明晰夢工房

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BSプレミアム「風雲!大歴史実験」の一ノ谷の戦いに関するメモ

義経と言えば鵯越えの逆落とし。というわけで、昨日の風雲!大歴史実験では、ほんとうにこの「逆落とし」が実現可能なのか、という実験を行っていた。

 

実験に使ったのは在来馬の木曽馬。見た感じでは足が短く小柄だが、その分安定感もあるようだった。騎手がこの馬に乗って一の谷の合戦で下ったのと同じ勾配の坂を下っていたが、一度目の実験では勾配が20°から30°にかわるところでギブアップ。それまでもかなりスピードは遅かったが、馬がおびえてそれ以上進めなくなってしまった。

 

では「逆落とし」などしょせん創作でしかないのか。ここで番組では、義経が予め坂の下に馬を降ろしていたという平家物語の記述に着目する。馬は群れで行動する性質があるので、坂の下に仲間がいれば、勾配の急な坂でも降りられるのではないか、というわけである。実際、現代の馬でも短い坂なら急でも仲間のいるところへ降りていくこともある、ということを番組中で確認している。

 

ましてや、源平合戦の時代の馬は現代の馬とは違う。番組中では三浦半島では平地が少なく坂の上り下りに慣れている馬がたくさんいたことにも触れていたが、こうした馬を使っていたなら「逆落とし」も可能かもしれない。たくさんの合戦に参加している馬ならそれだけ勇気もあるだろうし、戦いのなかの興奮状態や高揚感が馬にも伝わっていた可能性もある。

 

仲間のいるところへ行きたがる馬の性質を利用し、二度めの実験では木曽馬は30°の勾配の坂を途中まで降りることができた。このときは平家物語の記述のとおり、周囲から掛け声をかけて応援するということも行っている。坂を最後まで降りきることはできなかったが、現代の馬でもその性質を利用すれば、旧勾配の坂を降りる勇気を出すことができた。戦に慣れ、現代の馬よりもはるかに鍛えられている鎌倉時代の馬なら、逆落しも可能だったかもしれない。

 

検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー)

検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー)

 

 

近年、「戦国時代の馬はポニー程度の大きさだった」ということが盛んに言われるようになった。鎌倉時代の馬の体格もそんなものだろう。この言葉には、「だから騎馬武者なんて大したことはないのだ」というニュアンスが感じられる。しかし体格が小柄であるからといって、騎馬の機動力や突撃力を軽く見ていいことにはならない。平山優氏(真田丸時代考証役の一人)は『検証長篠合戦』の中でこう書いている。

 

 では体高が小さいことは、貧弱であることの証明になるだろうか。中世日本馬の体格が優れていたことは、近藤好和氏によって絵巻物などをもとに詳細な論証がなされている。近藤氏も指摘するように、日本在来馬が貧弱であると強調する論者は、ポニーと子馬を混同しているのではないかとみられ、ポニーはあくまで小型馬という品種そのものを指し、子馬ではない。また、馬体を規定するのは体高ではなく骨格と筋肉であるから、体高の数値だけで貧弱と決めつけるのは非科学的である。絵巻物にみえる馬は、筋骨も逞しく、武者などを乗せて疾駆している様子がありありと窺われる。

 

番組中で使っていた木曽馬は、胸の筋肉がすこし足りなくて坂を降りきれなかったのではないかと騎手の方は推測していた。重い鎧兜を着た武士を乗せていた源平時代の馬は、現代の馬よりずっと筋肉も多かっただろうし、旧勾配の坂道も難なく降りられた可能性もある。

 

本郷和人氏はこの番組のなかで、一ノ谷の戦い関ヶ原の合戦のようなもの、と語っていた。平家物語の記述が史実に近いものであるとするなら、義経が馬の力を有効利用できたために鎌倉幕府成立への道が開かれたことになるが、義経が若い日々を過ごした奥州もまた古代から馬産で知られた土地だ。平泉の風土と義経馬術にどれほど関係があるかわからないが、東北に生まれた者としてはこのあたりのことを誰かが研究してくれないものか、と思うこともある。