明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

伊東潤『江戸を造った男』感想:川村瑞賢の仕事はもっと知られるべき

 

江戸を造った男 (朝日文庫)

江戸を造った男 (朝日文庫)

 

 

見事に生きるとはどういうことか、その答えのひとつがここにある。

河村瑞賢。教科書などで一度は耳にしたことのある名前だ。
その業績は教科書的には「西廻り航路を整備し、大和川などの治水事業にも取り組む」と一行で書いてすませることもできるが、これらの事業の困難さはただごとではない。
何しろ河村七兵衛は一介の材木商であって、物流にも治水にも素人だからだ。

 

だが七兵衛には「人を動かす」という、他の商人にはない特技があった。
これらの大事業には人材を適材適所に配置し、多くの人の利害を調整していくことが必要になるが、こうした仕事には七兵衛は最適の人物だった。
実際、佐渡では気難しい船大工と造船の交渉に当たり、越後高田藩では用水路建設に反対する百姓と話し合いの場を設けている。
本書では若い頃口入屋をしていたことになっている七兵衛は人情の機微に通じているため、こうした難しい交渉事をスムーズに進めていくことができる。
七兵衛の交渉術は単に思い通りにことを進めるというだけではなく、そのベースには人に対する誠実さがある。冒頭で木曽の木を言い値で買い取っているところもそうだし、材木の販売の利益を明暦の大火で苦しむ人々の救済に当てるところなどもそうだ。こういうところで勝ち取った信頼こそが、商人にとっては大きな財産となる。
のちに大和川の治水事業に取り組んでいる頃に「川に金捨てる河村屋、代わりに川の泥すくう」と後に戯れ歌にまで歌われたというエピソードが、七兵衛の人間性を物語っている。私欲だけを追いかける者には大事は為せない。

 

脇役として出てくる新井白石の活躍も面白い。まだ無名な白石は明の治水技術書を翻訳し、その技術をもって七兵衛の治水事業に協力している。なんとなく堅苦しいイメージのある白石だが、若い頃はお家騒動に巻き込まれて浪人している苦労人でもある。それでも大志を抱き、七兵衛の事業を支える白石の姿は魅力的だ。後に「正徳の治」の時代を築く白石の統治姿勢は、あるいは七兵衛に影響を受けたものでもあっただろうか。

 

消費都市として膨張し続ける江戸を支えるには、河村瑞賢の作り上げた米の物流システムが必要不可欠だった。物流は裏方の仕事なので目立ちにくいが、このような人物の仕事はもっと知られてもいいのではないだろうか。幕府に命じられるままに懸命に働き続けた七兵衛が没したのは82歳。大往生といっていいだろう。80の歳には将軍綱吉にも面会し、武士にまで取り立てられた七兵衛の生涯は、悔いの残らないものであったに違いない。