明晰夢工房

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『パスタでたどるイタリア史』感想:パスタとイタリアの歴史を両方楽しめる贅沢な一冊。

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岩波ジュニア新書には名著が多い

岩波ジュニア新書って名著の宝庫なのでは?と最近思っています。

『砂糖の世界史』なんてその典型ですが、各ジャンルの一流の著者が中学生くらいの読者を想定して書くので読みやすく、しかも水準は一切落としていないものが多くあります。だから大人が読んでも楽しい。

 

さてこの『パスタでたどるイタリア史』ですが、この切り口でイタリア史をたどることが本当にできるのか?と思ったんですが本当にそれを可能にしています。

現在のものとは違いますが、古代ローマの時代からイタリア人は「パスタ」を食べていているので、時代とともにパスタのたどる変化の流れを追っていくことで自然とイタリア史を語ることが出来てしまうのです。

食の歴史とイタリアという地域の歴史が見事に融合しています。

古代ローマから始まる「パスタ」の歴史

パスタの起源は古代ローマで、最初は小麦の練り粉を焼くか揚げるかして蜂蜜や胡椒で和えて食べていました。この時点では茹でたり蒸したりする水との結びつきはまだありません。この「パスタ」ですが、これがゲルマン人が侵入してくることで一旦衰退してしまいます。

「狩猟民族」であるゲルマン人は肉を食べることにアイデンティティを持っているため、鹿や猪、ノロジカなどの肉料理が多くテーブルに並ぶことになり、パスタは料理としてはしばらく忘れられた存在となっていきます。著者に言わせると、パスタは「古代ローマという高度な文明の果実」だったようです。

 

パスタが復活するのは13世紀末ごろのイタリアで、この頃からパスタはローマ時代のような小麦を油で揚げたり焼いたりしたものではなく、現在のような水と結合したものになっています。大事なことはここでパスタとチーズを合わせて食べる料理法が始まったことで、これが栄養学的にも炭水化物+脂肪となるので優れたものになりました。

 

興味深いのは、乾燥パスタの起源はアラブであるという説もあるということです。

アラブは乾燥した砂漠地帯で荷物を運ばないといけないので、乾燥パスタが生まれたということです。

アラブの文化がイタリアに入ってくるのは、特にシチリアが一時期イスラムの領土だったこともあり、この地は異文化との文化交流が盛んだったからです。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の軍隊にもイスラム教徒の部隊がありました。

イタリア南部が「辺境」であり文化の交差点に存在することで生まれた食文化も存在するということです。

大航海時代が産んだイタリア料理

さらに時代が下ることで大航海時代を迎え、新大陸から重要な食材がもたらされました。パスタに欠かせない唐辛子とトマト、そしてじゃがいもです。

トマトはしばらく観賞用でなかなかパスタソースとしては普及しませんでしたが、唐辛子はすぐにパスタには欠かせないスパイスとなりました。じゃがいももまたニョッキを作るのに必要です。じゃがいもは今後多くの地域で飢饉を防ぎ、人口を増やすのに貢献していますが、新大陸の食材はイタリア料理の基礎をつくる上でも極めて重要でした。

 

さて、イタリア料理といえばトマトです。

なぜ、トマトが重要な食材となったのか?というと、ナポリでトマトソースをいろいろな料理に利用する料理人が多数輩出し、パスタとも結びつくようになったからです。

ナポリはもともと15世紀に人口が急増し、これに肉の供給が追いつかないのでパスタが市民の胃袋を満たす食品として食されていたという歴史がありました。

ナポリでもパスタと一緒に食べられていたのはチーズでしたが、トマトソースの誕生により、ナポリはパスタ業の中心地としてその名を知られていくことになります。

アメリカで非難されたイタリア移民のパスタ

この後、パスタは順調に発展して世界的に有名な料理の地位を獲得することになったのか?というと、実はそうではありませんでした。

近代化の過程において、パスタは一度危機に見舞われています。

 

パスタの強力な敵として台頭してきたのは、アメリカでした。

 19世紀に入ってもイタリア南部の農民は貧しく、多くのイタリア人が移民としてアメリカに渡りましたが、アメリカではイタリア人は激しい差別を受け、その中でパスタもまた蔑視される食べ物となってしまいました。

19世紀末ごろからアメリカは自由と平等を実現した先進国としてイタリアからも仰ぎ見られる存在でしたが、そのアメリカではパスタはなかなか受け入れられず、しばらくは肉料理の付け合せとしての地位に留まっていたのです。

アメリカのソーシャルワーカーはイタリア移民の家庭に入り込み、パスタは栄養に乏しいとしてアメリカの食文化への同化を求め、学会誌では専門家がイタリア移民の食事を攻撃しています。

 

しかも20世紀初頭には、前衛芸術運動の中で生まれた「未来派宣言」において、パスタはイタリア人のモラルを堕落させる悪であるとして攻撃対象になってしまいました。ムッソリーニもパスタはイタリア文化の遅れの象徴として嫌っていたそうです。

しかし結局この運動もパスタを駆逐することはできず、結局全世界に浸透するに至っています。思想などで食生活をコントロールするなど不可能なのでしょう。

パスタはなぜ日本でも受け入れられたのか

順番が前後しますが、本書では最初の章で日本における麺類の歴史とパスタの浸透について簡単にまとめられています。

日本には長きにわたる麺類の食文化があり、1200年台にはまずそうめんが中国から伝わり、後に南宋からはうどんの元になる切麦が伝わっています。

江戸時代には蕎麦も普及し、江戸の飲食店の6割以上がうどんや蕎麦などの麺類の店だったとも言われています。

 

このような土壌があるため、日本では一種の「国民食」としてパスタが定着したと本書では書かれています。

一時は栄養に乏しいとして学者にすら批判され、イタリアの堕落の元とまで言われたパスタは見事な復活を遂げ、東洋の島国にまでたどり着きました。

結局、インテリがどう言おうが、美味しいものには誰も勝てない。

食文化の持つ底力について考えさせられる一冊です。