明晰夢工房

主に自分語りです。

「趙の三大天」李牧の兵法と冒頓単于についてのメモ

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史実でも名称だった李牧

キングダムでは趙の「三大天」の一人ということになっている李牧。

この漫画は1巻しか読んだことがないので作中での扱いはよく知らないんですが……

史記を読んでいてあることに思い至ったので、ここにメモしておきます。

 

三大天というものが実際に趙に存在したわけではありませんが、李牧が名将だったことは史実です。

李牧はもともと趙の北辺を守っていて、対匈奴戦の名手として知られていました。

戦国七雄の中でも北方に位置する燕・趙・秦は長城を築いて北方の民族から国を守る必要があったわけですが(秦の万里の長城とは、この元々存在した防壁を一つに繋げたものです)、匈奴の侵入に悩まされていた趙では李牧を北の守備に割かなくてはいけなかったわけです。

 

李牧は主に守りを固めるだけで、積極的に匈奴を攻めるということはしていません。

しかし、次第に李牧の姿勢を味方ですら臆病だと思うようになり、李牧は他の将軍と交代させられてしまいます。

趙軍は匈奴を攻めるようになりますが敗北ばかりで、李牧の時代とは違い辺境の民は安心して暮らせなくなってしまいました。

結局李牧は呼び戻され、匈奴を撃つことになります。

 

このときに李牧が採用した策は、囮を用いるというものです。

李牧は匈奴が攻めてくるとわざと敗走し、戦場に数千人を置き去りにします。

匈奴単于はその様子を見て大軍を率いて攻め込んできますが、李牧は左右から軍を展開して匈奴を攻撃し、十数万騎を殺すほどの大勝利を収めます。

 

李牧に大敗した匈奴は、以後十数年間趙に攻めてくることはありませんでした。

李牧のおかげで、趙の北辺は平和になったのです。

後に李牧は趙の大将軍となり、秦の桓騎を打ち破る大功を立てていますが、李牧が北辺から引き上げて大将軍になれたのも、もうしばらくは匈奴が攻めてくる危険がないと判断されたからではないかと思います。

 

なお、この後の李牧の運命は……これはネタバレになるから言わないほうがいいですかね。

キングダムと史実が同じ展開になるとは限らないですが……

 

李牧と冒頓単于の用いた兵法は同じ

李牧が死して二十年ほど経った時、匈奴に一人の英雄が現れます。男の名は冒頓。

周囲の民族を討伐し急速に勢力を拡大した冒頓は、やがて漢の初代皇帝・劉邦の率いる32万の軍勢を迎え撃つことになります。

 

この時の冒頓が用いた作戦は、弱兵を前に置いて漢軍を誘い込むというものでした。

敗走したふりをして後退を続けた冒頓単于劉邦は追いかけますが、結局白頭山において冒頓の軍に包囲されてしまいます。

窮地に陥った劉邦は、冒頓の妻に賄賂を送ってようやく包囲を解いてもらう有様でした。

史書にいう「平城の恥」です。

 

さて、このときに冒頓単于が用いた、囮を使って誘い込むという戦法なのですが。

これ、李牧が使ったものと大体同じです。

よくある戦法だと言われればそれまでですが……これは匈奴が李牧から学んだものなのでは?と個人的には思っています。

 

冒頓単于がこの作戦を使う以前には、匈奴が兵法らしきものを使った形跡はありません。

というより、そもそも冒頓以前の匈奴については情報量が少なすぎて、ほぼ何もわからないような状況です。

十数万騎も殺されたと史記に記録されるくらいですから、匈奴にとって李牧に敗北したことはかなりの衝撃だった事は間違いないでしょう。

匈奴はこの敗北から学んだのではないか、と思います。

冒頓単于白頭山において劉邦に対してやったことは、中華世界に対する数十年越しの復讐だったのかもしれません。

 

劉邦冒頓単于の作戦に引っかかってしまったのは、自分こそが中国を統一した男だということや大兵力を率いていることからの自信もあったでしょうが、恐らく劉邦は野蛮な匈奴が兵法なんて使うことはあり得ないと考えていたのではないかと思います。

冒頓は、そういう劉邦の油断を逆に利用したのでしょう。

結果として、劉邦は見事に冒頓の術中に嵌ってしまいました。

この後、漢王朝からは匈奴へ貢物を送って平和を維持するという屈辱的な時代が始まり、それは武帝匈奴に攻勢に転じるまで続くことになります。

人は、敗北からより多くを学ぶ生き物

かなり妄想混じりの話ではありますが、長いスパンで見れば、李牧の名采配が結果として匈奴を強くしてしまった、ということも言えるのかもしれません。

「英雄たちの選択」で、磯田道史さんは「人は成功よりも敗北からより多くを学ぶものだ」と語っています。

兵法を用いて戦う中華世界の人間と戦うには、自分達も兵法を理解することは必至だったでしょう。

 

趙という国家は武霊王が騎馬戦術を取り入れて以来の尚武の国で、李牧の他にも廉頗や趙奢などの名将を輩出した強国でした。

秦の名将である白起は長平の戦いで趙をさんざんに破り、史書には40万人の趙兵が穴埋めにされたなどと言われていますが、隣国の燕はこの戦いの直後に趙に攻め込んで返り討ちにされています。

趙とはそれほどの軍事大国でした。

 

この趙も征服してしまうのが秦です。

趙を上回る超大国が南に出現したことは、匈奴にとって大変な脅威だったでしょう。

秦により中華世界が統一されたことが、匈奴が民族としてまとまるきっかけだったと指摘する史家もいます。

 

匈奴は中国史上、初めて北方に誕生した強力な騎馬民族国家でした。

冒頓の父である頭曼単于の名は、史上初めて名前の記録されている単于です。

蒙恬が30万の軍隊をもって匈奴を北へ追い払ったのが頭曼時代の匈奴ですが、すでにそれだけの軍を割かなければならないほど匈奴の存在は大きな脅威となって北からのしかかっていたのかもしれません。

そこまで匈奴が強大化した遠因には、李牧の存在があったのではないか?

個人的には、そう思えてならないのです。