明晰夢工房

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「人生のネタバレ化」で「やりたいこと」という呪いが解ける人もいるかもしれない

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ウェブ小説界隈でちょっと有名らしい人から、こういう言葉を聞いたことがあります。

「創作が苦しいんだったらやめたっていいと思いますよ。何も小説がすべてというわけではないですし。でも、苦しくてもあきらめずに何年も書き続ける人が書籍化して、成功していくんですけどね」

 

私はこの話を聞いたとき、ひどく違和感を持ちました。

何年もやり続けていてもプロになれない人なんていくらでもいるし、そもそも大して苦労もせずにいきなり書いた小説がそのまま書籍化する人だっている。頑張っていればいずれ成功できるなんて、それこそ公正世界信念というものではないのか。プロになれない人は努力が足りない?プロになった人だけが努力を評価されるというだけの話じゃないの?

 

……とまあ、いくつもの疑問が頭に浮かんだのですが、ここで書きたいのは努力と成功の関係性についてではありません。

そういうことより、先の発言について私が気になったのは、創作をやめた人に対する視線です。「小説がすべてではない」と断ってはいるものの、その後にすぐ「でもやめた人には成功はつかめないんですけどね」とつなげてくるあたり、この発言にはどこか「創作をやめたものは夢を諦めた敗残者なのだ」というニュアンスが感じられる。しかし、本当にそう言えるのか。

 

というのは、作家デビューするという夢を叶えたあとに待っているものが、まさに冒頭でリンクしたふたつのエントリのようなものであるかもしれないからです。首尾よくラノベ作家になれたはいいものの、夢見ていたアニメ化の話が来るでもなく、時が経つうちに「期待の新人」の地位から滑り落ち、小説の売上もしだいに先細りになっていく。そしていつか戦力外通告を受ける……夢にまで見たプロデビューの先に待つものは、こういう世知辛い結末かもしれないのです。これが創作をあきらめた人生よりも幸福と言えるのか、これはそう簡単に結論の出るものではありません。

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 

作家になることは、それほど難しいことではないかもしれない。しかし、作家であり続けることはとても難しい。これは、村上春樹が『職業としての小説家』で強調していることです。その点から見れば、まがりなりにも10年間作家として現役でいられた一人目の方など、まだいい方なのかもしれません。もっと短い期間しか作家活動が続けられない人もたくさんいるし、一度戦力外通告を受けて再デビューに向けてがんばっている人も少なくないのです。そういう人に比べれば、ライトノベルという分野の成長期に立ち会え、自分がこの業界を今まさに作っていくのだという自負心を一時でも持つことができた、そういう時期が人生の中にあったのはむしろ僥倖と言うべきなのかもしれません。すでにかなり成熟しているラノベの世界にこれから参入する人は、そんな高揚感は味わえないのですから。

 

私は何人かのプロ作家の方ともやり取りがありますが、皆が口をそろえて言うことがあります。それは、「作家になって本を何冊か出したところで何も変わらないし、何者にもなれはしない」ということです。もちろん、書いた小説が人様からお金をいただける価値のあるものだと認められるようになること、これはひとつの大きな達成です。ですが、よく「作家デビューすると担当編集から今の仕事はやめないでくださいと言われる」というように、多くの人は作家だけでは食べてはいけません。よほどの売れっ子にでもならない限り、作家という肩書を手に入れたところで、その実態は「ちょっと文化的な匂いのする副業」くらいのものなのです。そして商売として見るならば、上の増田さんが言っているとおり、作家は全然効率のいい商売ではありません。企画がボツになることはいくらでもあるし、いくら渾身の企画を出そうが採用されなければ一円にもなりません。好きでなければとうていやっていられない、いや好きでも相当キツい。それが作家という商売です。

 

saavedra.hatenablog.com

「やりたいこととは、解けない呪いだ」──これは、プロゲーマー・ウメハラの言葉です。人は夢を持つと同時に、その夢に束縛されてしまう。作家志望者なら、プロになれないうちはまだ自分は何者でもない「ワナビ」にすぎないのだ、という現実と向き合わなければいけません。でも、作家生活の実態を知ることで、この「呪い」から解き放たれる可能性もあります。ほとんどの人はプロになってもきらびやかな生活を送れるわけでもなく、それでいてプロとして結果を出さなくてはいけないというプレッシャーにさらされ続けることになります。このような生活をどれだけ続けていけるのか?と考えたとき、作家になるモチベーションを失ってしまう人もいるはず。

 

でも、それは必ずしも悪いことではありません。作家というものは世に数多ある職業の一つに過ぎないのであって、別になれなかったところでそれで人としての価値まで失うわけではありません。一つの夢を追っているとき、人はどうしても視野が狭くなりがちなものです。創作者は自作が評価されないと、往々にして自分など無価値だと思ってしまいがちなものですが、それはあくまでごくごく狭い世界のなかでの評価にすぎません。一歩創作の世界の外に出てしまえば、また違った風景が見えてきます。十年間ラノベ作家を続けた人も、最後は「現世に帰ってこれて良かった」と結論づけています。これは十年間作家を続けられたからこそ言える台詞ではあるでしょうが、元プロ作家が創作の世界を退いても今の生活を肯定できているという事実は、創作が続けられなくなった人にとっては希望であり得ます。別に創作で評価されなくても幸せであっていいし、創作をやめたから敗残者というわけでもありません。というか、別に敗残者でも幸せになっていいんじゃないか、と私は思っているのですが。

 

ネットによって「人生のネタバレ化」が進んだ、と言われることがあります。このフレーズは普通、あまりいい意味では使われません。たとえば結婚生活の大変さが知れ渡ることで結婚を躊躇する人が増えてしまった、といったケースについて使う場合はそうです。ですが、こと作家生活についていえば、ネタバレ化が進むのは望ましいことかもしれません。こういう現実がプロデビューした先に待っているということを先に知っておけば、プロになれていないことにそれほど悲壮感を持たなくていいかもしれないし、覚悟の足りない人が業界に参入してくるリスクも減らせます。こういうことを知ってなおプロになりたいという意欲がおとろえない人だけが、作家を目指したほうがいいのかもしれません。得られる社会的地位や報酬がそれほどでなくても書くモチベーションを保っていられるというのも、それはそれで一つの立派な才能だからです。