明晰夢工房

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感想をもらっても返さない側の言い分

 

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私はまったく無名の人間だけれど、ウェブで小説めいたものを何年も書いていれば感想ももらうことはあるし、時にはほめてもらえることもある。でも、私はほめてくれた人が作者の場合、こちらもお礼に読みに行ってほめなければ、とは思わない。増田氏から見れば薄情な人間だろう。そう思われて構わないが、なぜ感想を返さない人がいるのか、その行動原理が理解できないだろうと思うので、ここでは私が感想をもらっても返さない理由について書いてみたい。(ちなみに、私は感想が欲しいと自分から言ったことはない)

 

まず、自分の基本原則として、人を束縛したくないし、束縛されたくもない、ということがある。私も人の小説にレビューを書くことがあるが、それは書きたくて書いているのだから、お礼などは一切求めていない。そのかわり、これだけ褒めてあげたんだからこっちも褒めてくれよ、☆を入れてあげたんだから☆をくれ、といった要望に応えることもない。もちろんあからさまにそんな要求をしてくる人はいないが、そんな姿勢が見え隠れする人に対してはそう接する、ということだ。

 

社交の手段としてレビューや感想を書く文化圏が存在するということは私も知っている。ただ、そういう文化圏のルールに皆が合わせてくれるとは限らない。そういう「褒め合い文化圏」に所属すると感想などはもらいやすくなるが、感想を書くことが義務になってしまう。私はそれを望まない。私が人を褒める時は本心からそうしているのだと思ってもらいたいからだ。こうした「褒め合い文化圏」の人からの好意的な感想は、人によってはむしろマイナスに思うこともある。褒めてもらえたと喜んでいたのに、相手はこっちも褒めてくれという取引を持ちかけていただけだった、と知ることがショックなのだ。

 

このため、ウェブ小説界では「作者からの評価は信用できない、読み専からの評価だけが本当の評価だ」という人もいる。作者からの評価は利害が絡むこともあるからだ。実際、なぜこの人は私の書いたものをこんなに不自然なほどに絶賛してくるのだろう?と思ってその人の作品を見に行くと、なんらかのコンテストに参加している最中だったりする。つまり私の票が欲しいのだ。

 

こういうことがあるので、わざわざ投稿サイトのプロフィールで「レビューに対するお返しは必要ありません」と明言する人さえいる。こう言わなければレビューの信頼性が損なわれてしまうからだ。社交のために感想を書いているのではない、と断っておかないと相手がそう考えるかもしれない。私は褒め合い文化圏の人間ではありません、と明言しておくことで、感想を送られた相手はそれを負担に感じることなく素直に受け取ることができる。

 

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私も書く側の人間なので、感想が欲しいしできることなら褒められたい。ただ、「こんなに大変な思いをして感想を書いているのに」という負担を感じてまで感想を書いてほしくはない。私が感想を書くのは単に好きでやっていることだし、自分が好きでやっていることはその時点で自己完結しているから、見返りは必要ない。だから感想を書く側の人にも好きなように書いたり書かなかったりしてほしいと思っている。これは社交を重んじる側の人からすれば冷たい考え方だろうが、ここには自由がある。自由と社交の楽しさはトレードオフだ。自由を重んじるほど人は孤独になる。しかし孤独な人でも、感想は欲しい。それなら読んだ人が進んで感想を書きたくなるような強い文章をこちらが書くしかない。感想と感想を交換するのではなく、作品自体を「おみやげ」としてさしだせるようになれれば、そこではじめて社交辞令ではない、本当の感想を受け取ることができるようになる。