみれば、ごく常識的なことしか言っていないわけです。

こういう当たり前の努力をしないで神頼みをしてみたり、先祖供養をしてみたところで、当たりを引くための努力をしなければ運が良くなるわけがない。

もしそれで実際に良いことが起きたとしても、それは単に偶然起きたことに勝手に因果関係を見出しているだけのことです。

やはり本質的には、とにかく試行回数と精度を上げるしかない。

当たりが出るまでガチャを回し続けるしかないんです。

 

ところで、巷の「運を良くする」といった本には良く「周囲の人間を大切にしなさい」ということが書かれています。

これはオカルトめいた話にも見えますが、この「試行回数を増やす」という観点から考えると、これはちゃんとした根拠のある話であることがわかります。

結局、多くの場合、チャンスや有益な情報は周囲の人からもたらされるので、人に好かれている方が試行回数を増やすことにつながるからです。

 

はてなと角川が協力して立ち上げた「カクヨム」という小説投稿サイトがあります。

このサイトは期待値が高すぎたのか、開設当初には運営に対する批判が大量にエッセイのジャンルに投稿されていました。

その中で、こういう意見を見たことがあります。

 

「このサイトは、結局ツイッターのフォロワーが多くて仲間の多い人が有利だ。仲間が多ければそれだけ星やレビューを付けてもらえるし、ランキングを駆け上がれる。このサイトには純粋に作品の価値だけで小説が評価される事を期待していたのに、見事に裏切られた。ツイッターなどで一切宣伝していない自分の作品なんて誰にも読んでもらえない」

 

この意見、全てが間違いというわけではありません。

仲間がたくさんいるほうが作品が読んでもらいやすいことは事実ですし、それを不公平だ、と感じることもおかしなことではないかもしれません。

そもそも自作を宣伝することが苦手な人だっているでしょうから。

 

でも、こういう意見を読んでいて、その人の作品を僕が読む気にならないというのも事実なんですよね。

その人も、読んでみたら素晴らしい小説を書いているのかもしれません。

しかし、読まれない限り、その価値は知られることはありません。

自作を知ってほしいのなら自分でツイッターのアカウントを取得して宣伝することもできるし、他の創作者の人達と交流しながら露出のチャンスを増やすこともできるのに、そういう努力は一切しないで環境にだけ文句を言っていたら、自作を読んでもらう「試行回数」は上がりようがありません。

 

そういう意味では確かに愚痴っぽかったり、人当たりが悪い人はそれだけ「運が悪い」んでしょうね。

多くの自己啓発書がポジティブでいることを勧めてくるのは、そういう姿勢がないと試行回数を増やせないし、結果として成功も掴めないからなのでしょう。

 

他人から運をもらうためにするべきことは何か?

チャンスが人を介してやってくるのであれば、どうすれば人間関係を良くすることができるのか。

本書でDaiGoさんが勧めているのは「ニッチな趣味を共有する」ということです。

 

人は共通点が多いほど仲良くなりやすいと言われていますが、ニッチで知っている人が少ない趣味であるほど、それを共有できる相手は貴重になります。

そういうニッチな知識を身につけるためにこそ、本をたくさん読むべきなのだとDaiGoさんは主張しています。

漠然と心を豊かにするためだとか、自分を高めるために読書をするのだとか言うよりも、こういう風に読書の目的を明確にするのはいいことだと思いますね。

目標が明確な方が読書のモチベーションが上がりますから。

知識が多ければ多いほど、人とつながるチャンスが増え、運も良くなるということです。

 

読書もそうですが、なにか新しい行動をするたびに「これは試行回数と精度を上げることにつながっているのか」という問いを立てれば、「運」を自力で良くしていくことができそうです。

どんなガチャでも「ガチャを回し続けられる自分」でいなければ、当たりを引くことができません。

そういう自分になるために、この本は大いに役立つと思います。