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togetter.comこれを読む限り、室町時代ってのはそれはそれは怖い時代だったようで。
下女の商売上のトラブルから町中での喧嘩が始まり、最終的には軍隊同士の衝突まで起きるという地獄絵図のような世界が上記のまとめでは紹介されていますが、一介の町人から武士に至るまで、全員が修羅の国の住人のような世界が室町という時代の空気だったようです。
で、戦国時代というのも当然室町に続く時代なので、やはり民百姓に至るまでこの殺伐とした空気を受け継いでいます。
真田丸の一話でも、真田郷に帰ろうとしている真田兄弟を土民が襲っていましたよね。
弱ければ身分がどうだろうが殺される。所詮この世は弱肉強食。
志々雄真も生まれる時代が400年ほど遅かったのではないでしょうか。
あの時代の百姓は腰に大小の刀を差していて、相手が武士だろうが弱っていると見れば容赦なく襲い掛かってきます。
明智光秀も落武者刈りで命を落としました。
『七人の侍』に見られるような、侍に命を守ってもらうしかない弱々しい百姓なんて、現実の戦国時代には存在しなかったわけです。
江戸幕府が成立し、天下が平和になってもこの気風は急には変わりません。
戦国を生き抜いたバーサーカー達は、何か事が起こるたびに野獣のような本性を露わにします。
その様子を、磯田道史さんは著書の中でこのように書いています。
過酷な年貢に思いあまった百姓たちが藩へ直訴するという事件が起きます。「お前のところの百姓たちが、年貢があまりに重すぎると言って訴えてきているが、どうするのか」と藩主に問われた家老は、「いよいよとなったら、すべて”なで切り”にして殺すから大丈夫」というような返答をしたといいます。なで切りとは、稲をなぎ倒すように、すべて斬り殺すという意味です。
「文句言うやつなんて皆殺しにすればいいよね?」なんて家老が平気で言ってしまうのが江戸時代初期の空気だったようです。上の人間がこれなんだからそりゃ百姓だって大人しくしてるわけがないんです。
いや、百姓が凶暴だからお上がこうなってしまうのか?
どっちが先かはわかりませんが、とにかく上から下までバーサーカーがそこら辺に棲息していたのが室町から江戸初期という時代だったようです。
では、このモヒカンだらけの世紀末世界が、どのようにして変わっていったのか?
これには何段階かの転機があるわけですが、磯田さんによれば第一の転機は島原の乱だそうです。
この戦いでは、幕府軍は12万の軍勢のうち8千人ほどが死傷したと言われています。
全国の武士の数が120万程度なので、武士の100分の一ほどが島原の乱で死傷したことになります。
それだけの犠牲を払ってようやく鎮圧できたのが、島原の乱だったわけです。
当然、一揆側にも多数の犠牲者が出ました。
籠城していた一揆勢は女子供まで皆殺しにされましたが、領民が激減したことで、ようやく幕府側は「民を失っては国が保てない」という事実に気付きました。
これだけの数の領民が一度に亡くなったのですから、島原・天草の人口は激減して農村は荒廃の一途をたどります。これは幕府にとって大きな教訓となりました。つまり領民を殺戮しすぎると領地から年貢を納めてくれる領民がいなくなり、その地を治める武士たちが食えなくなるという、実にシンプルな理屈です。
一揆勢面倒臭すぎ→じゃあ皆殺しにしよう→あ、年貢を払う民がいない……
いやそれ、実行するまでわからないんかい!
この当たり前の事実を虐殺の後にようやく理解するほど、当時は人の命は軽かったということですね。
この教訓から、ようやく幕府や大名は武断的な統治方針について考え直すようになっていきました。
ここで目覚めてきたのが、「愛民思想」です。
簡単にいえば、これは民を大切にするということです。
民は国の根本であり、牛馬のようにこき使ってはいけない。
この思想は、後に徳川幕府のある政策として実を結びます。
それが生類憐れみの令です。
綱吉の生類憐れみの令というのは、犬だけを大事にする法律ではありません。
大切にするべき命の中には人間も入っています。
老人を山に遺棄してはいけないとか、行き倒れの人を放置してはいけないといった法令も生類憐れみの令には含まれています。
こうした「仁」の心を世に行き渡らせることが綱吉の目的でした。
「仁」とは儒教の徳目です。
綱吉は自ら講義を行うほど儒教に精通した将軍でした。
室町・戦国時代の殺伐とした空気を振り払い、生命を尊重するという価値観を生み出すためにはこの法令は欠かせなかったのです。
生類憐れみの令にはたしかに弊害もありました。
獣を殺してはいけないので、猪が田畑を荒らして百姓が困るという事態も起きています。
ですが、そうした副作用を伴ってでも、綱吉は平和な世の中を作らなければいけないと考えていたわけです。
磯田さんは綱吉の文治政治について、「未開から文明への転換」と評しています。
綱吉の改革にはそれくらいのインパクトがありました。
この改革を経て、バーサーカーの闊歩していた室町の空気は消えていったのです。
日本の国柄や価値観の最も大きな変革は、明治維新であったと言われますが、ある意味、江戸時代初期に実現したこの変化は、明治維新よりも大きかったと私は考えています。
江戸と明治よりも、戦国と江戸の間に起きた価値観の変化のほうがはるかに大きいというわけですね。
この後も宝永地震や天明の大飢饉など、幾つかのきっかけを経て日本社会は成熟の度合いを増していきます。
ただ年貢を搾り取る対象であった民に対し、次第に幕府の側が行政サービスを行うように政治が変わっていくわけです。
「愛民」思想の定着です。
大震災が起きて生活が根こそぎ破壊されてしまっても、粛々と行動する日本人の起源は、どうやら江戸時代にあるようです。
戦国以前は、同じ日本であっても全く別世界のようにすら感じます。
日本がどのように今の日本になったのか?を考える上で、本書は外せない一冊です。