明晰夢工房

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セミの抜け殻を取られたので切腹!氏家幹人『江戸藩邸物語』が描く武士道の実態

 

江戸藩邸物語―戦場から街角へ (中公新書)

江戸藩邸物語―戦場から街角へ (中公新書)

 

 『応仁の乱』のヒット以降室町時代にスポットライトが当たっているためか、日本の中世人はかなりのバーサーカーであり、中世日本は修羅の国だったということが知られるようになってきています。しかし、江戸時代に入ったからといって急に日本人が平和的になるわけでもなく、江戸初期はまだまだ殺伐とした空気が満ちていたということを、この『江戸藩邸物語』は教えてくれます。

 

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江戸藩邸物語』では、冒頭から14歳の武士の少年が蝉の抜け殻を奪い合い、取られたことを恥じて切腹する、というすさまじいエピソードが紹介されています。これは正徳2年、1712年の話です。戦国時代もはるか遠くに去ったこの時代ですら、子供同士の他愛のないいさかいが自死の原因になっているのです。

これはむしろ、戦国時代が遠くなったからかえって観念のなかで死が美化されているということかもしれません。戦に出て戦うことのなくなった武士にとり、腹を切るということが最後の意地のよりどころになるのです。追腹を切る(殉死)行為も幕府が禁止するまで一種の熱病のように流行していて、まるで死ぬことに武士がアイデンティティを見出しているかのように思えてきます。

 

そして、武士は単に切腹にあこがれているだけではなく、ささいなことで人を斬ります。この本のなかでは、父の友人に寝坊をとがめられた息子が復讐のために斬りかかり、逆に返り討ちに合う、という事例が紹介されています。武士にとって面子は命よりはるかに重いのです。

なので、たとえ身内を殺されようが黙って引き下がってはいけません。別の事例では、不倫をした妻を斬った武士の家に遺体を引き取りに行った妻の一族の男が、復讐もせずに黙って帰ってしまったことを「柔弱」と目付に非難されています。『バンデッド』ではありませんが、どうやら武士道の本懐とは「ナメられたら殺す」であるようです。

 

このように、武士同士のトラブルはいつ斬り合いに発展するかわからないので、当然これを予防する知恵も必要とされることになります。この本の「路上の平和」の章では 、橋の上で刀の鞘同士が触れ合ったことがきっかけで斬り合いに発展する事例が紹介されています。こうならないためには、道を歩くのにも細心の注意を払わなくてはいけません。各藩ではこんな工夫をしています。

加賀藩の例は、道を歩くときは横に並んだりすることは御法度、いけないといい、弘前藩の例は、道がぬかるんだりして歩きにくいときは、人と争って歩きやすいほうを選んだりせず、あいている側を通るようにという、総じて他の通行人の妨げになるような歩き方は慎めというのである。(p60)

 これはただの礼儀作法などではなく、殺し合いに発展するのを防ぐための実践的な知恵だったのです。武士の面子と面子がぶつかり合う路上は、一触即発の事態が起きかねない危険地帯だったということが、この話を読むとわかります。守山藩などはトラブル防止を徹底するために、他家の者がどんな理不尽なことを言ってきても引き下がれ、とまで注意しています。意地や面子を守るために、ときに滑稽なまでの自己規制を強いなくてはならない、というところに、武士社会の特色のひとつを見出すことができます。

 

本書のテーマはこういう殺伐とした話だけでなく男色や老い、江戸の火事や草履取りなど多岐にわたっているのですが、やはりこうした武士の面子にかかわる話が一番インパクトがあったので紹介しました。他のテーマもそれぞれ興味深く、江戸の初期の武士社会について知るにはよい本だと思います。