本作で『のぼうの城』の和田竜が描き出す忍者の世界は、とかく世知辛い。
同じ伊賀の中ですら平気で味方を騙し、裏切り、利用する。
人倫という言葉などかれらの中にはない。目的のためには手段を選ばないからこそ、彼らは忍者でいられるのだ。
そんな伊賀にもたまには気の優しい男が生まれる。本作の平兵衛もそうだ。彼は人を人とも思わない伊賀の気風に嫌気が差し、織田信雄に味方して伊賀を滅ぼそうとする。しかしそう思わせることもまた伊賀者の策であって、実は伊賀側には天下の織田軍を敵に回して戦わなくてはならない理由があった。
武士としての誇りや維持など紙屑同然と思っている伊賀者が、織田軍と対決する理由とはなにか。それはずばり銭である。天下の織田軍を撃退したとなれば、伊賀忍者の価値は跳ね上がる。全国から依頼が殺到する。結局、忍びはどこまでも自分自身のためにだけ戦うのだ。そのような殺伐とした世界のなかを、本作の主人公、無門も生きている。
当人も忍びである無門は、伊賀者の例に漏れず、やはり自分のことしか考えていない。伊賀は織田に勝てないと判断した無門は、伊賀を捨てて逃げようとする。しかし、彼を変えたのは女房のお国だ。詳細は書かないが、お国は無門の銭への執着を利用し、織田と戦わせるよう導く。しょせんは利害第一の忍びであれば、無門は簡単にお国の誘いに乗ってしまう。
しかし、読み進めるうちに、一見私欲にまみれた俗物のようにしか見えない無門も、実は人間らしい心を持っていることがわかってくる。嘘と裏切りばかりのこの世界において、無門のお国への想いだけは本当だった。このことが、終始殺伐としているこの作品にある種の救いをもたらしている。いや、本当は誰もが無門のような心を持ちつつも、それを自覚することすらできないのかもしれない。人を騙すことこそが至上とされる伊賀においては、人は自分自身すらも欺かないと生きていけないからだ。
この作品はかなり想像力を駆使して書かれていると思うが、あちこちに忍術書からの記述が引用されていて、史実の忍者も実態はこうであったかと思わせる説得力がある。言葉使いなどはかなり今風になっていて、おそらく若い層に手にとってもらうことを意識しているようだ。『のぼうの城』が気に入ったなら、こちらも抵抗なく読めることだろう。