明晰夢工房

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森川智之『声優 声の職人』で「帝王」がボーイズラブCDやダミーヘッドマイクについて語っていた

 

 

森川智之さんという方のことを、私はあまり詳しくは知りません。

とはいえ、岩波新書で声優を扱った本が出るとなれば気になるのも確か。

というわけで、さっそく読んでみました。

 このように帯も特別仕様で、『日本中の女子をお世話してきた「帝王」であり30年以上もトップを走ってきた実力派が語る声優論=役者論』と書いているあたり、なかなか攻めています。岩波新書創刊80周年という節目のせいでしょうか。

 

内容としては森川さんの声優としてのキャリアやトークライブの舞台裏、オーディションやアフレコの現場のことなどについて多く書かれているので基本的にはファン向けなのかな、という感じではあります。森川さん自身も書いているように、わりと順調に声優としてのキャリアを積んできた方なので苦労話などはあまり出てこなくて、業界の大変さなどもあっさりと触れられる程度です。

 

この時代にも声優ブームはありました。けれども、専門学校や養成所といった「なりたい」という器を拾い上げるための器が、現在のように整備されていませんでした。だから僕たちのころは若手声優、特に若手男性声優のなり手は不足気味で、そのせいか、どのプロダクションにも声優業界を下支えするために、会社の枠をこえて若手を育て上げようという雰囲気がありました。

 

本書で森川さんは声優の道をとんとん拍子で進んできたと語っていますが、それができたのはデビューした時期がこういう時代環境だったこともあるようです。でも本書でも書かれているとおり、今は声優になりたい人というのは何十万人もいて、オーディションを受ける権利を得られるのはごくごく一握りの人だけです。声優としてデビューできても、最初はモブ約として一言二言しゃべるだけ、という人が多いものです。

 

ですが、若手の男性声優にとっては、比較的早く知名度をアップさせるチャンスをつかむことのできる場が存在します。それが5章「帝王が目指すもの」で書かれているボーイズラブCDです。

 

いまやBLCDは、これからという期待の新人声優にとって、ブレイクのチャンスをつかむための登竜門的な位置づけになっています。アニメだと新人は一言、二言しかセリフがないという場合がほとんどですが、BLCDだと何ページにもわたって先輩と渡り合えますから。そこでファンに気に入られて仕事が増えていき、スターダムをのし上がっていくこともできます。

 

 私はこのジャンルのことは全然知らなかったのですが、森川さんは男性声優がこのジャンルへの出演を嫌がっていたり、名前を変えて出演したりしていた時期からも積極的に出演しています。CDではなくカセットテープの時期から出演していたと書かれているので相当昔からです。当時はプロが演じる場そのものが少なかったから、活躍の場が増えるのはいいことだと考えて出演を続けた結果、森川さんはBL界の「帝王」と呼ばれるようになったそうです。森川さんのプロ意識の高さがうかがえる話です。

 

『インターネットのまとめサイトによると、僕が最も男性声優の「初めて」を奪った声優になるそうです(笑)』

 

 これが岩波新書で読めるとは思わなかった。

 

森川智之さんの語る男女の違いというのも面白くて、どうやら女性の方が男性よりも声に対して敏感で、こだわりが強いようなのです。そのため、女性向けゲームやシチュエーションCDでは「ダミーヘッドマイク」というものがよく用いられています。これは、人間の頭部を模したマイクで、実際に人間が音を聞くのと同じ条件で録音するしくみになっています。

 

ダミーヘッドマイクの録音はこのようにして行います。実際に移動しながら録音するので、声優にとっては苦労の多い手法です。

(演じている水瀬いのりさんは森川智之さん経営する声優事務所・アクセルワンの所属声優です)

こういう録音手法が求められる原因について、森川さんはこう分析しています。

 

BLCDやシチュエーションCDなどを好む人の多くは女性です。女性は想像力がたくましいというか、音に対して敏感で、耳から入ってくる情報を頭の中で構築していく力がすごいと思うんです 。すべて与えられるよりも、自分で想像して補いたい。だから女性向けと言われるオーディオドラマがたくさん作られるんでしょう。

 女性とちがって男性は全部与えてほしいんです。だから男性はあまりオーディオドラマのほうにはいきません。音だけではダメで、ビジュアル込みのものを好みます。現状の男性声優と女性声優の仕事のちがいも、そんなところからくる気がしています。

 

というわけで、男性声優にとっては今後もこのジャンルの勉強は欠かせないものになりそうです。シチュエーションCDにはかなり凝った設定のものもあり、売り方次第では男性用も作れそうな気がしますが、いまのところ大部分は女性向けです。ダミーヘッドマイクの破壊力が男性にも知られたらこの傾向も変わるかもしれません。

  

カレと48時間潜伏するCD「クリミナーレ! F」 Vol.3 テンペスタ CV.森川智之

カレと48時間潜伏するCD「クリミナーレ! F」 Vol.3 テンペスタ CV.森川智之

 

 

この本では巻末に森川さんの出演作品が1989年からまとめてあって、中にはもちろんこれらのCDのタイトルも書かれています。こういうあたり、やはりファン向けに書かれているものではあるようですが、男性声優がどのように仕事に取り組んでいるのか、声優事務所も経営する著者が後継者をどう育てようとしているのか、という関心から読んでみても興味深い一冊ではないかと思います。