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恐山には「極楽浜」と呼ばれる場所がある。
硫黄の匂いが立ち込める「地獄谷」や「賽の河原」と呼ばれる荒涼とした風景を抜けると、美しい湖のほとりに白砂の浜があり、数限りない風車が数百メートルにわたって立ち並ぶ。
もともとは、幼くして亡くなった子供が遊ぶためのものらしい。
この奇観の中で、いい年をした男女が父の名や母の名を、あるいは子供の名を大声で叫ぶ。
極楽浜の「魂呼び」だ。
湖に向かって一斉に放たれた声は湖に反射し、この世のものとは思えない残響が周囲に鳴り渡るのだという。
この湖の向こうに、本当に死者がいると皆が信じているわけではないかもしれない。
しかしこの場に来ると、誰もが自然に死者の名を呼びたくなるのだという。
恐山、それは死者に会える場所なのだ。
『恐山 死者のいる場所』の著者・南直哉師は恐山菩提寺院内を勤める禅僧。
この人ほど、この場所を語るのにふさわしい人はいないだろう。
恐山を訪れる人達に向き合い続けたという意味においてもそうだし、何より「死とは何か?」ということを、誰よりも真摯に考え続けてきた人だからだ。
南直哉という人は、僧侶としては相当な変わり種だったらしい。
何しろ、永平寺で二十年も修行僧として過ごしている。
普通なら、永平寺での修行はどこかの寺の住職になるためのプロセスにすぎない。
その永平寺にできれば一生いたいと願っていたというのだから、この人は住職という地位が欲しかったのではなく、心から仏道とは何かを追求したかったのだろう。
実際、後進の指導があまりにも厳しかったために「永平寺のダース・ベイダー」なんて仇名までつけられている。
そんな南直哉師も、やがて永平寺を降りる時がやってきた。
恐山に向かったのは、下山を決意する時、恐山山主の娘を紹介されたためだった。
最初にこの結婚話が持ち上がったのは八年前で、その人は直哉師が下山するまでずっと待っていてくれたのだという。
下山のきっかけは、道元禅師の七五〇回忌だった。
南直哉師の印象は、宗教家というよりも哲学者に近い。
実際、本人も自分は言葉で物事の本質に迫りたい人間なのだと語っている。
本書でも、仏教用語はほとんど用いず、明快な言葉で恐山という場所の本質が語られている。
そんな「語る禅僧」の目には、恐山はどういう場所に写っているのだろうか。
彼は言う。恐山は「死者への想いを預かる場所」なのだと。
自分にとってどんな存在であれ、いずれ人は必ず死ぬ。
死ねば物理的存在としてのその人物は消えてしまう。
しかし、人は死んでも「関係性」は残る。
かつてその人が親であったり子であったり夫婦であったりした、という自分との関係性は、相手が死のうがずっと変わらない。
よく、「生きているうちに親孝行しておけばよかった」と言われる。
また、「生きているうちにあの人に詫ておけばよかった」と後悔する人もいる。
このような場合、相手が死んでしまうことで、むしろ自分との関係性が強化されてしまう。
しかし人は、死者との「不在の関係性」を一人で持ち続けられるほど強くはない。
生者が存在しない相手とのことを日夜考え続けると、日常生活すら困難になってしまう。精神に異常をきたすかもしれない。
だからこそ、恐山のような場所に「死者を預かってもらう」必要があるのだ。
普段は死者との関係性をいったん記憶の隅において、日常生活を送る。
そして時折恐山を訪れることで、死者との関係性を結び直す。
恐山が「死者のいる場所」であるというのは、そういう意味だ。
だからこそ、普段は押し込めている死者への思いを、人は極楽浜で叫びたくなるのだろう。
いつだったか、南直哉師がテレビでこう語っているのを見たことがある。
「人は死んだらそれで終わりというわけではない。相手が死んだら、そこから死者との新たな関係を築いていかないといけないんです」
恐山に生き、死の意味を問い続けた禅僧のたどり着いた言葉がこれだ。
死者と向き合う人々を見つめ続けて来た人でないと、 これは言えない。
本書の中で南禅師は「体験は言語化されて初めて意味を持つ」と語っているが、氏が恐山に初めて入山したときの「嫌な感じ」を「ここには死者がいる」と言語化するまでには、二年の時間が必要だった。
人の肉体は消滅しても、死者は人の心の中でずっと生き続ける。
その存在の重さは、時に人を苦しみの中に突き落とす。
そうした人々から死者という荷物を預かるために、恐山という場所は存在し続けているのだろう。
「恐山は巨大なロッカーである」とも言えるでしょう。想い出というのは、預けておく場所が必要です。よく「過去を引きずるな」といわれますが、それは「死者の想い出を生者が持ちきれない」からです。「死んだ人のことは忘れなさい」と言われますが、忘れられるわけがありません。それが大事な人だったらなおさらのことでしょう。その思い出は死者に預かってもらうよりほかないのです。