明晰夢工房

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自己責任論を押し付けられる明治時代は本当にしんどい。松沢裕作『生きづらい明治社会 不安と競争の時代』

 

 これは間違いなく名著。岩波ジュニア新書には時折「これはどう見ても大人向けではないのか?」と思えるものがまぎれ込んでいますが、本書では司馬遼太郎作品などでは描かれない明治社会の暗部を「通俗道徳」をキーワードとしてみごとに活写しています。去年の年末に2018年に発売された新書ベスト5というエントリを書きましたが、去年これを読んでいたら確実にベスト1に推してましたね……

 

明治社会というのは、実は社会的弱者、貧困者にたいしてとても冷たい社会でした。その証拠に、1874年に制定された「恤救規則」が救済対象としているのは、働くことができず困窮していて頼れる人が誰もいない独身者に限られていました。いわゆるワーキングプアなどは救済対象としては考えられていなかったのです。仕事があれば、高齢者や障がい者も救済の対象とはなりません。

1890年にはこの恤救規則にかわる窮民救助法案が提出され、法案のなかでは恤救規則にあった「独身」の条件がなくなるなど救済対象を広げる動きもありましたが、この法案は却下されました。貧困に陥るのは自己責任だ、そもそも日本人は皆貧しいので税金で貧困者を助ける余裕はない、などの理由で反対されたためです。

 

どうして、明治社会はこのように弱者に冷たいのか。著者は第一の理由として、まず明治政府にはお金がない、ということを挙げます。地租改正が終わった段階でも明治政府には十分な財源がなく、明治政府は「カネのない政府」「小さな政府」であり続けました。政府からの公的な援助が期待できないのであれば、人々は結局自分の力でがんばって生きていくほかはありません。誰もが自己責任や自助努力を自らに課すしかなかったのです。

 

このような空気のなかで、「通俗道徳」が台頭してきます。通俗道徳とは歴史学で使われる用語で、「人が貧困に陥るのは、その人の努力が足りないからだ」という考え方のことです。つまりは自己責任論です。勤勉に働くことや倹約をすること、親孝行をすることをよしとする通俗道徳は江戸時代後半からひろがったものだといわれてます。これは、市場経済が発達し、生活が不安定になるなかで、自分を律するために生まれた思想だと考えられています。

 

勤勉に仕事に打ち込むこと、倹約をすることそれ自体はいいことには違いないし、だからこそ素朴な道徳としてこれを多くの人が信じます。しかし、「勤勉に働けば豊かになれる」と皆が思い込むと、「今貧しい人は努力が足りなかったのだ」ということになり、そんな怠け者を救済する必要などないのだ、という結論にならざるを得ないのです。このような個人の不幸はあくまでその個人のせいであって社会の問題ではない、という思想は支配者にとって都合のいい「通俗道徳のわな」にはまっているのだ、というのが著者の主張です。

 

通俗道徳をみんなが信じることによって、すべてが当人の努力の問題にされてしまいます。その結果、努力したのに貧困に陥ってしまう人たちに対して、人々は冷たい視線をむけるようになります。そればかりではありません。道徳的に正しいおこないをしていればかならず成功する、とみんなが信じているならば、反対に、失敗した人は努力をしなかった人である、ということになります。経済的な敗者は、道徳的な敗者にもなってしまい、「ダメ人間」であるという烙印を押されます。さらには、自分自身で「ああ自分はやっぱりダメ人間だったんだなあ」と思い込むことにもなります。 (p73)

 

明治社会を特徴づけるキーワードのひとつとして、「立身出世」があげられます。確かに明治社会は、身分で将来が決められていた江戸時代とは違い、建前上は貧しい家に生まれても上級の学校に進学し、エリートになることは可能でした(だからこそ「通俗道徳」が浸透しやすかったともいえます)。ですが、上級学校への進学の道はごく限られていて、受験競争は熾烈を極めるものでした。学費を稼ぐために農村から都会に出てきた若者は昼は新聞配達や人力車夫などをして働きますが、夜は疲れて勉強にならなかったり、低賃金しか得られないので学資が貯められないなどの事情があり、希望の学校に進学できる可能性はとても低かったのです。このような状況下では、「勤勉に努力すれば必ず成功できる」などとはとても言えたものではありません。それどころか、苦労しても成功できなかった若者たちは貧民窟へと流れていき、都市の下層社会の一部を形成することになるのです。

 

この「通俗道徳」は、女性もまた拘束します。明治時代に入ると「芸娼妓解放令」が出され、一切の人身売買は禁止されて遊女は遊女屋から「解放」されます。解放とはいっても女性を本来所属すべき家に戻すという内容の法令だったのでとうてい女性が自由になったとはいえないのですが、少なくともこれで表向きは女性がモノとして売買される、ということはなくなりました。

では明治時代の売春はどうなったかというと、女性にお金を貸し付けたうえで、「貸座敷」という店舗で売春を行わせ、その売り上げから借金を返済させるという「貸座敷業」という営業形態が出現することになります。すると建前上は「女性が自分の意志で契約し、売春をしている」とみなされるということになります。本当はほかに生きていく手段がなく、借金苦から売春をせざるを得なくなっていても、それも自己責任だということにされてしまうので、娼妓に向けられる世間の目は冷たいものでした。これもまた「通俗道徳のわな」です。

 

このように過酷な競争にさらされたうえ、「通俗道徳」でも非難されうる明治社会の民衆は、不満をため込んで暴発することもあります。そのひとつの表れが日比谷焼き討ち事件にはじまる「都市民衆騒擾」です。1905年の日比谷焼き討ち事件から1918年の米騒動にいたるまで、これらの都市暴動に参加し続けている人の多くは若い男性です。男性の職業は工場労働者、人力車夫や日雇い労働者などの都市社会の下層を占めるものが大半です。

「通俗道徳」の世界では、勤勉に働けば成功できるとされます。しかし、賃金が低く、働いてもろくに貯蓄などできない仕事についている人たには、経済的成功への道は閉ざされています。このため、これらの都市下層民たちの間には一種のカウンターカルチャーのようなものが生まれ、「通俗道徳」に逆らってみせたのだ、と著者は主張します。自分が貧しいのに貧しい人をあえて助ける、気に入らないことがあれば相手をぶん殴る、こうした風潮が都市暴動の背景にある、ということです。明治社会の基調をなす「通俗道徳」についていけないのなら、これに反抗するしかありません。

 

しかし、本書によればこのような「あえて」通俗道徳に逆らってみせる態度もまた、「通俗道徳のわな」にはまっているというのだから辛いものです。いくら逆らってみても社会の主流となる道徳が変わるわけでもなく、むしろ騒ぎを起こすことによって「ああやって暴れるしか能がないからあいつらは貧乏なんだ」とかえって通俗道徳を強化してしまうことにもなりかねません。都市暴動への参加者が若い男性ばかりなのは、年齢を重ねるとこの残酷な現実が見えてくるからなのです。

togetter.com

明治維新から150年が経ち、平成も終わろうとしている現代は、明治に比べるばはるかにチャンスが多く、努力が成功に結びつきやすい社会になっているように見えます。しかしそれだけに、「通俗道徳のわな」はむしろ明治時代よりも強く、多くの人を拘束しているのかもしれません。「努力すれば(自分のように)成功できると豪語する成功者は今でも多く、そのフォロワーもたくさん存在します。彼らの信じる「通俗道徳」が自分自身を夢へと駆動させているうちはよいとしても、これが敗者をさらに叩きのめし、本書で描かれる明治時代にも似た「生きづらい社会」を作る結果を招くことになりはしないか、ということを、時には考えてみる必要がありそうです。

 

100年以上前の明治時代を、簡単に現在と比較することはできません。しかし、私たちの周りをみわたしてみるならば、これと似ていることが多いことは事実です。たとえば、「努力すればなんでもできる」という偉い人。そんな人は現代社会にも確かにいます。書店に行けば、起業して富を築いたベンチャー企業経営者が書いたビジネス書が山積みです。『成功する人はなぜ○○しているのか』といったタイトルの本が書店のビジネス書本コーナーにはちらほらみかけられます。そのようなタイトルをみると、「○○している人はみんな成功しているのか?」と突っ込みを入れたくなりませんか。もしならないなら、自分も何らかのわなにはまっているのではないかと自問してみたほうがいいと思います。 (p99)