明晰夢工房

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エマ・ワトソンのスピーチに関する雑感

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今日は以上の記事を読んで思ったことを記しておこうと思う。

 

世の中には、総論賛成各論反対、みたいなことが多い。どこの記事だったか忘れたが、「男性も無理せず弱みを見せられるようになればいい。無理に男らしさに縛られる必要はない」といった記事が多くの賛同を集めているのを見たことがある。

 

そして、エマ・ワトソンの演説というのも、大意はそういうことを言っている。男も女も、ジェンダー規範に縛られずに自由に生きてよい。誰もが「らしさ」を押し付けられないような社会にするべきだ、と彼女は言っているのだ。大雑把に言えば「みんな違ってみんないい」だ。

 

これ自体には特に反論するような点は見当たらない。多様性は尊重されるべきだ。これは一般論として全く正しい。だからこそ多くの人が賞賛しているし、確かにこの演説には耳を傾けるべき価値がある。では、せっかくいいことを言っているのになぜ反発する人がいるのか。ここで思い出すのがこの記事だ。

 

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 エマは、「弱いと思われるのが嫌だから」と言って、男性は心が弱っているのに助けを求めようとしません。その結果、イギリスの20歳から49歳の男性は、交通事故、ガン、心臓疾患よりも自殺によって命を落とす方が圧倒的に多いのです」とスピーチの中で語っている。無理に男らしくあろうとすることが男性に多大なストレスとなっていることをちゃんと認識しているのだ。無理をして自殺するくらいなら男らしくする必要などない、全くもっともな話である。

 

しかし、男性が男らしさの鎧を脱ぎ捨て、女性の前で自分の弱みを語ると、上記のようなことになってしまうのである。これから付き合おうという相手になぜマイナス面ばかり見せられなくてはいけないのか、営業マンが自社製品の欠陥など語るな、というこの増田の言い分には多くの人が賛同するだろう。つまり、総論として「男らしさに縛られる必要はない」としても、実際の男女関係という各論の部分では、やはり男は弱みなど見せてはならない、ということになる。そのようなことをしてはパートナーを獲得する上で決定的に不利となってしまうからだ。

 

「男らしくなくてもいい。でも個人的にそんな人はパートナーには欲しくない」という女性が大半なのであれば、やはり多くの男性は男らしさから降りることは難しい。パートナーの欲しい男性は女性の需要に合わせなくてはいけないからだ。結婚などどうでもいい人なら降りても問題はないが、そういう男性はエマに言われるまでもなくすでに降りているだろう。

 

社会規範というものは、単に上から押し付けられるだけのものではない。個人の自然な嗜好が積み重なって社会規範ができるという一面もある。それが「個人的なことは政治的なこと」ということだ。エマがそのことを知らなかったか、知っていても語らなかっただけなのかはわからないが、いずれにせよ男らしさという規範を緩めたいのであれば、それを男性に求める人達(女性だけではない)にも語りかけていく必要がある。エマのスピーチにはこの点は確かに欠けていた。

 

デートでサイゼリヤに連れて行くような男は駄目だ、みたいな話を最近見たが、これは「男は女をうまくリードするべきだ」という男らしさが今でも求められているということだ。エマの演説に反発していた人達は、この現状で男らしさなど捨てたら一人負けになるだけではないか、と危惧しているのではないかと思う。そのような危惧を取り払うには男らしさを求める人達の意識も変えなくてはいけないのだが、そんなことが本当に可能なのか、という疑問も拭い去れずにいる。

 

少し話はずれるが、アドラー心理学では健全な人は他人を変えようとしない、変えられるのは自分だけだと説いているが、その見地からするとエマのように男性に変わって欲しいと訴えるような人は不健全なのだろうか。自分はそうは思わないし、時には他人に変わってもらうことも必要ではないかと思うのだが、このブログではよくアドラーの批判をしているのでこんな蛇足めいた話を付け加えたくなってしまった。