明晰夢工房

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伊東潤『幕末雄藩列伝』を読んで幕末維新の人物評価の難しさについて考えた

 

幕末雄藩列伝 (角川新書)

幕末雄藩列伝 (角川新書)

 

 直木賞作家・伊藤潤さんが幕末の十四の藩をとりあげ、その動向について解説している本。薩長土肥など勝ち組から会津庄内藩などの佐幕派、そして幕末唯一の「脱藩大名」を出した請西藩などマイナーな藩まで取り上げていて、史実を踏まえつつも語り口が物語的なため幕末初心者からマニアまで満足できる内容に仕上がっているのではないかと思います。藩ごとに幕末史の流れを追うことでこの時代の見通しがよくなるし、各藩の話題があちこちでリンクしているので雄藩同士の関係性もよくわかる、お得な一冊になっています。

 

取り上げられている十四の藩の話はそれぞれ面白かったですが、とりわけ印象に残ったのは彦根藩の話です。ご存知のとおり、彦根藩井伊直弼を出した徳川家譜代の名門ですが、桜田門外の変井伊直弼が討たれて以降の彦根藩の歴史については、この本ではじめて知りました。

譜代大名の中でも、井伊家に対する幕府の信頼の厚さは際立っています 。江戸時代を通じて十三人しかいない大老のうち、五人を井伊家が輩出しているのです。徳川四天王の他の三家である酒井家や榊原家、本多家が大老に就任する資格がなかったことを考えると、いかに井伊家が厚遇されていたかがよくわかります。

しかし、この井伊彦根藩は、藩の実力者岡本半介の言葉にしたがい、鳥羽・伏見の戦いでは官軍側についています。岡本は「南北朝時代には井伊道政が宗良親王を奉じて戦ったことがあるのだから、我らは本来勤皇なのだ」と語っていて、こんなところにまで南北朝時代の歴史が影響しているのか……と驚かされますが、これは官軍側につくための口実でしかなかったかもしれません。いずれにせよ、譜代中の譜代である井伊家が特に藩内の抵抗も受けることなく薩長についてしまったことは幕臣としてはほめられたものではなく、伊東さんも彦根藩についてはかなり強く批判しています。

彦根藩は名を捨て、「生き残る」という実を取った。それによって、多くの人々の命が救われたという一面はあるだろう。しかし、そうした卑怯な行為が、歴代藩主の顔に泥を塗ったことも事実なのだ。

指導者というのは、その時代を生きる人々が幸せであればよいというものではなく、過去に生きた人々の名誉も考えた上で決断を下さねばならない。つまり先人たちが懸命に守ってきたもの(この場合は徳川家への忠節や武士の誇り)を、ないがしろにするような判断を下してはならない。

 この辺りを読んでいると、人物の評価というものは本当に難しいものだな、と感じます。これ、武士道という観点からすれば、この評価はまったく正しいんですよね。徳川家から多大な恩を受けておきながら、なぜ幕府のために新政府軍と戦わないのかと。本書で伊東さんが書いている通り、もし彦根藩が官軍と戦っていれば、「井伊の赤備え」は幕末に武士の誇りを貫いた一例として長く記憶されることになっていたのかもしれない。それをせず、徳川家や会津藩の助命嘆願もしなかった藩主直憲に対して「腹を切るべきだった」と本書は実に厳しいのです。

 

私は、その時代を生きる人々が幸せならそれが一番いい、と思っている方です。犠牲者が少なくてすむのなら、それに越したことはない。そういう立場から考えるので、彦根藩の選択もそんなに悪くないんじゃないか、と思ってしまいます。確かに、そこには忠義を貫く正しさ、人としての美しさはありません。しかし、忠義を貫く道を選んだらどうなるのか。本書で紹介されている二本松藩は新政府軍に対し徹底抗戦を貫いため、二本松城下は灰燼に帰し、二本松少年隊は六十一名中十四名が戦死という結果になっています。会津藩の白虎隊や娘子隊を襲った悲劇については、いまさらここで語るまでもありません。

 

私は戦国無双2の伊達政宗直江兼続に向かって言った「お前の義につき合わされる兵も民も憐れよな」という台詞がとても好きです。史実とはなんの関係もない創作上の台詞ではありますが、義に殉ずるとか、忠義を貫くことをよしとする価値観にふれるたびに、いつもこの台詞を思い出します。信じる道を貫いて、それで自分ひとりが死ぬだけならいい。しかし、一見美しい忠義や士道を貫いた結果、結果として多くの人の命を奪ってしまうこともあります。

いえ、武士道だけが問題なわけではありません。本書で紹介されている水戸藩のように、尊王攘夷というイデオロギーが藩をふたつに割り、悲惨極まりない抗争を招いた例もあります。そういう史実を知るたびに、特定の価値観に殉ずるより、美しくなくても生き残るほうが大事ではないのか、と思ってしまいます。命こそが何よりも大事という現代の価値観で当時の人間を評価してはいけない、ということは理解していても、です。とはいえ、水戸学、そしてその始祖となる宋学イデオロギーが存在しなければ明治維新そのものが起きていないのも確かなのですが。

 

saavedra.hatenablog.com

 歴史というものを眺めていると、結局生き残るのはリアリストであって、人として美しい生き方をした人なんかではないのだろう、と思えてきます。というより、歴史を後から眺めた結果、負ける側に尽くしたものが美しく見えるということかもしれません。長州藩などは一時は尊王攘夷に染まってしまうように見えても、実は久坂玄瑞のように「攘夷などに成算はない」と冷静に考える人材も抱えています。だからこそ、大村益次郎の兵制改革も受け入れられる余地があったのでしょう。長崎に近く海外の脅威に敏感になりやすい肥前藩も、琉球を通じて密貿易を行っている薩摩藩もやはりリアリズムに裏打ちされている藩です。

しかし、中には庄内藩のように、新政府軍に徹底抗戦しつつ、ついに戊辰戦争では無敗に終わったという藩もまた存在します。本書では酒井玄番という庄内藩の軍事的天才の活躍について書いていますが、酒井は劣勢に立たされていたにもかかわらず新政府軍相手に善戦したため、楠木正成真田信繁にも並ぶ天才と絶賛されています。これは幕末史の奇跡といってもいいような事実ですが、多くの場合、敗者はこのような最後をむかえることはできません。だからこそ、本書で紹介されている全十四藩の中でも、この庄内藩の存在感は際立っています。こういうあまり知られていない史実を掘り起こしているところも、本書の魅力のひとつです。