平安時代は今ひとつ日本人にとってなじみがない。時代区分で言えば「古代」なのだが、普通は古代と言って思い浮かべるのは古墳時代や飛鳥時代であったりするし、平安時代のことはあまり頭には浮かばない。源氏物語だとかの王朝文学は有名でも、この時代に強い愛着を持っている人はそれほど多くないのではないかと思う。その理由はなにか。本書の「はじめに」に書いてあることが、そのひとつの答えになるかもしれない。
今の衣冠の制度は、中古の唐制を模倣したまま現在に至り、「軟弱」のありさまとなっている。朕ははなはだこれを嘆く。そもそも神州を「武」によって治めることは、もとから久しく行われてきたことである。天子がみずから元帥となれば、民衆もそのあり様をまねするだろう。神武天皇のときは、決して今日の姿ではなかった。どうして一日たりとも「軟弱」な姿をもって天下に示すことができようか。朕は、今、断然として服制を改め、その風俗を一新し、皇祖以来の「武」を尊ぶ「国体」を立てようと思う。
これが、明治四年の敕で明治天皇が言っていることだ。つまり、平安朝以来の「軟弱な」服装などの貴族文化は捨て去るべきものであるという認識である。理想とすべき過去は天皇が自らリーダーシップを取っていた飛鳥時代や奈良時代、あるいは神武天皇が活躍していた神話の時代であって、藤原氏に政治の実権を握られていた平安時代などは忘却するべき時代だということになる。文化面においても、正岡子規は紀貫之の古今和歌集はくだらない歌集だと断定し、万葉集を高く評価した。このような明治の平安時代の評価を、現代人も引きずっているのかもしれない。
しかし、まさにこの時代にその後の日本史を大きく左右するものが誕生している。戦前の日本を席巻した「神国日本」という考え方もそうだし、なにより重要なのはこの時代に武士が誕生していることだ。武士の誕生については地方の荘園経営者が自衛のため武装したものという見解と、平安京の治安維持のため誕生したという見解とがあるが、本書では後者を支持している。これは武士を職能のひとつとして考える「職能性的武士論」だ。
武士が職能なのであれば武勇に優れていれば武士になれることになるが、実はそう単純なものではなかったらしい。武士と認知されるには、武士の家に生まれることが必要だ。つまりは源氏と平氏なのだが、なぜその家系に限定されるかというと、平将門の乱を鎮圧したのがこのふたつの家系だからと本書には書かれている。武門の血を引いていないと、この時代では武士とは認められない。
本来都で生まれた武士たちが、その技量を磨いたのは辺境の地だった。すなわち蝦夷との戦争だ。東北では砂金が発見され、また質の良い馬や海産物、鷹の羽なども北方の地で手に入るため、平安の王権は北方の蝦夷とも時に争った。蝦夷の使っていた蕨手刀は日本刀の起源ともいわれるが、その意味では東北という辺境が武士を育てたともいえる。東北を理解しないと、平安時代は理解できない。本書は比較的新しい概説だけに、この辺境という視点がある。簡潔ながら王朝国家と東北との関係性を的確に表現している本書は、平安時代の入門書としてふさわしい良書と言えそうだ。