明晰夢工房

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司馬遼太郎のおすすめ作品は『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』を読むとわかる

司馬遼太郎作品はただのフィクション」と切り捨ててよいか

 

司馬遼太郎という人は特別な作家です。多くの人は司馬作品を読むとき、ただの娯楽作品として読むのではなく、「これで歴史を学ぶ」という意識をどこかに持っています。「司馬史観」という言葉があるとおり、司馬遼太郎という人は一作家の枠を超えた知識人だと多くの人が認識しているため、司馬作品もただの小説ではなくある種の教養書として受け取られているような雰囲気もあります。本書でも司馬遼太郎頼山陽徳富蘇峰に続いて3人目の「歴史を作る作家」と評価されており、稀有な作家であることが強調されています。司馬遼太郎というペンネームは司馬遷から付けられていることは有名ですが、ここにも彼が「歴史家」であろうとした自負を読み取ることができます。

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一方、歴史家の立場から見ると、そうした読者の姿勢があまり好ましくないものと映ることもあります。上記のエントリで、丸島和洋氏(真田丸時代考証担当の一人)が、塩野七生作品はは司馬作品同様にあくまで文芸作品として楽しむものであり、これを史実と混同されては困る、と語っていたことに触れていますが、確かに司馬作品はあくまでフィクションであって、これをそのまま歴史書として読めるというようなものではありません。実際、丸島氏の講演会では、「貴方の言うことは司馬先生のお話と違う」と言ってきたりする人がいるのだそうで、そう言われる立場からすれば司馬作品はあくまで文芸として読むべきなのだ、となるのももっともなことです。

 

では、司馬遼太郎の作品群はあくまでフィクションとして楽しむべきで、これらの作品から歴史を学ぼうとするのは間違っているのか?ということになると、これはそう簡単に割り切れるものでもありません。司馬作品をそのまま史実と受け取ることはできませんが、司馬遼太郎という人は確かに鋭い史眼を持っているので、司馬遼太郎の問題意識を念頭に置きつつ司馬作品を読むことで日本史のある一面を学ぶことはできるのだ、というのが本書『「司馬遼太郎で学ぶ日本史』の主張です。司馬遼太郎の創作活動は、「なぜ昭和前期の日本は失敗したのか」「なぜ日本陸軍は異常な組織になったのか」という疑問から出発しています。これを解き明かすために書かれている司馬文学は必然的に「司馬史観」といわれる見方に貫かれることになります。本書はこの司馬遼太郎独自の歴史の見方を学ぶのに最適な作品を紹介しつつ、解説を加えています。

これを読めば多くの司馬作品の描写や人物の台詞などから日本という国家の姿、そして司馬遼太郎という人の書きたかった日本というものが浮かび上がってきます。すでに司馬作品に親しんでいる人なら作品を思い出しつつ楽しく読めますし、まだ読んだことがない人にとっては格好の司馬遼太郎作品ガイドとして役立つと思います。

 

日本史の源流としての『国盗り物語

 

本書では、司馬遼太郎という人は豪傑型の人物ではなく、参謀・軍師的な存在の視点から歴史を書くのが得意だった、と書かれています。本書ではまず戦国時代の作品を扱い、中でも『国盗り物語』を特に重要な作品として取り上げていますが、この作品では明智光秀の視点から信長という人物を描いています。猛スピードで戦国の世を駆け抜けた信長には読者にはついていきにくいものもあるので、光秀という少し中世的な部分も残した人物の視点から信長を書くことで、信長を客観的に見ることができます。ちなみに、司馬遼太郎の戦国作品では『播磨灘物語』もまた「軍師」である黒田官兵衛が主人公となっています。

 

近年の研究で、織田信長という人物は「中世的」な部分も残した、必ずしも革新的な人物ではなかったということがわかってきています。しかし本書ではやはり信長には中世的な権威と衝突する部分もあり、それが信長の新しさだったのだとも書かれています。比叡山の焼き討ちに象徴されるような信長の行動を支えているのは、合理精神です。司馬遼太郎は信長の残虐性は好きではなかったようですが、合理性については評価していました。

なぜ、司馬遼太郎は信長を書かなくてはいけなかったのか。それは、戦国時代に濃尾平野に生まれた権力体こそが、今の日本の源流であると考えられるからです。信長・秀吉・家康という戦国の三英傑を生んだ濃尾平野の歴史は、さかのぼるとまず斎藤道三に行きつきます。司馬遼太郎が「鬼胎の国家」と呼んだ昭和の軍事国家の起源をたどるとここにたどり着くので、『国盗り物語』はまず道三の物語としてスタートする必要があったのです。

斎藤道三の「後継者」である信長は、『国盗り物語』では徹底的な合理主義者として書かれています。その姿は昭和の軍隊にゆきわたっていた精神論や非合理性とは似ても似つかないものです。つまり、信長は日本人としては「異常」な部分があり、だからこそその破天荒な行動が読者には痛快に感じられるのです。坂本龍馬にせよ大村益次郎にせよ秋山真之にせよ、司馬作品は日本人離れした主人公を書くときに最も輝きます。「世間」のしがらみからつかの間自由になれる、ここに司馬文学の魅力があるということは間違いありません。

 

この信長の合理性は、人事にも現れたと司馬遼太郎は書いています。信長は人間を機能で評価しており、そのような信長に合わせるために自分をひたすら道具として磨き上げていったのが秀吉である、というのが『新史太閤記』における秀吉の人物像です。秀吉の出世物語である『新史太閤記』は、高度成長期の会社員が自分自身と重ねて読んでいました。秀吉の上昇志向は、会社組織の中で階段を駆け上がっていく日本人の姿そのものだったということでしょう。どんなベストセラーも、時代背景と無関係に売れたりはしません。司馬遼太郎もやはり時代の子だったのです。

 

合理主義精神の塊としての大村益次郎を描いた『花神

 

 このように、司馬文学を貫くひとつのキーワードが「合理的精神」です。この合理的精神の塊のような人物である大村益次郎を主人公とした『花神』が、本書では詳しく取り上げられています。磯田氏はこの作品が司馬作品では最高傑作だと評価していますが、その理由は江戸時代を明治に作り変えたものは何か、ということがこの作品において深く探求されているからです。

大村益次郎という人は兵学者であり、いわば軍事技術者です。司馬遼太郎は「革命の三段階」という考えを持っていますが、これは革命とははじめに思想家が現れ、次に戦略家の時代に入り、最後に技術者が登場する、というものです。明治維新なら思想家は吉田松陰、戦略家は高杉晋作西郷隆盛、そして技術者は大村益次郎のような人物です。

もともと医師だった大村は、信長をも上回る合理主義者です。ノモンハン事件に昭和の軍隊の非合理性を見てとり、なぜ日本の軍隊はこの様になったのかという疑問が司馬遼太郎の創作活動を後押ししていましたが、近代の日本軍を生み出した大村益次郎は、夏には浴衣で指揮をとっていたことからもわかる通り、合理主義の権化のような人物でした。時代の変革期には大村のような合理主義者が活躍するが、平穏な時代には合理主義が捨て去られてしまう、という考えが司馬遼太郎にはあったようですが、それゆえに変革期のリーダーとして大村益次郎は必ず書かなくてはいけない人物だったのでしょう。周囲とはあまり協調しない、日本人離れした人物であったことも、大村益次郎と信長の共通点です。

 

一方、司馬遼太郎の幕末作品では敗者の側の人物も結構書かれています。『最後の将軍』の徳川慶喜もそうですし、『燃えよ剣』の土方歳三もそうです。土方歳三などもまた合理精神の持ち主で司馬遼太郎が好む人物ですが、敗者の側から歴史を書くのは『国盗り物語』で明智光秀の視点を取り入れたことと同様に、一段深い視点から幕末の歴史を見るという考えが司馬遼太郎にはあったからだと磯田氏は指摘しています。

 

司馬遼太郎の幕末作品といえば多くの人が思い出すのが『竜馬がゆく』です。坂本龍馬は幕末の志士としてはそれなりに知られた存在ではありましたが、今のように国民的なヒーローの地位に龍馬を押し上げたのはやはりこの作品のようです。つまり『花神』が大村益次郎を「発見」したのと同様、『竜馬がゆく』もまた坂本龍馬を「発見」したのです。司馬遼太郎は権力そのものはあまり書こうとはしなかったということが本書では何度も指摘されていますが、坂本龍馬もまた権力の中枢にいた人物ではありません。『国盗り物語』に光秀の視点が導入されたのと同様、歴史の客観性を保つためには龍馬のように藩の枠を超えて活動した人物を書く必要があったのかもしれません。

 

明治のリアリズムの象徴・秋山真之と『坂の上の雲

織田信長であれ大村益次郎であれ、司馬遼太郎が好んで書いたのは合理主義者、リアリストでした。そして、明治を代表するリアリストが『坂の上の雲』の主人公の一人である秋山真之ということになります。『坂の上の雲』は今までの作品にも増して客観性が保たれるよう意識されており、そのことは冒頭の「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」という一説にも現れています。この「まことに小さな国」というフレーズは『坂の上の雲』のドラマ版の冒頭で繰り返し朗読されましたが、明治期の日本人は自分たちの国が列強に比べて小国であるという、「弱者の自覚」がありました。

 

明治とはリアリズムの時代であった、ということは『「明治」という国家』にも書かれています。そしてこの明治のリアリズムの体現者として、司馬遼太郎秋山真之という人物を書いたのです。司馬遼太郎に言わせると明治のリアリズムというのは、個人の利潤を追求する「八百屋さんのリアリズム」よりもレベルの高い「格調の高いリアリズム」で、当時は庶民に至るまでこの精神を持っていた人が多かったといいます。

中でも秋山真之のようなエリートはとりわけこの精神を強く持っていて、真之はアメリカに留学して軍事技術を学んでいるとき、「自分が一日休むと、日本の海軍は一日遅れる」と言うほどに意識の高い人でした。戦力を2つに分けて解説したことでも有名で、機械の力を「機力」、マンパワーや技術力を「術力」と表現したことはよく知られています。この両方がそろわないと戦力は機能しないのだというリアリズムです。

 

しかし、秋山真之・好古兄弟の活躍もあり日露戦争が勝利に終わったことこそが、実は昭和の日本の危機の原因であったということも、司馬遼太郎は認識しています。『坂の上の雲』というタイトルは、明治の坂を登りきっても雲をつかむことはできず、その坂の下には昭和の泥沼があるということを暗示していると磯田氏は指摘します。大国ロシアに勝った日本のその先を、結局司馬遼太郎は小説に書くことはありませんでした。

 

司馬作品の「あとがき」としての『この国のかたち』

 

司馬遼太郎は昭和を舞台とした小説は一作も書いていません。ただし、晩年のエッセイ集『この国のかたち』ではしばしば昭和について言及しています。司馬遼太郎の認識では、昭和という時代は明治という時代が孕んだ「鬼胎」であり、日本の歴史の中でもかなり異様で特異な時代であったと捉えられています。しかし、明治と昭和とは本当に非連続なのかと言うと、そういうわけではありません。司馬遼太郎はこのエッセイの中で、「日露戦争の勝利が、日本国と日本人を調子狂いにさせたとしか思えない」と書いています。明治の坂の上の頂点で大国ロシアに勝利したことが、昭和の転落へとつながっているということです。

日露戦争に勝利したことで日本人は一等国の仲間入りをしたと思うようになり、明治の「弱者の自覚」を失っていきます。日露戦争の軍人の多くは爵位をもらって華族となり、その姿を見た下の世代の軍人も戦争での立身出世を夢見るようになります。当然、軍縮などは考えません。司馬遼太郎が「鬼胎の時代」と捉えた昭和前期の萌芽が、すでにここにありました。

 

日露戦争の勝利に加え、『この国のかたち』で司馬遼太郎が指摘する「鬼胎の時代」につながるもうひとつの原因とは、「国家病」としてのドイツへの傾斜です。日本軍がドイツから参謀本部というシステムを導入したために、統帥権が自己増殖して国家内国家となり、やがて暴走するようになってしまったという見方がここでは示されます。海軍の軍縮が国際的な課題となった時代でも軍は民政党が「統帥権を干犯」しているとして抵抗しました。統帥権がしだいに無謬性を帯び、三権から独立し始めたことの危険性を司馬遼太郎は訴えます。このような『この国のかたち』での考察を、磯田氏は「司馬遼太郎の仕事を一冊の本として見た場合のあとがきにあたるもの」としています。なぜ昭和前期の日本はあのような国になってしまったのかという疑問から始まった創作活動の総決算が、ここにあるのです。

 

司馬作品を読み解く上で必要な「司馬リテラシー

 

司馬遼太郎作品では、ある人物の歴史的影響をはっきりさせるためにかなり人物評価が明確で、かなり単純化されています。そこが司馬作品は史実と違うといわれる原因でもあるのですが、磯田氏はこのような特徴を持つ司馬作品を読むうえで読者は「司馬リテラシー」を持つ必要がある、と書いています。つまり、司馬作品で描かれる人物はある「役割」を背負わされているのだということを意識する必要があるということです。

戦国時代であれば女性の好みでいうと信長は美しい女を好む独自の美学を持った人間であり、秀吉は上流階級の女性を好む上昇志向の人間、家康はたくさん生む女性を好む現実主義者、といった書かれ方になります。『坂の上の雲』では乃木希典という人物は彼の下で指揮をとった幹部まで含めて無能だったという書き方になりますが、あくまで「この表現が日露戦争における役割という限定された意味であることを理解して読むべき」だと磯田氏は指摘します。話をわかりやすくするために単純化された人物像が必ずしも史実そのままの姿ではない、ということを念頭に置いておくことは重要です。

 

子供に読ませたい司馬遼太郎作品は?

 

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)

 

 

本書のあとがきでは「21世紀に生きる君たちへ」というエッセイを紹介しています。これは、小学校の国語の教科書にも載ったものです。司馬遼太郎がここで強調しているのは日本人の強みである「共感性」を伸ばすこと、そして自己を確立するということです。共感性の強い人物としては緒方洪庵、自己を持っている人としては秋山真之黒田官兵衛のように周りに流されない強固な意思を持った人を司馬遼太郎は書いてきました。英雄ではない緒方洪庵をここで取り上げていることは印象的です。司馬作品は英雄史観と言われがちな面もありますが、司馬遼太郎自身は英雄ではない人物にもしっかりと目をむけていたことがわかります。子供たちに洪庵のような人間になってほしいと願っていた司馬遼太郎は、自分自身は生きて21世紀を見ることはないだろうとも語っていましたが、事実その通りになりました。

本書には取り上げられていない名作も多い

 

 

このように多くの司馬作品を紹介している本書ですが、あくまで「日本史を学ぶ」という観点からのものなので、司馬作品のブックガイドとして見るなら取りこぼしているものがあるのも事実です。直木賞を受賞した初期の名作『梟の城』についても触れられていませんし、古代中国を題材とした傑作『項羽と劉邦』についても一言もありません。『梟の城』は忍者を主人公とする時代小説ですし、『項羽と劉邦』は中国が舞台なので本書のテーマからは外れるということでしょう。冒険小説のような趣もある『韃靼疾風録』も中国が舞台ですし、『義経』は時代が古すぎて日本史を語る材料としては使えないと思われたのかもしれません。その他、まだまだ取り上げられていない作品が数多くあります。

なにしろ司馬作品は数が多いので、このような新書一冊ではとても紹介しきれるものではありません。ですが、司馬遼太郎という人の歴史の見方、問題意識を学ぶという点から見れば、この『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』は大いに役立ちます。これから司馬作品に触れてみたい方、あるいはすでに司馬ファンの方にとっても学ぶところの多い一冊と思います。