明晰夢工房

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石川博品『先生とそのお布団』がいろいろと刺さりまくったので感想を書く

 

先生とそのお布団 (ガガガ文庫)
 

 泣けるだけの小説なら世の中にはいくらでもあるし、この『先生とそのお布団』も、ラストに泣ける部分はちゃんと用意されている。

でも、この作品をたんにお涙頂戴の物語としては紹介したくない。

これは、小説を書きたい人、書いている人、いや、およそ何かを「創る」ということに関心を持っている人、そんな人の心に深い爪痕を残す作品です。

このラノベがすごい!2019にもランクインしたこの作品にぜひ、触れてみてほしい。

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 人語を解す猫「先生」との軽妙なやり取りが魅力

この作品はラノベ作家・石川布団が主人公で、ラノベのジャンルとしては「ラノベ作家もの」ということになります。

デビュー作はお情けで3巻までは出してもらえたものの売り上げは悲惨で、新作もまったく話題にならない冴えないラノベ作家である布団の唯一の心の支えは主人公が「先生」と呼んでいる人語をしゃべる猫。

猫なのに文学やラノベ業界に精通している先生は布団に対しては基本辛辣ですが、ときに鋭い洞察で布団を教え導き、たまには温かい激励の言葉もくれる、メンターとも呼べる存在です。先生は布団の才能を高く評価しているわけではありませんが、布団の小説が何度打ち切りを食らっても小説をあきらめろとは決して言わず、最後は必ず「書け」と叱咤するのです。

売れない作家の世知辛い現実をそのままに描いているこの作品において、この先生とのやり取りが軽妙な味を付け加えてくれるので、雰囲気が重くなりすぎないよう絶妙なバランスが保たれています。なぜ先生がひたすらに書けというのか、その理由はラストでようやく明かされることになります。 

売れないラノベ作家のリアルな現実

作者の石川博品自身がラノベ作家なので、この『先生とそのお布団』で描かれるラノベ作家の生活や仕事の様子もなかなかにリアルです。締め切りとの戦いや校正の実態、イラストレーターとのやり取りなどの裏事情も読んでいると面白いですが、一番強調されているのは、売れない作家の抱える精神的なつらさです。

布団は現状を打開するため、『少女御中百合文書』『両国学園乙女場所』『平家さんと鬼界が島の怨霊』などなど、次々と売れなさそうな企画を考えてはさまざまなレーベルに持ち込み、何度もボツを食らいながらもときには書籍化までこぎつけるものの、やっぱりぜんぜん売れない。

まれに熱心なファンからファンレターが届くこともあり、新作が『いますごいラノベはこれだ!』にランクインするなど、一見明るい兆しがみえることがあっても、それでも作品が売れないという現状は何も変わらない。一部のラノベ好きには刺さるものを書ける実力は持っているだけに、それでも売れないという現実はよけいに布団の肩に重くのしかかります。

布団は一部のファンには評価されているので、同人誌を出すとけっこう売れたりもしています。しかしそれは商業作家としての成果ではありません。「成功」とよぶにはあまりにもささやかなそうした成果を、それでも心の糧として自分を支えていかなくてはならないラノベ作家の現実が、ここには描かれているのです。

売れない作家の直面している現実は、ほんとうに世知辛いんだな……と深く考え込んでしまいます。

作家になっても、人は何者かになれない

「デビューして本を何冊か出したくらいでは、人は何物にもなれない」というプロ作家の言葉を聞いたことがあります。一度も著書が売れたためしのない布団も、作家として盤石な基盤は築けておらず、そんな自分にいつも不安を抱えています。

対して、布団の周囲の人たちは年齢を重ねるごとに順調にキャリアを積み重ね、人生を次のステージへと進めていきます。たとえば本作のヒロインともいえる知人の作家・和泉美良。彼女は布団とは違って正真正銘の天才で、布団も先生も一目も二目も置く存在です。中学生で作家デビューし、布団より一回りも年下なのにラノベから一般文芸に進出し、やがて直木賞もとる彼女は、布団にはまぶしすぎる存在です。

そして、かつてラノベマシーンの異名をとり、今は立派な家庭人でもある尾崎クリムゾン。また、不妊治療を成功させ無事に父親になる布団の兄。彼らは結婚し、子供をもうけるという人生のステージを確実にクリアしていくのに、布団自身は作家としての活動すらままならない。もう30代後半という引き返せない年齢になり、今つきあっている女性がいるでもない。子供が残せないなら、作家としてはせめて納得のいく作品を世に出したいものなのに、いつも書きたいものを書ききれず打ち切りを食らうという布団の現実は一向に変わらない。なりたくて作家になったとはいえ、どうにも報われない布団が吐き出すこの言葉は、読む者の心に深く突き刺さります。

  思えば、17歳の彼は小説家になるためならちゃんとした人生を捨ててもいいとまで思いつめていた。だが現在の彼が知る作家──美良や尾崎はちゃんとした人生を送りつつ、作家としても成功している。

(結局はちからが足りなかったんだ。小説についても人生についても)

 彼は団地の建物を見あげた。ちゃんとした人生がちゃんと整列して夜空に煌々と輝いていた。

報われなくても書き続ける理由は何なのか

このように、この『先生とそのお布団』はラノベとして読むなら明らかに読者へのご褒美は足りていません。ラノベ作家として成功できるわけでもないし、イラストレーターへの淡い恋心が実るでもない。ここにあるのは、どうにか作家として現役であり続けられているというわずかな矜持と、ごく少数のファンからの声援だけです。作家としての生みの苦しみに比べたら、得られるものはとても少ない。布団の作家人生は、とうてい報われているとはいえないのです。そして先生もまた、布団の才能を高く買っているわけでもない。それでも先生が書け、と言い続ける理由とはなんなのか。

最後の章で、死を前にした先生は布団に向かって「お前はとうとい」と言います。なぜ、泡沫作家に過ぎない布団が「とうとい」のか。これはこの小説の核心部分であり、著者の石川博品の創作論でもあります。ネタバレになるのでこの後に続く先生の言葉は明かせませんが、ここはぜひ実際に読んで味わってみてほしいところ。これはおよそ「書く」という行為に多少なりとも思い入れを持っている人ならば、 強く心を揺さぶられるものだと思います。有名だろうが無名だろうが、才能があろうがなかろうが、すべてのものを書く人は尊い。そして、書くという行為は生きているからこそできる。その意味で、どんな偉大な過去の文豪よりも、今書いている人のほうが尊い。だから書かなくてはいけない。

 「何をしている……書け……オフトンよ、書け……」

「書けといわれても……もう書けません。僕は終わった人間だ」

「何が終わったものか……ほれ、本棚を見てみろ」

 いわれて彼はふりかえり、背後の本棚に目をやった。

「僕の好きな本ばかりです。名作揃いですよ」

「だが終わっている。漱石も鴎外もお前のようには書けない。確かに彼らは偉大だ。日本文学史におけるその地位は決して揺るがない。だが彼らとていまを生きてオフトンのように書くことはできないのだ。彼らは終わっている。かたやオフトンはこれからの作家だ。漱石でも鴎外でも、お前の好きな池上春太郎でも思いつかなかったものを、お前は書くのだ」

 この先生の言葉は温かくもあり、かつ残酷でもあります。大して能力を評価しているわけでもない布団に対して「作家であり続けろ」と言っているのだから。布団の才能では、今後も彼が作家として大きく飛躍する機会などないかもしれないのです。報われないのに書けというのは、ある意味呪いをかけているのにも等しい。

この先生の言葉は、作家志望者に対して著者が突き付けている言葉だともいえます。報われなくても書き続けるという覚悟を、お前たちは持てるのかと。そう言われてなお書くことを諦められない、ある種の業を背負った人間だけが、作家になれるということかもしれません。永遠に山頂に岩を運び続けるシジフォスの苦行にも似た理不尽な現実を前に、それでも書くという行為を「とうとい」と言えるのかどうか。そこに、書き続けられる人とそうでない人のひとつの分岐点があるような気もします。

 

saavedra.hatenablog.com

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