明晰夢工房

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講談社『興亡の世界史』シリーズのおすすめの巻を紹介してみる

なにか面白い世界史の本ってないの?という方におすすめしたいのが、講談社の『興亡の世界史』シリーズです。これはなかなか意欲的なシリーズで、世界史本によくあるイギリスやドイツ、中国と言った国ごとの単位で歴史を見るのではなく、もっと広い視野で国同士や民族の関わりを描き、巨大な歴史のうねりを体感できる内容になっています。

 

最近は文庫化もされていて手に取りやすくなっているので、このシリーズで今まで読んだ卷の内容について一通り解説してみます。といっても7巻分だけですが、今後の読書計画の参考までにどうぞ。

 

 

 1.アレクサンドロスの征服と神話

 

 

この中でどれか1冊だけに絞るなら間違いなくこれ。私は大腸の手術で入院するときにこれを持っていきましたが、再読に耐える本で一週間の入院期間中に何度も読み返しました。

 

本書はアレクサンドロスを扱っていながら、彼の一代記にとどまらない広い視野を持つ内容になっています。ギリシアとペルシアの関係性やマケドニア史を丁寧に叙述し、アレクサンドロス登場以前の世界がどのようなものだったのかがわかりやすく解説されます。

特筆すべきは、アレクサンドロス父フィリッポスの業績がかなり詳しく書かれていることです。アレクサンドロスの率いていたマケドニアファランクスも、フィリッポスの軍事改革により生み出されたものでした。軍事面ではテッサリアトラキアを征服し、内政ではパンガイオン金山を開発し、征服した土地の住民を強制移住させて農地の開墾を進めるなどの手腕を発揮しています。コーエーSLGなら政治と戦争と智謀が全部90を超えるくらいの人です。

 

アレクサンドロスの業績は巨大ですが、それはあくまで父フィリッポスの築き上げた基盤の上に成り立っているものでした。フィリッポスの作り上げた世界最強の軍隊をもって、アレクサンドロスはペルシアへの東征を進めることになります。

その過程は省略しますが、本書では大王の東征の結果として起こったヘレニズム文化についても再考しています。このヘレニズムという概念はギリシア中心主義を内在させているという問題提起が本書では示され、ガンダーラ美術はアレクサンドロスの東征より400年近い隔たりがあるという事実を指摘し、あくまでギリシア、イラン、ローマの3つの文化によって成り立っているものであると説明されています。その意味で、本書はアレクサンドロスの「ギリシア文化の伝道者」としての姿に修正を迫るものでもあります。

 

個人的に一番興味を惹かれたのが、ギリシア文化の最東端となったアイ・ハヌムの遺跡。バクトリアではギリシア文化は地元に根づいたものではなかったのではないかというのが著者の見解です。この遺跡もメソポタミア文化の影響が濃く、ギリシア文化一色というわけではありません。こういう点など、東西交渉史や中央アジア史に興味のある方にもおすすめしたい本です。

 

2.スキタイと匈奴 遊牧の文明 

 

 

 およそスケールの大きさという点で、遊牧民の活動を上回るものはあまりないでしょう

。本書は歴史というよりは考古学の話が多いですが、スキタイと匈奴という共通点の多い遊牧民の活躍を考古学から裏付けることで、世界史の醍醐味を存分に味あわせてくれます。

 

スキタイというと黒海の北方に住んでいたというイメージが強いですが、本書を読むと広義のスキタイ文化というものはもっとはるか広い地域に分布していたということがわかります。

スキタイ文化の起源はアルタイ山脈のあたりにあると言われていますが、この地域から出土する考古資料から、ヘロドトスの『歴史』に著されているのと同じ生活習慣をもった人々が黒海からはるか離れた土地に住んでいたことがわかります。文献史料が考古学に裏付けられるというのはたいへん面白い。

 

匈奴については知っていることも多かったですが、ここでも大事なのは考古学で、出土品によると匈奴の領域内でもどうやら農業が行われていたようです。とは言っても匈奴が農耕に従事していたのではなく、中国からさらってきた農民を強制的に働かせていたのだろうと推測されています。

遊牧だけでは生産が安定しないのでやはり農業も大事。でも匈奴は農耕民を見下しているので自分ではやらない、という推測がここでは成り立っています。少ない史料から想像力を駆使して匈奴の実像に迫るという愉しみがここにはあります。

 

匈奴は結局フン族になったのか?という部分の考察もけっこう詳しく、この問題や末期のローマ帝国史に興味がる方でも楽しく読める内容になっています。これを読んだ限りでは、匈奴がフンになったかどうかはまだ証明できないようです。

 

3.モンゴル帝国と長いその後

  

 

中央アジアの話がなぜか多い興亡の世界史シリーズですが、本書もその一冊。著者はモンゴル史が専門の杉山正明氏。杉山氏の特徴として、一部で「杉山節」といわれるほどの強力なモンゴル肯定の歴史叙述がありますが、本書でもその特徴は遺憾なく発揮されています。

本書ではモンゴル軍のロシア侵攻について詳しく書かれていますが、北東ルーシはモンゴル軍にとっては単に「駆け抜ける」ための地域でしかなく、キプチャク草原制圧のための「ついで」の侵攻に過ぎなかったと説明されています。

土地が痩せていて人口も少ないロシアはモンゴルにとって全く魅力的ではなく、大した旨味もないから間接支配で満足していたのだそうで、モンゴルの虐殺などというものはロシア愛国主義の作り出した創作にすぎない、とも書かれているのですが、ロシア史家から見ればこの点は異論もあることでしょう。その点については『ロシア・ロマノフ王朝の大地』を読めば、また別の視点からとらえることができます。

 

「その後」と書かれているだけあって、本書ではモンゴルがユーラシアの大部分を制覇した後の歴史についても触れられています。ティムールもチンギスの末裔の婿として振る舞わなければいけなかったし、ティムールの子孫が建設したムガル帝国の「ムガル」もモンゴル。そしてダイチン・グルン(大清帝国)もまたモンゴルの後継国家、という歴史観が示され、いかにモンゴルの影響力が巨大であったかが語られます。このあたりはモンゴル史家の面目躍如といったところでしょうか。

 

全体としてはモンゴル史というよりも遊牧民の文明論という色彩が強く、モンゴル史を学ぶための最初の一冊としては向いていませんが、世界史を遊牧民の側から見直したい方、杉山氏のファンの方なら楽しめる一冊だと思います。モンゴル史を一から知りたい方はこちらのほうがオススメ。

 

 

4.オスマン帝国500年の平和

 

  

私が子供の頃はまだ「オスマントルコ」だった記憶のあるオスマン帝国。どうして「トルコ」がなくなってしまったのかは、本書の冒頭を読むとわかります。オスマン帝国というのは多数の民族の混成体であって、トルコ人だけのものではなかったからです。

アナトリアオスマンが興ったころには、トルコ系やモンゴル系に加え、ビザンツ帝国の傭兵すら存在していました。この雑多な集団がバルカンに進出し、やがてビザンツ帝国を滅ぼして大国に成長する過程を一通り描いた後、オスマンの文化と帝国支配のしくみについて解説しています。

 

際立った特徴はありませんが、オスマン帝国の概説書として手堅い出来で、高校世界史程度の予備知識があれば読み進められる良書だと思います。著者の林佳世子氏は世界史リブレットから『スレイマン1世』を出す予定だそうですが、一体いつ出るのか。

 

5.ロシア・ロマノフ王朝の大地

  

 

ロシア史の通史ってあまり日本にはありませんよね?本書はこのようなタイトルですが、実際読んでみるとキエフ公国からソ連に至るまでのロシア史の通史でした。配分はロマノフ朝についての部分が一番多いですが、個人的にはロマノフ朝崩壊以後はいらなかったように思います。

 

国単位で歴史を切り分けないのがこのシリーズの魅力だと書きましたが、ロシアくらいの大国になると通史を書くだけで十分に「世界史」になります。その「世界史」とロシアとの関わりとして外せないのがモンゴルの侵攻と「タタールの軛」ですが、この出来事は先に紹介した『モンゴル帝国と長いその後』とは異なり、ロシアにとっては国土を徹底的に荒廃させたかなり重大な出来事だと書かれています。やはり歴史は片側だけから見てはいけないんでしょうね。

キエフの人口は大幅に減少し、交易路が断ち切られて経済が停滞し、手工業も大打撃を受けるなど、ロシア史家から見るとモンゴルの負の影響力は甚大のようです。このようにモンゴルによってロシア南部のステップ支配がこの地域を衰退させたため、権力の中心は北東部のモスクワに移ることになりました。こうして次のモスクワ・ロシア時代が始まることになり、その権力はロマノフ朝にも受け継がれます。

 

ロマノフ朝の部分がやはりメインなので、代々の皇帝の業績や人間像も詳しく知ることができます。ピョートルやエカチェリーナのような有名どころからパーヴェル帝やエリザヴェータのようなマイナーな皇帝までこれ一冊でおさえられます。中でもピョートルの存在感がとにかく凄い。もうこの人は怪物。伝統の破壊者という点では信長なんて比較にもならないレベル。

全体として文章が読みやすく、モンゴルの巻のように癖もないのでロシア史の概説として間違いのない一冊だと思います。著者の土肥恒之氏は世界史リブレットから『ピョートル大帝』も出していますが、こちらもコンパクトながら内容が濃いのでおすすめです。

  

 

 

6.シルクロード唐帝国

 

 

こういうタイトルですが、中身はソグド人三昧。ソグドは凄い、という主張に尽きる一冊。いいですね、こういう徹底的に著者が言いたいことを語り倒す本は好きです。もっとも、読者がどこまでついていけるかは疑問なのですが。

 

モンゴル帝国と長いその後』もそうでしたが、本書も中央アジアの視点から歴史を見直す、という趣があります。唐という大帝国だって最初は突厥に圧迫されていた。その突厥で外交に軍事に活躍していたのがソグドだから、ソグドは凄い。シルクロードの交易を担っていたのもソグドだから、やっぱりソグドは凄い。そして唐に反旗を翻した安禄山もソグドの血を引いているからソグドパワーは凄い。そんなことが書かれている本です。ソグドが好きな方ならたまらない一冊でしょうね。

 

一方、本書を「唐とシルクロード」という言葉から連想される西域趣味というか、歴史のロマン的なものを求めて読むと少々当てが外れてしまうかもしれません。ソグドがこの時代における極めて重要な存在だったことは間違いないのですが、奴隷売買文書に一章割くなどむしろ専門書に近いような内容もあり、これを概説書として勧めるのは少々戸惑うところもあります。中央アジア史やソグド人に興味のある方には間違いなくおすすめですが、そうでない方にはちょっと敷居は高いかもしれません。

 

 7.通商国家カルタゴ

 

   

カルタゴと言えばハンニバルハンニバルと言えばポエニ戦争。そんなイメージってありませんか?そういうイメージがあるのは結局、カルタゴという国はローマのライバルとして語られてきたからです。

本書でも対ローマ戦争やハンニバルの活躍にも十分にページを割いていますし、その部分は戦記としても楽しめるわけですが、この点についてはローマ人の物語の『ハンニバル戦記』などでもかなり語られてきたところなので、あえてそこを求めて本書を買う必要もないかな、とは思います。

 

それよりも、本書の価値はむしろ前半にあります。カルタゴという国はもともとフェニキアの都市テュロスの建設した植民都市ですが、本書ではテュロス時代からのカルタゴの歴史が詳述されています。

地中海文明というと、私達が想像するのは主にギリシャやローマですが、そもそも地中海の歴史はメソポタミアやエジプトの影響を受けながら東方から開けたものです。本書ではカルタゴの歴史を通じて、ギリシャやローマの影に半ば隠れてしまっているフェニキア人の活動を活写します。したたかな商人であり、ハンノのアフリカ探検に見られるように優れた航海技術も持っていたカルタゴの姿を、少ない史料から浮かび上がらせるよう最大限の努力が払われています。

 

カルタゴでは幼い子供を生贄に捧げる儀式が存在したと言われるとおり、現代人から見たカルタゴのイメージはあまり良いものではありません。ですが、こうしたカルタゴ像の多くが結局ローマ側からもたらされたものです。本書ではそうしたカルタゴのイメージを完全に覆しているわけではないものの、ギリシャやローマの影に半ば隠れてしまっているフェニキア史の一部としてカルタゴの姿を浮かび上がらせることに成功しています。

全体として文章も読みやすく、世界史のマイナーな部分に光を当てた好著だと思います。個人的には最初に挙げた『アレクサンドロスの征服と神話』に並ぶ面白さだと感じました。興亡の世界史シリーズの中でも特に推奨したい一冊です。

 

8.大英帝国という経験

 

興亡の世界史 大英帝国という経験 (講談社学術文庫)

興亡の世界史 大英帝国という経験 (講談社学術文庫)

 

 

大英帝国、近代イギリス史を知る最初の一冊としてはおすすめできませんが、この時代についての一通りの知識があるならかなりおすすめできる本です。政治史よりも社会氏に重点が置かれていて、イギリス本国よりもスコットランドアイルランド南アフリカ戦争や奴隷解放、植民地や移民、そしてレディ・トラベラーなど、帝国の周縁や虐げられた人々にスポットが当てられているため、大英帝国という国家を多角的に理解することができます。

大英帝国のなかのカナダという地域に言及している本は少ないので、これを書いてくれている本書はそれだけでも価値があります。ヴィクトリア時代に関心をもつ方には文句なしにおすすめできる一冊です。

この本の内容についてはこちらでくわしく紹介しています。

saavedra.hatenablog.com