明晰夢工房

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半藤一利『昭和史 1926-1945』と近衛文麿の評価について

 

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)

 

 

語りおろしなので読みやすいが、それでも読み終えるまでに1週間かかった。一読して印象に残ったのは、いかにこの時代のマスコミが戦争を煽っていたか、ということだ。これは満州事変の時点からすでにそうで、毎日新聞の政治部記者・前芝確三は「事変の起こったあと、社内で口の悪いのが自嘲的に毎日新聞後援・関東軍主催・満州戦争”などといっていましたよ」と語っている。

満州事変の報道には朝日も毎日も臨時費100万円を使い、朝日では自社制作映画を1500箇所で公開し、号外を数百回も発行している。戦争は、新聞社が儲けるための最大のネタだったのだ。新聞社の幹部は陸軍の機密費でごちそうを食べさせてもらい、朝日新聞では出征軍人への義捐金として十万円を陸軍に寄付している。こうしたマスコミの動きが日本に軍国主義的な空気を根付かせるのに一役買っていた、と半藤氏は語る。

 

だいたいこの昭和六年、七年、八年くらいに日本人の生活に軍国体制がすっかり根付いてきて、軍歌が盛んに歌われ、子供たちのあいだでは「戦争ごっこ」がやたらに流行ります。そういえば私も、物心ついた頃には毎日やっていました。それから水雷艦長といって、帽子のツバを前にすると艦長で、後ろにすると水雷艇で、横にすると駆逐艦という遊びをずいぶんやりましたから、確かにそういう風潮だったんですね。

 

ウォール街の株価大暴落が引き起こした世界恐慌により日本も不景気だったため、戦争景気を国民が待ち望んでいたことも、戦争への期待を高めた。国民の期待に応えているからこそ新聞の戦争報道が歓迎されていたのだし、軍部もそれをわかっていてマスコミを利用していた。日本が戦争に勝ち続けている限り、この空気は容易には変わらない。

 

半藤氏は本書の最後に「国民的熱狂に流されてしまってはいけない」と語っている。日本が戦争を待ち望む空気に満ちていたとしても、その空気に従えばいいというものではない。では、昭和の日本の指導者で、一番国民的熱狂に流されてしまった人物とは誰か。それは近衛文麿であるように思われる。福田和也氏は『総理の値打ち』のなかで、近衛文麿をこう評している。

 

総理の値打ち (文春文庫)

総理の値打ち (文春文庫)

 

 

 組閣直後、盧溝橋事件が起こると、現地で和平の工作が進んでいるにもかかわらず、わざわざ官邸に記者を招いて会見を開き、中国にたいして断固とした措置をとる、と発表して事態を混乱させた。南京占領後には「国民政府を相手にせず」声明を出して和平の道を閉ざした。つまりは世論受けする攻撃的な姿勢を打ち出すことで人気を取るばかりで、自体の収集には一切責任をもたなかった。

 

日中戦争を長引かせ、日本を疲弊させたのは近衛の責任であるということだ。現場の軍人が和平したがっているのに中央政府が強硬であるのは奇妙にも感じるが、それは福田氏が評するとおり、近衛が「元祖ポピュリスト」であったかららしい。このような人物であるため、近衛文麿の評価は『総理の値打ち』では全56人の総理のなかでも17点という最低の評価となっている。

 

戦前の昭和史の中でなにが決定的な誤りだったか、を言うことはむずかしい。ただ、蒋介石政権を見放し、米英との協調路線を捨て日本を世界から孤立化させた近衛の責任は重い。半藤氏もこの近衛の失策を「愚の骨頂」と書いている。近衛ではなく、「反軍演説」において日中戦争を正面から批判した斎藤隆夫のような人物が総理だったならこの後の昭和史もずいぶん違ったものになっていたのではないか、と思ってしまう。

 

日中戦争以降もひたすらに重苦しい話の続く『昭和史 1926-1945』だったが、最後に戦争を終結させた老宰相・鈴木貫太郎が登場したことでようやく一息つくことができた。鈴木は近衛とは逆に、国民的熱狂などとは無縁の人物だった。半藤氏はこの人に思い入れが深いようで、『幕末史』では鈴木が「賊軍」出身であることを強調している。『総理の値打ち』でも鈴木貫太郎の評価は71点と、この時期の総理としては高い。2.26事件以降軍国主義への道を突き進んだ日本だったが、この事件で鈴木が九死に一生を得たことが唯一の救いであったと言うべきか。半藤氏は『日本のいちばん長い日』において、この老宰相をこう評している。

 

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

 

 

たしかに国民的熱狂というクレージーになっていたあの時代に、並の政治的手腕なんか役に立たなかった。政治性という点だけから見れば、もっと人材はいたことであろう。岡田啓介近衛文麿若槻礼次郎木戸幸一。その人びとに鈴木さんはとても及ばなかった。むしろ政治性ゼロ。しかし、その政治性ゼロの政治力を発揮できた源は何か、といえば、無私無我ということにつきる。”私”がないから事の軽重本末を見誤ることがなかったし、いまからでは想像もつかぬ狂気の時代に、たえず醒めた態度で悠々としていられたのである。