明晰夢工房

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信長の政治は同時代人にどう見られていたのか?を神田千里『戦国と宗教』に探る

 

戦国と宗教 (岩波新書)

戦国と宗教 (岩波新書)

 

 

神田千里氏の『戦国と宗教』は一向一揆キリシタン大名、戦国の「天道」思想など戦国時代の宗教について語っている好著なのですが、このなかに大友義統大友宗麟の息子)の宗教政策について興味深い記述が出てきます。

キリシタン大名となった大友宗麟の影響を受けキリスト教に感化された義統は仏教への嫌悪感を強め、寺院の所領を没収して家臣に与えたり、仏像を焼かせたりしています。この行為について、義統は仏僧は贅沢三昧な生活をしていて悪徳に満ちている、信長だって都で寺を焼いたり所領を没収したがなんの罰も受けなかった、と自らを正当化しています。信長が寺社勢力を攻撃しても罰を受けなかった、だから神仏にはなんの利益もないのだ、という理屈はキリスト教を布教する上でイエズス会側が用いたロジックでもあります。

 

これに対し、義統の家臣が反論している内容が面白いのです。

 

義統様は戦争に関する事柄にはまったく無分別であられる。なぜなら織田信長の真似をしているとお考えであるが、事柄によってそのお考えは不適切にもなるのである。信長は神通力の人と聞いている。そのうえ賞罰は正しく、未熟なものは即座に討ち果たし、忠節を尽くした者には必ず所領を与えてその働きに報いるからこそ、諸人は命をかけて戦うのである。また信長が寺社を破壊するのは、敵対したと思うから破壊するのであり、さもなければまったく手出しをしない。その真似をなさるなら、 こうしてこそ然るべきなのに、まったく似ても似つかないことをなさり、結局何の罪もない寺社を、信長の真似だといって破壊なさるとは、見識がおありだとは少しも思われない。

 

これによれば、義統の家臣は信長の政治はおおむね公平だと見ていたということになり、寺社に対する仕打ちも単に信長に敵対したから攻撃したのだと考えていたということになります。つまり当時の人ですら、信長は宗教的理由で寺社勢力と戦ったわけではないと思っていたということになるのです。

 

もっとも、これは大友家の場合であって、他の勢力から見ればまた別の味方がありうるでしょう。ただ、信長と寺社勢力はあくまで政治的事情で対立していたにすぎない、という義統の家臣の見方はおおむね正しいようです。本書の第二章では本願寺と信長の関係について考察していますが、本願寺三好三人衆や浅井・朝倉など反信長勢力に加わっていただけのことで、信長vs一向一揆という対決の図式があったわけではないと解説されています。実際、信長は本願寺と三回も和睦しており、信長にとって本願寺はできれば戦いたくない相手だったのではないかという見方が示されています。

結局、信長vs一向一揆石山合戦という見方は一向一揆=反権力という一種の神話に基づくもので、史実にはそぐわないもののようです。「一向一揆」という言葉自体が一八世紀初頭に成立したという事実も、この図式的な理解が後世の視点から生まれたものであることを補強しているように思われます。