明晰夢工房

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呉座勇一『陰謀の日本中世史』が学会の大物から在野の研究者まで撫で斬りにしている件

これは凄い。

880円の新書でありながら保元・平治の乱から関ヶ原の戦いに至るまでの中世史の概要を学べる。

しかも通説や俗説をきちんとした学問的証拠をあげて次々と論破し、読者に陰謀論とは異なる、最新の歴史的知見を与えてくれる。

そして最終章ではなぜ歴史の世界にも陰謀論がはびこるのか、明快に説明してくれる。

これほどコストパフォーマンスの高い一冊はなかなかありません。

 

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

 

 『応仁の乱─戦国時代を生んだ大乱』が思いがけずベストセラーとなった著者の呉座勇一氏が、今回は日本中世史をテーマに、鋭い学問の刃で俗説や通説に切り込みます。

冒頭の保元・平治の乱などはややマイナーですが、頼朝と義経の確執の真因や足利尊氏と後醍醐の関係、前著でも扱った応仁の乱、そして本能寺の変と多くの話題を取り扱っているので、およそ歴史に興味のある方ならなにか引っかかるテーマがあると思います。

 

これを読めば日本中世史のイメージが大きく変わる

本書を読んでいて驚いたのは、最新の歴史学の知見と、多くの人がもっている歴史的事件のイメージとはまるで異なっていることが多い、ということです。

例えば、源義経という人物は一般的には政治的感覚に乏しく、頼朝の許可も得ずに勝手に後白河法皇から官位をもらったために兄弟の間に不和を生じた、ということになっていますが、実は義経が官位をもらうことを頼朝は認めていたらしいのです。

こうした義経の昇進に対して、頼朝が叱責をくわえた形跡は見られず、むしろ頼朝側近の大江広元の協力が確認される。菱沼一憲氏は、義経検非違使任官は頼朝の同意を得た、あるいは頼朝の意志を含んだものと主張している。

ではなぜ義経検非違使任官が頼朝との決裂の原因になったと考えられていたかと言うと、歴史を結果から逆算して考えるからだと呉座氏は主張します。私達は、後に頼朝が義経と対立した歴史を知っているので、それ以前の義経の行動が頼朝と不和を招く原因のように見えてしまうのです。

後白河にしても、別に頼朝との対立を煽りたくて義経に官位を与えたわけではありません。義経検非違使に任官した時点ではまだ西国に平氏が存在していたので、このタイミングで源氏を分裂させても意味がないのです。後白河=陰謀家というイメージは、大河ドラマなどで刷り込まれたイメージに過ぎないようです。

 

時代は下って、後醍醐天皇の行動についても興味深い記述があります。

 後醍醐という人は正中の変・元弘の変と二度も倒幕を計画して失敗したということになっていますが、実はこのうち正中の変については後醍醐は黒幕ではなく被害者だった、という説が紹介されています。つまり、この時点では後醍醐は倒幕など考えておらず、誰かが後醍醐を皇位から引きずり下ろすために倒幕を計画していると噂を流した、というのです。

それが誰なのか?はここでは書きませんが、事実かどうかも疑わしいのになぜ後醍醐は二度も倒幕を企んだことになっているのか。これもやはり、結果から逆算して歴史を見ているからです。後醍醐という人物には独裁的で非妥協的というイメージがあるので、それを過去に投影すると一度倒幕に失敗しても諦めずに再び倒幕に立ち上がる後醍醐、という人物像が立ち上がってきます。ですが、義経についても見たとおり、結果論で歴史を語ることは往々にして史実を歪めてしまうことにもなるのです。

 

そして、後醍醐と足利尊氏の関係についても新知見が示されます。北条高時の遺児時行が中先代の乱を起こし鎌倉を一時奪還したとき、尊氏は出陣の許可を後醍醐に求め、さらに征夷大将軍の地位を要求しています。これは一般的に尊氏の武家政権樹立への第一歩と見られているものですが、実はそうではなく、北条時行に対抗するためには征夷大将軍の権威が必要だったということに過ぎない、というのです。鎌倉を奪回した尊氏は勝手に恩賞を与え始めますが、これもあくまで関東の秩序を安定させるために必要な措置であって、後醍醐に反抗する気など尊氏にはなかったと解説されています。

 

尊氏はこの後、後醍醐によって謀反人とされてしまい、後醍醐は新田義貞に尊氏の討伐を命じています。しかし、弟の直義が出馬を促しているにもかかわらず、尊氏は後醍醐に恭順を示すと言って出家してしまいます。尊氏に最初から後醍醐に対抗する野心があったなら、これは非常に奇妙な行動に映ります。この矛盾を説明するため、中世史家の佐藤進一氏は「尊氏は遺伝性の躁鬱病だったのではないか」と推測しています。

 

日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)

日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)

 

 

佐藤進一氏は中公文庫の日本の歴史シリーズ『南北朝の動乱』の著者です。この巻はシリーズの中でも名著と言われており、この「尊氏躁鬱病説」も広く知られていますが、もし尊氏にもともと後醍醐に対抗する野心がなかったとするなら、彼の行動はなんの不思議もないことになります。呉座氏は本書の中で亀田俊和氏の説を引きつつ、「尊氏は現状に満足して、天下取りの野望など持っていなかった」としています。そして佐藤氏の推測に対しては、精神疾患者への差別につながりかねない危険な発想」と厳しく批判しています。

尊氏にはもともと野心があったというのも、結局、後に彼が幕府を樹立したという結果から逆算した推測です。いかに我々が後世の立場から歴史を見ることに慣らされすぎているのか、ということが、本書を読むとよくわかります。そしてこれが陰謀論がはびこる原因の一つとなっているのです。

 

いちばん力の入っている本能寺の変に関する陰謀論批判

このようにいくつもの新鮮な歴史像を提示してくれる本書なのですが、やはり一番力の入っているのは六章の「本能寺の変に黒幕はいたか」です。おそらく多くの読者の一番の関心もここにあるでしょう。本能寺の変については在野の研究者が多くの自説を発表していますが、それらの中には光秀以外の黒幕の存在を想定したものがいくつもあります。本書ではこれらの黒幕説についてそれぞれ批判を加えていくのですが、面白いのは黒幕説が誕生した経緯です。

光秀が本能寺の変を起こした動機として、要は天下取りの野心があったからだ、という説は古くから存在しています。これに対し、黒幕説というのは光秀は単独で主君を殺すような大それた真似ができる人物ではない、だから黒幕がいるはずなのだ、という前提があります。しかしそう考えるのは本書の帯にも書いてありますが「光秀をバカにしすぎ」というのが著者の主張です。呉座氏は9.11テロについてもこう述べています。

人間は大きな結果をもたらした大事件の原因を考察する場合、結果に見合うだけの大きな陰謀主体を想定しがちである。9.11テロに関しても、アメリカの自作自演という陰謀論があった。アルカイダ程度のテロ組織が超大国アメリカに痛打を浴びせられるはずがないという違和感が陰謀論の発端になっているのだろう。

このような見解を披露したうえで、著者は様々な黒幕説に切り込んでいきます。朝廷黒幕説や足利義昭黒幕説、イエズス会黒幕説などが取り上げられていますが、イエズス会黒幕説については「荒唐無稽すぎる」と一蹴されています。秀吉黒幕説も以前から存在していますが、これについても「事件によって最大の利益を得たものが犯人である」という推理から導かれたものに過ぎないと書かれています。

 

この章で特に力が入っているのは、明智憲三郎氏の「家康黒幕説」(ご本人はこの呼び方を嫌っていると書かれていますが)への批判です。明智氏は明智光秀の子孫としてメディアにも出演しており、『本能寺の変 431年目の真実』など著書も話題になっているからでしょうが、明智氏への批判は約15ページにわたって展開されており、数ある黒幕説の中でも特に念入りに検討されています。

明智氏の説というのは、本来光秀を使って家康を討とうとしていた信長が、逆に家康と共謀した光秀に殺されてしまった、というものです。勢力を拡大しつつある家康に脅威を感じた信長がこれを始末しようとしたというのが明智氏の主張ですが、呉座氏はまずここに突っ込みます。武田氏が滅びてしまっても、信長が北条氏と対峙するうえでまだ家康の力は必要なのだし、謀反を口実にして家康を誅殺したとしても他の家臣も信長の粛清を恐れて織田政権が瓦解してしまう、と呉座氏は主張します。これはもっともな主張だと思います。

 

また、光秀がどうやって家康を味方につけるのか、という問題もあります。呉座氏は大して親しくもない光秀に信長が貴方を殺そうとしていると言っても家康がそれを信じるのか、と疑問を呈しています。家康が光秀の話に乗らず、逆に信長に光秀が協力を呼びかけてきたことを暴露すれば光秀は一巻の終わりです。これは本書では何度も指摘されていることですが、陰謀というのは成功させるためには協力者を限定しなくてはならないのです。黒幕説を主張する人たちはこの点を軽視している、というのが本書の主張です。誰かと共謀する時点で陰謀が発覚するリスクが高くなるのだから、よほど強固な信頼関係を築いている相手とでなければ共謀などできません。そして、光秀と家康はそこまで強い絆で結ばれているわけではないのです。

 本書にも書かれているとおり、本能寺の変を成功させるには、信長と息子の信忠を同時に討つ必要があります。長男の信忠が生きていれば、信忠を中心に家臣が結束してしまうからです。信忠は本来は家康の接待役として堺に行くつもりでしたが、予定を変更して信長を迎えるため京に留まることにしています。京に信長父子が同時に存在するという千載一遇の好機が、幸運にも訪れたのです。この状況は黒幕などの存在で作り出せるものではない、と呉座氏は主張します。光秀はこの機会を逃さず、すばやく単独で行動を起こしたというあたりが事の真相のようです。

陰謀論を批判しても歴史学者の業績にはならない

このように、歴史の世界にも数多くの陰謀論が存在しています。ですが、こうしたものを批判しても、それは歴史学の世界では業績にならないと呉座氏は書いています。本能寺の変坂本龍馬暗殺について、「ああいうもので盛り上がれるのは素人」という空気が日本史学会にはあるのだそうです。

しかし、専門家が陰謀論を取るに足らないと無視している限り、そうしたものが世の中に広まってしまいます。陰謀論とは異なりますが、東日流外三郡誌という偽書が一時話題になったことがあります。この本についてアカデミズムはほぼ黙殺していましたが、専門家からの批判が出ないためにこれを「まぼろしの東北王朝」について記した本物の歴史書だと信じていた人も少なからず存在していました。私も中学生の頃、この「東北王朝」が実在していたという本を読んだことがあって、一時期はその存在を信じかけていました。このような事態を放置しておくわけにはいかない、という動機から、本書は書かれています。

だが、すべての日本史研究者が「時間の無駄」と考えて無関心を決め込めば、陰謀論やトンデモ説は致命傷を負うことなく生き続ける。場合によってはマスコミや有名人に取り上げられ、社会的影響力を持つかもしれない。誰かが猫の首に鈴をつけなければいけないのだ。それが、本書を著した理由である。

 というわけで、これは極めてまじめな本なのです。本書を読めば、陰謀論を語ったりドラマ的な脚色を加えたりしなくても、歴史というのは生の姿のままで十分に面白いものだということがよくわかります。だからこそ、『応仁の乱』も売れたのでしょう。本書も売れるでしょうが、この本で多くの読者が本当の中世史の面白さに触れることができれば、もう陰謀論には出番がなくなるかもしれません。おそらくはそれも著者の狙いでしょう。

陰謀論フェイクニュースにだまされないためにはどうすればいいか

本書は最終章のタイトルが「陰謀論はなぜ人気があるのか」になっており、ここでなぜ人が陰謀論を信じてしまうのか、について書かれています。理由として大きいのが、「因果関係の単純明快すぎる説明」です。現実の物事の因果関係は複雑であるのに、陰謀の主体をユダヤフリーメーソンなどにすることにより、理解した気になれてしまうというわけです。

 

こう書くと陰謀論は知性の足りない人が引っかかるもののように思えてしまいますが、必ずしもそうではありません。呉座氏は本書で「インテリ、高学歴者ほど騙されやすい」と説いています。戦前日本のユダヤ陰謀論の代表格の四天王延孝は、陸軍中将にまで昇進したエリート軍人でした。教養あるインテリはオカルト本などにはふだん接していないため、その手のものに初めて接するとその内容を過大評価してしまうのだそうです。知的好奇心が強く、皆が知らない真実を知りたいという欲求を持っていることも、インテリが陰謀論に接近してしまう原因になるでしょう。

 

本書を読んでいて強く思ったのは、結局、人間とは放っておくと見たいものばかり見てしまう生き物なのだということです。後醍醐は不屈の闘士である、明智光秀は単独で謀反を起こせるような人物ではない──といった先入観があると、それに合致した史料ばかりを読むようになり、自分に都合よく過去を歪めてしまいます。こうしたバイアスから抜け出すためには、まず人が陥りやすい陰謀論のパターンを知っておくことが大事です。本書では「結果から逆算して歴史を見る」ことの誤りが何度も指摘されていますが、これなども人が犯しがちな過ちのひとつです。本書で扱っているのは歴史に関する陰謀論ですが、陰謀論者の思考形態はジャンルが変わっても同じです。相手の手管を知っておけば、トンデモやフェイクニュースに引っかかる可能性は減らせるはずです。本書で学べる内容は、様々な怪しい情報に耐性をつけるうえでも役立つものと思います。