明晰夢工房

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松浦武四郎の「内向性」と幕府のアイヌ政策批判

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先日放送された、英雄たちの選択「北の大地と民を守れ!松浦武四郎・北海道の名付け親」をようやく録画で観ることができた。番組中で一番印象に残ったのは、脳科学者の中野信子が語っていた松浦武四郎「内向性」だ。

 

内向性という言葉から、我々は引っ込み思案だとか、インドア派だとか、思索的だとかいう人物像を描き出す。しかし、心理学で言う内向性というのはどうやらこうした一般的な印象とは異なるもので、中野信子に言わせると「価値基準が自分の中にある」ということらしい。

 

北海道全域を旅行し、アイヌとも積極的に交流した松浦武四郎の人物像は、いわゆる「内向的」という言葉から連想されるものとは大いに異なっている。しかし、興味の赴くままに蝦夷地を隅々まで踏破した武四郎の行動こそがまさに「内向性」の為せる業なのだ、ということらしい。司会の磯田道史はそのような武四郎を称して「蝦夷オタク」と呼んでいた。武四郎は吉田松陰とも面会したことがあるが、その人物は松蔭から見ても「奇人」と呼ばれるほどのものであったという。

 

蝦夷地に分け入り、アイヌの実態をつぶさに見聞きした武四郎は、アイヌについて「彼等の人格には尊い部分が少なくない」と記している。磯田道史によると、アイヌには儒教道徳が行き渡っていないため、幕府は徳をもってこれを「教化」する必要があると考えていたという。儒教を知らないアイヌはそれだけ遅れた人々だと考えていたのである。

 

しかし武四郎はそのような幕府の見方には従わず、あくまで自分が直接接したアイヌの有り様から彼等に尊敬の念を向けている。これこそが内向性だ。幕府の権威よりも、あくまで内的に自分がどう感じたかを武四郎は優先している。儒教など知らなくても、アイヌにはアイヌの倫理があるのだ。

 

 そのような武四郎の考えは、やがて彼を幕政批判に向かわせる。武四郎は函館で幕府の役人がアイヌに月代を剃らせるなど、和人の風習を強要するところを目にしている。このような幕府の姿勢に対し、武四郎はアイヌの酋長が「このようなことばかりしていたら、異人がこの地に攻め込んできたときアイヌは幕府に従わなくなってしまう」と毅然と反論したことを著書の中で紹介している。武四郎は石狩の漁場の番人がアイヌの男を釧路に送ったあと、その妻を犯し梅毒まで移したことを記録している。彼の著作は「三分の一が和人の悪口」だと言われるほど、和人の悪行が多く記されていた。

 

江戸幕府の統治体制では、政治批判は許されない。このため武四郎の書物も刊行されることはなかった。前近代の社会において政府を批判するのは命がけの行為だ。これもまた、自分の内的基準こそを第一とする内向性の表れだったに違いない。

 

話は変わるが、はてなブログでは2年ほど前、カネの話をするブロガーが増えた、ということが話題になったことがある。今はもう収益報告なんて当たり前すぎて話題にすらならないが、あの頃はまだそういうことを気にするほどにエモさというか、個人の思い入れに重点に置いたブロガーが多かったのだろうと思う。

個人の思い入れを語ることこそが大事だ、というのは内向性だ。これに対し、収益という目に見える外敵基準を大事にするのは外向性の現れだ。お金の話ばかりするブログに反発を感じる人達は、それまでブログ界では多数派ではなかったお金という外敵基準をこの世界に持ち込まれることに脅威を感じていたのかもしれない。内向性と外向性のせめぎ合っていた当時の記録はこのブログでも残している。

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