明晰夢工房

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元号一覧や改元の理由を知ると日本は災害大国だと思い知らされる

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元号を知ると、日本史をより深く理解できる

元号 全247総覧

元号 全247総覧

 

もうすぐ元号も改まるので、最近はこの本を読んで元号の歴史について調べていました。

 

現在、元号というものを採用している国家は日本だけです。

最初の元号である「大化」以来長く使われてきた元号は、一面不便ではあっても日本のアイデンティティそのものであるとも言えます。

ですが、そのわりに、昭和にしろ平成にしろ、元号がどうやって決まるのか、その由来はなんなのか、ということを案外私達は知らないものです。

この『元号 全247総覧』では元号についてひと通り解説したのち、「大化」から「平成」に至るまで、247の元号すべての由来と改元が行われた事情について解説しています。各元号の時代における歴史的事件のかんたんな解説もあるので、これを読めば元号の変遷を振り返りつつ日本史の流れも追うことができます。

そして、元号の歴史を追っていると、あることに気づきます。それは、日本が災害大国であるという事実です。

改元の歴史は災害の歴史でもある

改元が行われるのは、国家の繁栄と民の平安を願うためです。

天皇が即位するときは当然ですが、大地震や火災、天変地異、疫病の流行などがあったとき、改元を行うことで災いを断ち切り、新しい世の中を作ることを示すという意味合いがあります。明治になり一世一元になるまでは一人の天皇が何度も改元を行うのはこのためです。

247の元号は、平均すればひとつの元号が使われている期間はおよそ5年です。これだけひんぱんに改元が行われるのは、それだけ日本には地震や飢饉、疫病などが多かったということです。そして、改元しても天災を止めることはできないので、また改元が繰り返されることになります。元号の歴史を知ることは、かつて日本人がどのような苦難に遭わされていたかを知ることでもあるのです。

 

ここでは以下、この『元号 全247総覧』の内容に従い、「災異改元(天災地変など凶兆とみられる現象を理由に新しい元号に代えること)がどれだけあるかを見ていきたいと思います。飛鳥・奈良時代は瑞祥を理由とした改元が多く、災害のために改元した例がないのでまずは平安時代から見ていきます。

 

飢饉と疫病に苦しめられる平安時代

 782 ~ 806 延暦
 806 ~ 810 大同
 810 ~ 824 弘仁
 824 ~ 834 天長
 834 ~ 848 承和
 848 ~ 851 嘉祥
 851 ~ 854 仁寿
 854 ~ 857 斉衡
 857 ~ 859 天安
 859 ~ 877 貞観
 877 ~ 885 元慶
 885 ~ 889 仁和 改元後に巨大地震が発生
  
 889 ~ 898 寛平
 898 ~ 901 昌泰
 901 ~ 923 延喜
 923 ~ 931 延長 日照りと水害・疫病のため改元
 931 ~ 938 承平
 938 ~ 947 天慶 平将門の乱藤原純友の乱をきっかけに改元
 947 ~ 957 天暦
 957 ~ 961 天徳 旱魃のため改元
 961 ~ 964 応和 内裏の火災、辛酉革命のため改元
 964 ~ 968 康保
 968 ~ 970 安和
 970 ~ 973 天禄
 973 ~ 976 天延 天変・地震による災異改元
 976 ~ 978 貞元 宮中の火災と山城・近江地方の地震改元
 978 ~ 983 天元 天変地異と厄年のため改元
 983 ~ 985 永観 旱魃や皇居の火災のため改元
 985 ~ 987 寛和
 987 ~ 989 永延
 989 ~ 990 永祚 地震ハレー彗星出現のため改元
 990 ~ 995 正暦 台風のため改元
 995 ~ 999 長徳 疫病・天変のため改元
 999 ~ 1004 長保 炎旱による改元
1004 ~ 1012 寛弘 地震による改元
1012 ~ 1017 長和
1017 ~ 1021 寛仁
1021 ~ 1024 治安
1024 ~ 1028 万寿
1028 ~ 1037 長元 疫病・旱魃改元
1037 ~ 1040 長暦
1040 ~ 1044 長久 大地震・内裏焼失で改元
1044 ~ 1046 寛徳 疾病・旱魃改元
1046 ~ 1053 永承
1053 ~ 1058 天喜 天変怪異による改元
1058 ~ 1065 康平 内裏・大極殿の火事で改元
1065 ~ 1069 治暦
1069 ~ 1074 延久
1074 ~ 1077 承保
1077 ~ 1081 承暦 疱瘡・旱魃による改元
1081 ~ 1084 永保
1084 ~ 1087 応徳
1087 ~ 1094 寛治
1094 ~ 1096 嘉保 疱瘡の治癒のため改元
1096 ~ 1097 永長 地震のため改元
1097 ~ 1099 承徳 台風・洪水・地震・彗星のため改元
1099 ~ 1104 康和 災異が続くため改元
1104 ~ 1106 長治 月食を凶事として改元
1106 ~ 1108 嘉承 彗星出現のため改元
1108 ~ 1110 天仁 鳥羽天皇即位の改元だが、改元直前に浅間山が大噴火
1110 ~ 1113 天永 天変のため改元
1113 ~ 1118 永久 天変、兵革、疫疾などによる改元
1118 ~ 1120 元永 天変と疫病による改元
1120 ~ 1124 保安
1124 ~ 1126 天治
1126 ~ 1131 大治 疱瘡流行による改元
1131 ~ 1132 天承 炎旱、天変による改元
1132 ~ 1135 長承 疫病発生のため改元
1135 ~ 1141 保延 飢饉・疫病・洪水のため改元
1141 ~ 1142 永治
1142 ~ 1144 康治
1144 ~ 1145 天養
1145 ~ 1151 久安 ハレー彗星出現のため改元
1151 ~ 1154 仁平 風水害のため改元
1154 ~ 1156 久寿
1156 ~ 1159 保元
1159 ~ 1160 平治
 
1160 ~ 1161 永暦 平治の乱により改元
1161 ~ 1163 応保 飢饉・疱瘡による改元
1163 ~ 1165 長寛 天変や疱瘡による改元
1165 ~ 1166 永万
1166 ~ 1169 仁安
1169 ~ 1171 嘉応
1171 ~ 1175 承安 天変と天皇の病で改元
1175 ~ 1177 安元 疱瘡流行による改元
1177 ~ 1181 治承 大極殿の火災で改元
1181 ~ 1182 養和
1182 ~ 1185 寿永 飢饉・兵革・病事による改元
1184 ~ 1185 元暦
1185 ~ 1190 文治 巨大地震による改元

 

10世紀後半からは明らかに災異改元が増え始め、11世紀に入ると何度も疫病が流行していることがわかります。字面に反して平安時代は全く平安な時代ではありません。彗星の出現や月食までが凶事として改元の理由になっているのが面白いところですが、迷信の中を生きる人達にとってはこれらも恐れるべきものだったのです。最後の文治が巨大地震で締められているあたり、やはり日本は地震の国なのだと痛感させられます。

鎌倉時代に入っても災害は頻発

そして、鎌倉時代に入ってもこの状況は変わりません。武士の世の中になったからといって災害が収まるわけもなく、あいかわらず災異改元はひんぱんに行われています。以下、鎌倉時代の災異改元について見ていきます。

 

1190 ~ 1199 建久 厄年のため改元
1199 ~ 1201 正治
1201 ~ 1204 建仁
1204 ~ 1206 元久
1206 ~ 1207 建永 赤斑瘡流行のため改元
1207 ~ 1211 承元 疱瘡・雨水により改元
1211 ~ 1213 建暦 
1213 ~ 1219 建保 地震のため改元
1219 ~ 1222 承久 天変・旱魃のため改元
1222 ~ 1224 貞応 
1224 ~ 1225 元仁 天変・炎旱による改元
1225 ~ 1227 嘉禄 疱瘡流行による改元
1227 ~ 1229 安貞 疱瘡・天変大風による改元
1229 ~ 1232 寛喜 天災・飢饉による改元
1232 ~ 1233 貞永 飢饉による改元
1233 ~ 1234 天福
1234 ~ 1235 文暦 地震により改元
1235 ~ 1238 嘉禎 地震により改元
1238 ~ 1239 暦仁 天変による改元
1239 ~ 1240 延応 天変・地震による改元
1240 ~ 1243 仁治 彗星・地震による改元
1243 ~ 1247 寛元
1247 ~ 1249 宝治
1249 ~ 1256 建長 内裏の火災のため改元
1256 ~ 1257 康元 赤斑瘡流行のため改元
1257 ~ 1259 正嘉 五条大宮炎上のため改元
1259 ~ 1260 正元 飢饉・疾病による改元
1260 ~ 1261 文応 天変・飢饉・疫病のため改元
1261 ~ 1264 弘長
1264 ~ 1275 文永
1275 ~ 1278 建治
1278 ~ 1288 弘安 疫病のため改元
1288 ~ 1293 正応
1293 ~ 1299 永仁 鎌倉大地震のため改元
1299 ~ 1302 正安
1302 ~ 1303 乾元
1303 ~ 1306 嘉元 炎旱・彗星のため改元
1306 ~ 1308 徳治 天変による改元
1308 ~ 1311 延慶
1311 ~ 1312 応長 病事による改元
1312 ~ 1317 正和 天変・地震による改元
1317 ~ 1319 文保 地震のため改元
1319 ~ 1321 元応
1321 ~ 1324 元亨
1324 ~ 1326 正中 大暴風被害を受け改元
1326 ~ 1329 嘉暦 天変・地震・疾病による改元


というわけで、鎌倉時代平安時代に引き続き災害の連続でした。平家物語のような無常観にみちた文学が流行したのは、こうした自然環境が影響しているかもしれません。二度目のモンゴル侵攻「弘安の役」の弘安も疫病による改元ですが、この過酷な環境のなかで外敵とも戦わなければならなかった鎌倉武士の苦労とはどれほどのものなのか、想像するのは困難です。

 

兵革(戦乱)による改元の多い南北朝時代

王朝が2つに分かれているのでややこしいですが、北朝南朝に分けて記します。

 

北朝

1329 ~ 1332 元徳  疾病などにより改元
1332 ~ 1333 正慶
1334 ~ 1338 建武
1338 ~ 1342 暦応
1342 ~ 1345 康永
1345 ~ 1350 貞和 彗星による水害疾病のため改元
1350 ~ 1352 観応
1352 ~ 1356 文和
1356 ~ 1361 延文 兵革による改元
1361 ~ 1362 康安 疫病や戦乱のため改元
1362 ~ 1368 貞治 兵革・天変・地震・疫病のため改元
1368 ~ 1375 応安 疫病・天変による改元
1375 ~ 1379 永和
1379 ~ 1381 康暦 天変・疾病・兵革による改元
1381 ~ 1384 永徳 
1384 ~ 1387 至徳
1387 ~ 1389 嘉慶 疫病流行のため改元
1389 ~ 1390 康応 
1390 ~ 1394 明徳 天変・兵革による改元

 

南朝

1329 ~ 1331 元徳   疾病などのため改元
1331 ~ 1334 元弘 
1334 ~ 1336 建武
1336 ~ 1340 延元 兵革を理由に改元
1340 ~ 1346 興国 
1346 ~ 1370 正平
1370 ~ 1372 建徳
1372 ~ 1375 文中
1375 ~ 1381 天授 山崩れによる改元
1381 ~ 1384 弘和
1384 ~ 1392 元中

 

南北朝時代には、兵革(戦乱)による改元が多いというはっきりとした特徴があります。ふたつの王朝が争っていたので当然ですが、天皇の代替わりも多いので代始の改元も多いです。そうした理由を除いてもやはり疫病による改元も多く、鎌倉時代に引き続きこの時代も民衆には生きづらい時代だったことが見えてきます。

 

改元するお金もない室町時代後期

室町時代といえば応仁の乱ですが、この時代の元号を見ていくと、実は応仁の乱以降は比較的長く使われている元号があることがわかります。しかし、それはこの時代が平和だったことを意味するのではありません。『元号 全247総覧』によると、

この当時、朝廷を支えるべき幕府は経済力も政治力も失っていった。朝廷も窮乏し、即位の礼の費用も捻出できず、天皇が譲位して上皇になったり、改元したりすることもままならない状況になっていた。そのため、この時期の元号使用期間は結構長いものが多い。

という事情があったのです。

それでは以下、室町時代元号について見ていきます。

 

1394 ~ 1428 応永 後円融天皇崩御による改元
1428 ~ 1429 正長
1429 ~ 1441 永享
1441 ~ 1444 嘉吉
1444 ~ 1449 文安
1449 ~ 1452 宝徳 彗星や暴風雨、疫病などのため改元
1452 ~ 1455 享徳 疫病のため改元
1455 ~ 1457 康正 戦乱多発のため改元
1457 ~ 1460 長禄 病患・炎旱のため改元
1460 ~ 1466 寛正 飢饉により改元
1466 ~ 1467 文正 
1467 ~ 1469 応仁 兵革が続くため改元
1469 ~ 1487 文明 応仁の乱による災異改元
1487 ~ 1489 長享 火災や病事・兵革などによる改元
1489 ~ 1492 延徳 足利義尚の死を理由とした災異改元
1492 ~ 1501 明応 疫病のため改元
1501 ~ 1504 文亀 
1504 ~ 1521 永正
1521 ~ 1528 大永 天変や戦乱のため改元
1528 ~ 1532 享禄 戦乱を理由とする改元
1532 ~ 1555 天文 疫病・戦乱のため改元
1555 ~ 1558 弘治 戦乱による改元
1558 ~ 1570 永禄 
1570 ~ 1573 元亀 戦乱による改元

 

いつからを戦国時代とするかは諸説あるのでここでは戦国時代という区分は設けませんでしたが、応仁の乱以降は明らかに兵革(戦乱)による改元が多いことがわかります。疫病や飢饉もあいかわらず多く、庶民にとっては光のとぼしい時代です。

中世の日本人はわりと簡単に人を殺してしまう民族だったようですが、その原因の一端はこの災害の多さにあるのかもしれません。飢饉が多ければ少ない食料をめぐって争いが起きます。戦国時代の戦争では「乱取り」と呼ばれる略奪が多く行われていたことが知られていますし、大名も食料の確保のため戦争をしています。

 『戦国大名武田氏の戦争と内政』にはこうあります。

戦国大名武田氏の戦争と内政 (星海社新書)

戦国大名武田氏の戦争と内政 (星海社新書)

 

 

そして、近年注目されているのが、飢饉による食料の不足を他国からの略奪でまかなう「食うための戦争」という評価である。藤木久志氏によれば、上杉謙信は秋の終わりから冬にかけて越後から関東へ侵攻し、翌年の春の終わりから夏の初め頃に越後へ戻るというサイクルを繰り返していた。これは、農作物の端境期(食料が不足する時期)の飢饉への対策として、敵国での食料確保と、農村の口減らしを目的としたものであったという。            

安土桃山時代(あまり語ることがない)

1573 ~ 1592 天正 戦乱による災異改元
1592 ~ 1596 文禄

 

天正」は比叡山焼き討ちや三方ヶ原の戦いなどの戦乱を理由とした災異改元とも言われていますが、実は信長が望んだ改元だという説もあります。

 

異国船の来航も「災異」になる江戸時代末期

戦国時代が終わり、ようやく長い平和の時代が訪れます。元和偃武から元禄文化寛政の改革、明暦の大火や天明の大飢饉など、江戸時代の年号はなじみ深いものが多いですが、室町以前に比べれば明らかに災害による改元が少なく、飢饉を理由とした改元は1回もありません。ただし「天明」のように改元後に大飢饉が起きたことはあります。

 

1596 ~ 1615 慶長 天変、地妖による改元
1615 ~ 1624 元和 
1624 ~ 1644 寛永
1644 ~ 1648 正保
1648 ~ 1652 慶安
1652 ~ 1655 承応
1655 ~ 1658 明暦
1658 ~ 1661 万治 明暦の大火を契機に改元
1661 ~ 1673 寛文 内裏焼失のため改元
1673 ~ 1681 延宝 京都大火を受けて改元
1681 ~ 1684 天和
1684 ~ 1688 貞享
1688 ~ 1704 元禄
1704 ~ 1711 宝永 地震、火災のため改元
1711 ~ 1716 正徳 
1716 ~ 1736 享保 家継死去のため改元
1736 ~ 1741 元文
1741 ~ 1744 寛保
1744 ~ 1748 延享
1748 ~ 1751 寛延
1751 ~ 1764 宝暦 桜町上皇崩御による災異改元
1764 ~ 1772 明和
1772 ~ 1781 安永 明和の大火をきっかけに改元
1781 ~ 1789 天明
1789 ~ 1801 寛政 京都の大火をきっかけに改元
1801 ~ 1804 享和
1804 ~ 1818 文化
1818 ~ 1830 文政
1830 ~ 1844 天保 京都地震が起きたため改元
1844 ~ 1848 弘化 江戸城火災のため改元
1848 ~ 1854 嘉永
1854 ~ 1860 安政 内裏炎上と異国船来航のため改元
1860 ~ 1861 万延 江戸城炎上のため改元
1861 ~ 1864 文久
1864 ~ 1865 元治
1865 ~ 1868 慶応 京都兵乱、世間不穏のため改元

 

安政の大獄のせいで有名な元号安政ですが、異国船の来航を理由として改元されたというあたりに幕末独自の特徴が出ています。朝廷にとっては、異国の船が日本にやってくることも地震や火災と同等の災厄だったということでしょう。しかしせっかく改元したにもかかわらず、この時代には安政の大地震が起こってしまいました。結局、いくら改元しても日本人は地震からは逃れられないのです。

 

一世一元の制が採用され、災異改元はなくなる

明治以降は一世一元の制が採用されたため、災異改元は行われなくなります。近代国家としては当然、災害を鎮めるために改元するようなことはできませんが、それだけに元号を変えて気分を一新する機会もずっと少なくなりました。結果として「昭和」は世界で最も長く使われた元号となっています。

 

1868 ~ 1912 明治
1912 ~ 1926 大正
1926 ~ 1989 昭和
1989 ~     平成

 

日本は言霊の国だと言うと大袈裟ですが、それでも日本人は今でもけっこう験をかついだり、縁起の悪い言葉を気にしていることが多い気がします。その理由のひとつとして、こうして長い歴史を通じて災厄を避けるための改元を繰り返してきたことが挙げられるのかもしれません。元号などすでに時代遅れだという意見もありますが、もうすぐ改元というめったにない機会を目にすることができるかと思うと、どこか心が浮き立つものもあります。これも、延々と改元を繰り返してきた日本人のDNAというものかもしれません。

 

www.jice.or.jp

こちらで書かれている通り、全世界のマグニチュード6の地震の20%が日本付近で起きるほど、日本は地震の多い国です。こうした自然災害に苦しめられてきた歴史が、元号改元の歴史でもあるのです。あまり注目されることはありませんが、災害は日本史を語るうえで欠かせないキーワードと言えるかもしれません。