明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

シャルル禿頭王、カール肥満王……なぜ中世ヨーロッパにはあだ名が多いのか?を解き明かした『あだ名で読む中世史』

中世ヨーロッパは「あだ名文化」の時代だった

 

あだ名で読む中世史―ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる

あだ名で読む中世史―ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる

 

 

中世ヨーロッパとは、「あだ名文化」のさかんな時期でもありました。多少なりとも中世ヨーロパ史に関心を持つ人なら、フリードリヒ・バルバロッサ(赤髭)、フィリップ剛勇公、ルイ敬虔王などの名前を耳にしたことがあるはずです。ドイツの作家ラインハルト・レーベの著作『シャルル禿頭王は本当にハゲだったのか──歴史上のあだ名、そしてその背後にあるもの』には363人の歴史上の人物が登場しますが、このうち296人が中世ヨーロッパの人物なのです。

 

こうした王侯貴族のあだ名文化は、実はヨーロッパでは8世紀以前はほとんど存在せず、9世紀末から10世紀初めころに形成されてきたものです。あだ名は本来私的な関係でのみ使われるものですが、中世ヨーロッパにおけるあだ名の特徴は、年代記などの歴史書にも登場するということです。たとえば11世紀の『フランク王たちの歴史』にはこういう記述があります。

 

短躯のピピンは偉大なるカールをもうけた。偉大なるカールは敬虔なルードヴィヒをもうけた。敬虔なルードヴィヒは禿頭のシャルルをもうけた。禿頭のシャルルはルイをもうけた。ルイは単純なシャルルをもうけた。

 

こうして淡々とあだ名付きで王の名前が並んでいるのを見ると、なんとも不思議な感じがします。ここには支配者への皮肉や揶揄などは感じられません。なぜこうした記録物ですら公然とあだ名が用いられるのか?ということを、本書では中世ヨーロッパの歴史をひも解きながら解明していきます。内容はけっこう専門的で気軽に読むわけにはいきませんが、中世ヨーロッパの歴史や文化、創作におけるあだ名の付け方などに興味のある方には大いに得るところがある一冊となっています。

 

なぜあだ名文化は盛んになったのか?

実は、あだ名が必要とされた理由は、中世ヨーロッパにおける命名法にありました。ゲルマン系では長いあいだ姓というものがなく個人名しか存在しませんでしたが、個人名は幹音節と終音節のふたつの部分に分かれます。ジークフリートはジーク(勝利)+フリート(平和)、バーナードはベルン(熊)+ハルト(たくましい)。女性ならマティルデはマット(力)+ヒルデ(戦闘)。個人名はこうした組み合わせでできています。

 

そして、中世初期では子供の名前をつけるとき、両親を含む親族二人の名前から、前半あるいは後半をひとつずつ取り、それを組み合わせるのです。このため、メロヴィング王家の人物には一部は違うが似たような名前が多く、とても覚えにくくなっています。この命名法を続ける限り、紛らわしくはあっても同じ名前はなかなか出現しません。

ところが、8~9世紀ころになると、両親を含む親族の誰かの名前をそのまま子供にもつける、という命名法が生まれてきます。この方法だと、一族で同じ名前が共有される割合が格段に高くなります。たとえばカロリング家ではカール、カールマン、ピピンなどの名前が頻出することになるのです。こうしたある親族集団に特徴的な名前を、研究者は「主導名」と呼んでいますが、このような状況に直面した9世紀末の著作家が、区別するための工夫としてあだ名を用いはじめた、というのが本書の主張です。

 

実際、シャルル禿頭王やカール肥満王といったあだ名がこの頃から使われはじめ、時代をさかのぼってカール・マルテルもマルテル(鉄槌)というあだ名で呼ばれるようになります。こうしたあだ名は大・中・小 を用いた区別や~の息子、~世などの区別よりもわかりやすかったために、あだ名文化が中世において定着していくことになるのです。

 

あだ名文化は文学的想像力も刺激する

このように、中世におけるあだ名とは、本来は似たような名前が増えすぎたために区別の必要性から生まれたものです。しかし、いったん生まれたあだ名は単に記号としての役割を果たすだけでは終わりません。あだ名がオープンなものになったために多くに人に知れ渡り、これが新たな伝承や創作などを生むきっかけにもなっていくのです。

本書の7章ではカペー朝の始祖であるユーグ・カペーの考察に一章を割いていますが、このカペーとは「外套」を意味するとされるあだ名です。このあだ名は12世紀に入るとキリストに外套の半分を切って与えた聖マルティヌスの外套と結び付けられ、カペー家の権威の正当化にも利用されることになります。あだ名から伝説までが生まれてしまう実例をみると、いかに言葉というものが大きな力を持っているかがよくわかります。

 

七王国の玉座〔改訂新版〕 (上) (氷と炎の歌1)

七王国の玉座〔改訂新版〕 (上) (氷と炎の歌1)

 

 

ゲーム・オブ・スローンズの原作『氷と炎の歌』シリーズは中世イギリス風の世界で展開されるファンタジーですが、この物語にも「王殺し」ジェイミーや「子鬼」のティリオン、「乞食王」ヴィセーリスなど、数多くのあだ名を持つ人物が登場します。これは、中世のあだ名文化を作中に反映させたものといえるでしょう。こうしたあだ名があれば、登場キャラクターのきわめて多いこの大作においてキャラの識別が容易になり、また読者のキャラクターへの関心を引き起こすこともできます。中世のあだ名文化のDNAは、現代の作品にも確かに受け継がれているのです。

 

中世ヨーロッパにおけるあだ名文化がどれほど豊穣なものだったかは、本書の巻末に載っているあだ名リストを眺めているだけでもすぐにわかります。リチャード獅子心王やフィリップ端麗王といった有名なものから、不能王、泣き虫伯、浪費公など不名誉なものから血斧王、邪悪王など恐ろしげなものまで、ここに載せられているあだ名は実にバラエティに富んでいます。これを参考にすれば、ファンタジーの創作で魅力的な人物を作るのにも役立つかもしれません。それほどに、あだ名というものの持つ魔力は大きいのです。