明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

観応の擾乱に災害が及ぼした影響とは?亀田俊和『観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』を読んで

 

 

あとがきに書いているように、著者の亀田俊和氏は天邪鬼なところがあり、中世史の本でもほとんどのものがあまり言及していない観応の擾乱が気になり、研究対象とするようになったのだという。結果として、本書のようなとてもわかりやすい入門書ができた。本書は呉座勇一氏の『応仁の乱』とともに中世史ブームの一環をなす本としてよく売れたが、 亀田俊和氏の研究成果は呉座氏が『陰謀の日本中世史』の中でも肯定的に引用しているほどで、それだけ有益な知識を読者に提供してくれているということである。この『観応の擾乱』もまたこの複雑な騒乱をわかりやすく整理しつつ、最新の知見を提示してくれるので、これを読めば観応の擾乱をよく知らない人はこの乱の経緯と結果を理解することができるし、知っている人も中世史の知識を最新のものにアップデートできる。

 

saavedra.hatenablog.com

足利尊氏とその弟直義、そして尊氏の息子直冬、直義の執事高師直など多くの人物が入り乱れて戦う観応の擾乱の流れはそれなりに複雑だ。直義が一時南朝に降伏していることが余計に事態をややこしくしている。足利直冬が武将としての力量に恵まれていたことも騒乱の長引いた原因だろう。足利一門には有能な人物が多いのに、こうして互いに争っていることでどれだけの時間や人的資源が無駄になったかわからない。

 

とはいえ、雨降って地固まるとでも言えばいいのか、まさにこの争乱の結果として室町幕府の支配体制が盤石なものとなっていく。騒乱の原因のひとつとして恩賞の不足があったため、争乱の終結後は恩賞が充実し、「努力が報われる政権」ができあがった。半済令を実施し、守護の支配を強化したことも武士の利益を重んじたためとここでは解釈される。直義が最終的に尊氏に敗北したのも、直義が寺社勢力の権益を養護し、武士の利益を重んじなかったためであるから、これに鑑みれば当然武士が報われる政権を作らなくてはならない。足利義満以降続く室町幕府の全盛期の基礎が、この時期に固められたことになる。

 

ここで慧眼と思われるのが、亀田氏が南北朝時代の災害の多さについて言及している点だ。荘園が水害で被害を受ければ、当然取り立てられる年貢は減ってしまう。ただでさえ恩賞が少ないのに、災害でろくに年貢が徴収できないとなれば、さらに幕府への不満はつのる。これもまた観応の擾乱を長期化させた原因ではないか、というのである。元号の由来をみれば明らかだが、日本が自然災害大国であることが、ここにも影響している。

saavedra.hatenablog.com

観応の擾乱は日本史上のイベントとしてはマイナーな部類に属するが、後世に与えた影響、歴史的意義はとても大きい。中世史への関心が集まっている今、日本史の知識の空白を埋めてくれる著書の需要が高まっているが、この『観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』は、読者の知的好奇心を満たすだけでなく、この騒乱をきっかけに中世史の深い沼へと誘ってくれる好著だ。