明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

人は何者かになる必要はない。

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文章のひとつひとつが詩的すぎるのでフィクションの可能性も高いですが、仮にここに書かれていることが本当だとして。

私がこういうものを読んだとき、いつも思い出す文章があります。それが、こちらのエントリで引用されている為末学さんの言葉です。

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モチベーションを出さなければいけないという人は、
成長しなければいけないと思っている。
なぜ成長しなければいけないかというと達成しなければいけないから。
なぜ達成したいかというと何者かになりたいから。
つまり根本で自分に対しての肯定感が薄く、
そんな人はやる気の無い自分を責め無理をしやすい

 

そもそも人は成長する必要も、何者かになる必要も、希望を持つ必要も無い。
そうしたい人がするだけでそうでなくても構わない。
やる気がでない事はあまり問題ではなく、
出ない自分を責める自分の認識が大体引っかかる。
そして自責型モチベーションの人はある日、ぷつっと切れたりする

今の自分が嫌いだから何者かになってやるんだというモチベーションは
うまくいけば激しい野心になるけれど、失敗すると自分を責め潰す。
どうにでもなれなんにでもなれどうせ自分にしかなれない
と手放した先に見えるものがある。
コントロールせず見守るのが正しい向き合い方だと僕は思う
 

 

これって本当にその通りだと私は思っていて、そもそも人間は何かすごいことをする必要も、やりたいことを見つける必要も、夢に向かって努力する必要もないんですよね。

じゃあどうして何者かにならなければ、なんて強迫観念じみた考えを持ってしまうのかというと、ひとつには世の中にそういうメッセージがあふれすぎているから。

今のあなたは本当のあなたではない、好きを貫けばそれが仕事になる、ブログを100記事書けば何かが変わる……などなど、なんか「キラキラしてる」人たちの発するメッセージは確かに人の心を揺さぶるし、つい影響されたくもなる。なにしろそのメッセージに従えば、その他大勢とは違う、何者かになれるかもしれないのだから。それらのメッセージに従った末にオンラインサロンに勧誘されたり、セミナーに連れていかれたり、何かを売りつけられる結果になるかもしれないけれど。

 

私は趣味で創作をする立場ですが、おそらく創作をしたいとう欲求の何割かは、この「何者かになりたい」という願望で構成されているはずです。だから、小説や漫画を読んでもらえないと多くの人は落ち込む。特別な人間になりたかったのに、全然注目してもらえなかったから。「この自分」の唯一無二の個性で勝負できるという思い込みがあるからこそ、多くの人は創作にはまるのです。

 

しかしその「特別であれ」「何者かにならなくてはいけない」というメッセージにあまり影響されない人もいます。どんな強烈なメッセージも、こちらが魅力を感じなければ影響力はない。では、なぜこれらのメッセージに惹かれてしまうのか。その一因として、先に引用した為末さんの文章の中にある「自己肯定感の低さ」があげられるかもしれません。何者かになることによって、今抱えているこの劣等感を良いセルフイメージで上書きすることができる。もっと自分に自信を持つことができる。そんな動機が、心の奥底に隠れているかもしれないのです。

 

だとすれば、本当に問題なのは「何者かになれない」ことではなく、「そんな自分が好きになれない」ことだ、ということになります。為末さんが言うとおり、特別な自分になれれば、確かに自分が好きになれるのかもしれません。ですが、自分を好きになるために特別な自分になるのは茨の道です。好きなことで生きていける人も、数百万PVを稼ぐブログを書ける人も、書いた作品を出版できる人も、一握りしかいない。そこを目指すのが悪いわけではないですが、そうなれなければ自分を好きになれない、ということであれば、困難な目標を達成するまで自分を嫌いでいなければいけないということになってしまいます。これはひどく苦しいことです。

 

そもそも「やりたいことが見つからない」と言うけれど、人間、やりたいことってすでにやっていることだったりするものなんですよね。上の増田さんは、「波風の立たない平穏な生活を送る」という「やりたいこと」が、もうできているのかもしれない。ただそれは世間的にはあまり評価されることではないので、「やりたいことが見つからない」と表現している可能性もあります。 毎日寝て暮らしたいとか、人のお金でご飯が食べたいとか、そういうのは「やりたいこと」とはみなされない。最近はこういうことを公言している有名人も出てきたので、将来的にはどうなるかわからないけれども。

 

世間的な評価は別として、私はかわりばえのしない毎日を過ごしたいとか、ただ静かに暮らしたいというのも「やりたいこと」として認められていいと思います。でもそれだけでは満たされないからこそ、上記のような文章が増田に投稿されたのかもしれない。だとすればまさにそれこそが「やりたいこと」ですよね。思いのたけを匿名の空間に吐き出し、それが何百ブックマークもされる、これはなかなか得難い経験です。もしこの話が本当ならブログをはじめてもいいかもしれないし、フィクションなら小説を書くのもいいかもしれません。これが書きたい、という原初的な衝動こそ、創作の原点です。そうした衝動に従って書かれた文章こそ、世間受けを気にし、何者かになりたいという欲求のために書かれたものより密度が濃く、人の心を強く動かすものとなり得ます。まさに、今回の増田さんの文章がそうであったように。世間の価値観に従うより、まずは自分の欲求を深堀りしてみる。案外そんなことの先に、自分を肯定する道が開けているような気もします。

saavedra.hatenablog.com