明晰夢工房

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百年戦争をわかりやすく解説してくれる入門書──佐藤賢一『英仏百年戦争』

歴史系の新書は、一度学者が書いたあと作家が面白く読めるように「超訳」することはできないだろうか、などと思うことがある。学者が皆宮崎市定林健太郎のような読み物としても面白い文章を書けるとは限らないからだ。

もちろんそんなことは実現不可能だが、十分な歴史知識を持つ人物が作家を兼ねていればここは解決できる。というわけで、フランス史の新書なら佐藤賢一氏の出番だ。氏はすでに百年戦争を扱った小説として『双頭の鷲』『傭兵ピエール』などを書いており、フランス史の知識をバックボーンとした正確な時代考証と、巧みな人物造形により作られたキャラクターが縦横無尽に活躍する歴史小説を得意としている。

 

そんな佐藤賢一氏が一般向けに、こみいっている百年戦争の経緯をわかりやすく解説してくれているのがこの『英仏百年戦争』だ。

 

英仏百年戦争 (集英社新書)

英仏百年戦争 (集英社新書)

 

 

なぜ、百年戦争について書かなければいけないのか。それは、デュ・ゲクランやシャルル五世、エドワード黒太子、ジャンヌ・ダルクなど多くの英雄がこの戦いを彩っているから、というだけではない。この戦争がある意味、その後の両国の歴史の流れを決定づけているからでもある。佐藤氏は本書でこう書いている。

 

無邪気な空想として、「もし」を考えてみよう。イングランド王ヘンリー五世が、もし早世していなかったら、あるいはフランスの救世主ジャンヌ・ダルクが、もし登場しなかったら、今頃イギリスとフランスはどうなっているだろうか。いいかえれば、もし英仏二重王国が成立していたら、その後の歴史はどんなふうに転んでいったものだろうか。

南のフランスに目を奪われるあまり、イングランドの関心は北のスコットランドや、さらに海を隔てたアイルランドなどには向かなかったかもしれない。ことにスコットランドから国王を「輸入」した、ステュアート町の成立などは考えにくく、同君連合が無理だとすれば、なおのこと正式統合はありえない。「グレイト・ブリテン連合王国」こと、いうところのイギリスも立ち現れないことになる。

イギリスでないイングランドにしても、フランスと歩調を合わせたことで、大陸国家の軍事は陸軍重視とならざるをえない。してみると、フランス遠征を止めたことで、ほとんど陸軍を必要とせず、その分の国力を海軍に回せたがゆえの、海洋国家イギリスはありえないことになる。七つの海に漕ぎ出すことで世界に覇権を唱えた、いわゆる「大英帝国」も成立し得ないのである。

 

これは単なる「無邪気な空想」とはいえない。百年戦争によりイギリスがフランスへの領土的野心をあきらめざるを得なかったために、後に海洋国家として発展してゆく方向へと進んだということは言える。イギリスとフランスが現代のような姿になっているのは、百年戦争の結果なのだ。それほど、この戦争の歴史的意義は大きい。

 

百年戦争は中世末期の戦争だが、中世においては現代の領域国家のような「国境」概念なんてものは存在していない。王はせいぜいその国で最も有力な封建諸侯という程度であって、婚姻によって領地が簡単に別の国のものになってしまう。王妃アリエノール・ダキテーヌがルイ七世と離婚してヘンリー二世と再婚したために広大なアキテーヌ公領がプランタジネット家のものとなり、「アンジュー帝国」が誕生したように、である。

このように、百年戦争の前段階でもすでにイングランドとフランスは争っている。しかし本書を読めばわかる通り、これは現代のようなイギリスとフランスという国民国家の争いではまったくない。というのは、はじめにフランスに攻め込んだイングランドエドワード三世もまた、「フランス人」だからだ。彼はカペー家の血を引き、フランス語を話し、フランスの王位継承権を主張している。エドワードからすればイギリス人がフランスを侵略しているのではなく、フランス人が当然手にすべき王位を手中に収めようとしているだけ、ということなのだ。

 

しかし戦争が長引くうち、しだいに国民国家としてのイギリスが姿を現してくる。イギリス史上屈指の名君と言われるヘンリー五世は、英語しか話せない王だった。イングランド王はノルマンディー公であり、アンジュー伯も兼ねるフランス人でもあったのに、彼の時代にいたってようやくイングランド人として即位するイングランド王が誕生した。それは、イングランドから見た百年戦争が領土奪回戦争から侵略戦争へと変質した、ということでもある。この時代には、すでに現代にまでつながるナショナリズムの萌芽をみることができる。イギリスとフランスが百年年戦争を戦ったのではなく、百年戦争の結果として現代へと続くイギリスとフランスが誕生したのだ。

 

実態がフランス人同士の戦争であるのに、我々はつい現代の国家を過去に投影し、これをイギリスとフランスの国運を賭けた戦争のように見てしまう。黒太子エドワードやジャンヌ・ダルクは英仏双方の英雄のように思えるが、これらの人物は本来は国という枠に収まりきれる存在ではなかった。結局、「英仏百年戦争」という名称自体が、国民国家ありきの見方から生まれたフィクションに過ぎないのである。フランスでは長らく無名だったジャンヌ・ダルクの功績を大々的に喧伝したのがナポレオンであったという事実もまた、佐藤氏が言うように歴史がフィクションであることのひとつの証左でもある。