明晰夢工房

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「精神の自給率」が高い人が最強という話

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「精神の自給率」が高い人が一番幸せ

 

ウェブで小説などをやっていると、次第に周りではプロになる人というのが出てきます。

なんらかのコンテストで受賞したり、そうでなくとも編集の人の目にとまり、投稿サイトにアップしていた小説が書籍化する。創作を手がける人なら、一度は憧れる到達点です。

本当はそこから先が大変だし、ずっと作家であり続けるには大きな苦労が伴うものなのですが、それでも自作が書籍として店頭に並ぶ、これは大きな喜びでしょう。

 

そこにたどり着けた人に対し、正直、羨ましさは感じます。何しろ私には無縁なことですから。

ですが、創作をしている人ではプロになれた人が一番羨ましいのか?と言われると、それは違います。

それで稼げるという点はたしかに大きなメリットなのですが、私にとってはそれよりも、「創作物の評価で揺らがない人」の方が、よほど羨ましいと感じるからです。

 

「創作物の評価で揺らがない人」と言うのは、言い換えれば「自分が好きなことを書いていればそれで幸せ」という人のことです。

他者から褒められるかどうかは関係なく、幸福を自給自足できているタイプの人。

幸せのために賞賛やお金という外からの承認を補給しなくてもいいから、とても経済的。

こういう人のことを、私は「精神の自給率が高い人」と呼んでいます。

 

 

 

この「精神の自給率」という言葉は、この本の中で小池龍之介さんが使っている言葉です。

これは精神的な充足度、といった意味ですが、本書ではまず人間の心の仕組みとして「自己承認は成り立たない」ということが説かれています。

いくら自分で自分を褒めてみても、それは単に自分でそう思い込もうとしているだけなので、どうしてもどこか虚しさが募る。

自分の靴紐を自分で持ち上げて空を飛べないように、自分で自分を承認することには限界があります。つまり、精神の自給率は構造上どうやっても100%にはならない、ということです。

 

不幸アピールをする人は本当に不幸

 

だとすれば、充足度の足りない分は他者から受け取らなければいけない、ということになります。精神的自給率が低い人ほど他者からの承認が多く必要になるので、創作をしている人ならそれだけ多く賞賛されないと辛いし、作品で人目を引く手段を持たない人は不幸アピールをしてみたり、炎上するようなエントリを書いてみたりと、いろいろな手管を使うようになります。

 

自分は不幸だと語る人に対して、「貴方はそうやって同情を引きたいだけだ、本当に不幸な人はもっと他にいる」という人がいますが、不幸アピールをして人の気を引こうとする人は「精神の自給率」がとても低いだろうから、そういう人はやはり不幸なのだと思います。幸せなら、そんな形で興味を持ってもらう必要がないのですから。

 

このように精神の自給率が低い人であっても、他者からたくさん与えられているために今は幸せ、ということはもちろんあり得ます。ですが、他者からの承認はいつ失われるかわかりません。

ずば抜けた小説の才能を持っていて、かつ精神的自給率が低い人、というケースを考えてみます。こういう人の場合、才能は優れているので他者からの承認は得やすく、プロとしても稼げる。しかし、常にたくさんの評価を外部から補給しなければいけないので、小説の評価に一喜一憂しなければならず、精神的には不安定になりやすい、という構造的弱点を抱えています。外需依存の精神経済は脆い。

 

こういう人よりも、たとえアマチュアで作品の質は低くても、精神的自給率が高いために好きなことを書いていればそれで幸せ、というタイプの方がよほど幸せにはなりやすいのです。

あまり人目を気にしないので技術的向上という点では不利かもしれませんが、そもそも上手くなって褒められることを必要としていないので、それでも無問題。幸福という観点から見れば、これこそ最強です。自分の足で立てる人が一番強い。

 

「精神的自給率が高い人」と「精神的自給率は低いがたくさんもらっている人」の区別はつきにくい

とはいえ、この「精神的自給率が高い人」というのも、あくまで私にはそう見える、というだけの話です。その人が創作物の評価を気にせずにすむのも、実は私生活が幸せであるために気にしなくていい、というだけのことかもしれません。本当は精神的自給率が低くても、他者からたくさん受け取っているから見かけ上は高く見えるだけ、という可能性もあるのです。

 

saavedra.hatenablog.com

以前、アイドルに「ガチ恋」をしている人のことについて書きましたが、これは精神の充足度が足りない部分をアイドルの存在によって埋める、という行為です。この「ガチ恋おじさん」を批判する人たちは、 パートナーなどを心の拠り所にできるためにアイドルにガチ恋せずにすんでいるようでした。この人達がもし精神的自給率の低いタイプなら、パートナーを失ったら他になにか精神のよりどころが必要になります。アイドルに救いを求めるかどうかは別としても。

 

他者から多くを受け取っているために見かけ上精神的自給率が高く見えるタイプの人は、自給率が低くてもその自覚は持てないかもしれません。その自覚がないままに他者から受け入れられつつ生きられるのなら、それはそれでひとつの幸せです。

 

精神的自給率と幸福度の関係を4タイプに分けて考えてみる

あくまで主観ですが、ここで精神的自給率の高さと幸福度がどう関係するかを4タイプに分けて考えてみます。タイプは以下の4つです。

 

1.精神的自給率が高く、かつ承認を得やすいタイプ

2.精神的自給率は高いが、承認が得にくいタイプ

3.精神的自給率が低いが、承認が得やすいタイプ

4.精神的自給率が低く、承認も得にくいタイプ

 

私は、1>2>3>4の順番で幸福度が高くなると考えています。

まず精神的自給率が高いことが大事で、そのうえ社交性やなんらかの才能に秀でているため承認が得やすい1のタイプが一番幸福。3のタイプは外から承認は得られるものの、精神的充足が外需頼みなのでこれを維持するためのコストがかかり、しかも状況次第ではいつ承認が得られなくなるかもわからず、4に転落してしまう危険があります。そして、4に転落したらもっとも不幸。自給率が低い上、外から補給する手段もないからです。

 

多くの場合、今不幸だと嘆いている人はタイプ4の人だと思います。そしてこのタイプ4に対し、幸せになりたいのなら認められる努力をしろ、こっちはそれを必死でやっているんだ、と言うのがタイプ3の人です。外部から承認を得ているためにタイプ4よりは幸せですが、幸せが外需頼みであるために不安定であることはタイプ4と変わりません。

一方、タイプ2の人からするとタイプ4の悩みが、どうしてそんなに人から褒められたりモテたりする必要があるの?別に貴方は貴方でいいじゃない?と理解不能なものになります。これは本音を言っているだけですが、タイプ4には冷たいアドバイスに聞こえるかもしれません。タイプ1がこう言っていた場合はもっと冷たく聞こえます。貴方は才能や交友関係に恵まれているからそう言えるんだ、とタイプ4には見えてしまうからです。

 

自己啓発と仏教のアプローチは真逆

大雑把に言うと、自己啓発というのはタイプ4の人に対してタイプ3を目指しなさい、と言っているように思えます。今自分に地位なり名誉なりパートナーなり、足りないと感じるものがあるならそれを手に入れるよう努力すればいい。自己啓発はそのためのノウハウやマインドセットを教えます。精神的自給率が低ければ、これを埋めるものを手に入れることこそが幸福だと思えるのだからこれは当然のこと。

 

一方、仏教的アプローチはタイプ4にタイプ2を目指すよう教えているようです。世の中は諸行無常で、外から得られる幸せはいつ失われてしまうかわからない。だとすれば、精神の自給率を高めて外需に頼らない幸福を手に入れたほうが、より本質的な幸せに近づきます。上記の『”ありのまま”の自分に気づく』で、小池さんは精神の自給率を高める方法について次のように紹介しています。

 

嫌なことが忘れられないのなら、「忘れられないのだね」と微笑みとともに気づき、承認してやる。うれしいときにも、「嬉しいのだね」と気づき、承認してやる。リラックスした時は、「リラックスしているのだね」と気づき、承認してやる。「良い」「悪い」という主観的判断は捨てて、ただ無条件に「そうなのだね」と承認するのです。

私達の心は、このようにいつも気づいてもらい、見守り承認してもらっているということを通じてこそ、安心感や幸福感を自給自足し始めるのです。

 

心理療法にもこれと似たノウハウがあるので、これは実際に有効だと思います。

しかし切ない話ですが、本書ではこの方法でまずは精神的自給率50%くらいを目指しましょう、と説かれているのです。修行僧でもない一般読者にはそのあたりが無理のない目標だろう、ということです。

我々凡人はカーズ様のような究極生命体ではないので、 完全に自分で自分を満たすことはできません。足りない部分は、やはり他人に満たしてもらうことになります。精神自給率100%なんて、悟りでも開かない限り無理かもしれません。

 

タイプ3を目指すから得られるものもある

もしそれが可能であるとして、本当はタイプ4の人はタイプ2を目指したほうが、長期的には幸せにはなれそうです。

例えばタイプ3を目指すために創作の世界で成功することを夢見ると、なかなか辛いことになりそうです。成功すれば得られる名誉は大きいものの成功率は低く、成功するまで辛い状況が続きます。一度成功してプロになれたとしても、精神的自給率が低いままならずっと高い評価を得続けるよう努力しないといけません。

 

それくらいなら、精神の自給率をあげることで夢は叶わなくとも幸せな、あるいはそもそも夢を見る必要がない状態を目指すのもアリでしょう。ですがこの場合、他者に認められたい、賞賛されたいという切実な動機が失われ、その結果として世に出るはずだった素晴らしい作品が生み出されなくなることもあるかもしれません。

 

togetter.com

そもそも、人は一人では完全に自分を満たせないからこそ他者を求めるという側面があります。彼氏は貴方の心を埋める道具じゃないんだ、と言われたところで、人の精神的自給率はまず100%にはなりません。

もし、人間の精神的自給率が皆100%になる世界があったら、それはどういう世界なのか?そうなったら他者を求める心が失われて結婚する人は激減し、少子化が進むだけではないだろうか?という気もします。

 

精神の自給率を高めるというのは、いわば精神のミニマリストを目指すような道です。幸せを得るために地位も名誉もパートナーもいらないのなら、メンタルヘルス的にはとてもいいことです。ですが、あくまでそうした俗な欲求を追求することで経済が回り、社会が維持されているという点も見逃せません。

あえて外部からの承認を目指すことで満足したいという方向性を目指すのもまた人間らしさですし、私もまたそのような煩悩が生み出した創作物を味わいつつ生きている以上、このある種のバグを抱えているとも言える人間の仕様もまた、味わい深いもののように思われるのです。