ゆうきまさみ氏の『新九郎、奔る!』1巻を読みました。
この作品の冒頭は、38歳になる伊勢新九郎(北条早雲)が伊豆の堀越公方の御所に討ち入り、いよいよ戦国武将としての活動を始める……というシーン。
この時点で38歳ということは、黒田基樹氏(真田丸の時代考証担当)による北条早雲は1456年生まれという説を採用しているということですね。
この説だと北条早雲は享年66歳ということになり、驚くほど長命というわけでもありません。当時としては十分に生きたでしょうが、言うほど「中高年の星」というわけでもない。
やはり戦国ものらしく、新九郎が国盗りを始めるところからスタートするということか、と思いつつページをめくると、さにあらず。
このシーンから物語は時代を大きくさかのぼり、文正元年(1466年)にまで戻ります。新九郎はまだわずか11歳。この時点では応仁の乱すらまだ始まっていません。
最初に物語のキーマンとして登場するのが、時の将軍足利義政の側近であり、優柔不断な将軍に代わって幕政を切り回している伊勢貞親。この人物は新九郎の叔父であり、かなりの野心家でもあります。
伊勢貞親は三管領の家督争いに介入し、その力を弱めるという方針で将軍の権威を高めようとしていますが、将軍の弟である今出川殿(義視)の排除に失敗したため失脚することになってしまいます。今出川殿の後見人は応仁の乱の一方の当事者である細川勝元です。
最初に描かれるのがこの「文正の政変」です。これは応仁の乱の一年前の事件ですが、呉座勇一氏の『応仁の乱』がベストセラーになっているだけに、この本から室町時代へ感心を持った読者もこの漫画へ取り込めるはず。『応仁の乱』の大ヒット以来、かつてないくらいに日本人の関心が室町時代に向けられています。たとえば星界社からこのような新書が出るくらいに。
この本はタイトル通り、室町時代の全将軍と管領42人の列伝を500ページ以上にわたって綴ったものです。『応仁の乱』が売れる以前なら、このような新書が出ることはおよそ考えられなかったでしょう。室町時代は鎌倉時代と戦国時代に挟まれ、今ひとつイメージが不明瞭なため一般的にはあまり人気のない時代でしたが、『応仁の乱』の大ヒットがようやくこの状況に風穴を開けてくれました。
そんなわけで物語を文正元年から始めると決めたら、驚くほどパタパタと構想が出来上がって行き、「これは漫画ではあまり描かれたことのない時代だし、面白くなるぞ!」と密かに小鼻を膨らませていたら、資料本として買っていた呉座先生の『応仁の乱』が大ヒットして室町ブームが来ちゃった(笑)
— ゆうき まさみ (@masyuuki) January 31, 2018
一瞬うわああああっと思ったけれども、これはきっとシンクロニシティ、むしろ気軽にアクセスできる資料が増えるに違いないと思い直して、プロット作業とキャラクター作りを続けたのが去年1年。こういう漫画の作り方をしたことがなかったので、楽しい1年でもありました(^_^)
— ゆうき まさみ (@masyuuki) January 31, 2018
『新九郎、奔る!』が応仁の乱直前から物語をスタートさせたことにより、室町時代へ向いている人々の探究心をさらに深めてくれる作品にもなったといえます。ゆうきまさみ氏がツイートしている通り、あえてこの時代を選んだことと『応仁の乱』の大ヒットとがたまたま重なる格好になったようですが、なにか時代の風が室町の方へと吹いているような気がします。
文正の政変から応仁の乱に至る政治の流れはなかなかに複雑です。この漫画ではかなりわかりやすく描かれてはいるものの、私は一度通読しただけではよくわからない部分もありました。しかしそれだけに、『新九郎、奔る!』にはまだ知らない日本史の知識をインストールできる楽しみもあり、呉座氏の本を読んで日本中世史へ興味が向きかけていた私の好奇心にも大いに応えてくれました。
もうさまざまに書きつくされている戦国時代に比べ、室町時代にはまだ未発掘の鉱脈がたくさんあると思いますし、この『新九郎、奔る!』も間違いなくここを掘り進む一作といえます。この漫画は戦国時代に比べるとどうしても地味になりがちな時代を描いていますが、何度も読んで人間関係を把握すると、徐々に面白みが増してきます。この時代に英雄と呼べるような人物はいないし、伊勢貞親をはじめ多くの人物が権力欲や目先の利益にとりつかれている二級の人物ですが、それだけに時に垣間見える人の賢さや思いやりが貴重なものに思えてきます。たとえばが伊勢兵庫助みせてくれるこの態度のように。
これは政争に破れ父の政敵である今出川殿に仕えることになった伊勢八郎貞興(新九郎の兄)を貞親の長男、兵庫助が教え諭す場面です。こういうさまざまなものを飲み込んで生きていく大人、好きですね。いまのところヒーローの胸のすく活躍も派手な戦闘シーンもない漫画ですが、こういう苦さを受け入れつつ生きていく人の描写がなにか刺さる。本作が大人のための漫画である所以です。
ところで「戦国時代」というと、昔は「実力次第でのし上がれた時代、男の夢!」みたいに憧れる人も見かけられましたけど、あれやっぱり強力な後ろ盾なり、忠義の家臣団なりを持ってないと、無理だと思うんですよ〜(^_^;)
— ゆうき まさみ (@masyuuki) October 31, 2018
室町時代後期と言われてもピンとこないという人でも、北条早雲が歴史に登場する以前の人生を眺める、という視点でこの漫画を読めば、また興味も湧いてくるかもしれません。実際問題として、新九郎が堀越公方の御所へ討ち入る前に、そこに至る過程をきちんと描かなくてはストーリーが成り立ちません。上記のツイートのごとく、伊勢新九郎は裸一貫から成り上がった人物ではなく、室町幕府のエリート官僚というキャリアと、姉が今川義忠の側室という人脈とを持っていました。こうしたバックボーンがあってはじめて戦国大名としての雄飛が可能だったということを説明するためにも、やはり室町末期から新九郎の人生を描いていく必要があります。
今のところ、まだ少年である新九郎のキャラクターは「正直者」ということになっています。日本史リブレット 人シリーズの『北条早雲』によると、早雲は深根城を攻略するとき、地震の被災者を助けることで住民の支持を取り付けることに成功したと書かれています。これが正しいとすれば、早雲は災害も人心掌握のために利用する、かなり狡猾な一面があったということになります。
「正直者」の新九郎が海千山千の北条早雲になるまでに多くの経験を経ることになるわけですが、新九郎の周りにいる伊勢貞親や細川勝元のような策謀家のやり口からも、新九郎は政治とは何かを学んでいくことになるのかもしれません。今度の応仁の乱の展開とともに、新九郎の成長にも注目していきたいところです。