明晰夢工房

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映画『グレイテストショーマン』と「バーナム効果」

 

 

あっという間の一時間40分だった。小人症の「親指トム」やひげの生えた女性で圧倒的な歌唱力を誇るレティ、顔中に毛の生えた「犬少年」、シャム双生児アルビノの双子など多彩な「フリークス」を率いて活躍したバーナムの栄光と挫折、そして復活の物語は観るものすべてを魅了し、虜にするだろう。ミュージカル映画の楽しさがここに凝縮されている。

 

政治的正しさというものが映画製作において無視できないものとなっている現代においては、この『グレイテスト・ショーマン』も実はけっこう危うい要素を抱えている。バーナムのしていることはマイノリティを見世物にし、金儲けの道具にしているのだとも取れるからだ。

実際、バーナムはこの映画の中でも沈んだ船を担保にして銀行から資金を借りるなど、かなり危ない橋を渡っている。一言でいえば山師だ。彼は「フリークス」たちには敬意をもって接しているものの、それは興行を成功させるためには団員の機嫌を取らなくてはいけないからではないかとも思える。少なくとも最初は、バーナムの頭のなかには多様性の尊重だとか、マイノリティの権利擁護などという考えはなかっただろう。

 

しかし、それがこの映画のよいところでもある。バーナムが善人とはいえない人物だからこそ、さまざまなマイノリティに居場所を与える彼のやり方も観る側は嫌味なく受け取れるし、そこに過剰な説教臭さを嗅ぎ取ることもない。バーナムが道徳など一切説いてこないからこ、この作品は純粋なエンターテイメントとして成立している。

そして、そんなバーナムの限界も作品中でははっきり示されている。それはオペラ歌手ジェニーの公演が成功した後、彼女の歌声に感動した「フリークス」たちが彼女に会うことをバーナムが拒絶するシーンだ。ここにおいて、バーナムは「上流」の世界とフリークスたちの間に一線を引いてしまっている。ここに反発したレティが仲間を率いて「This is me」を歌うシーンがこの映画の最大の見せ場のひとつとなっている。

 

 

バーナムが結局自分のために「地上最大のショー」をやっていることはジェニーや妻のチャリティにも見透かされていて、そのために彼女たちはバーナムのもとを去ってしまう。結局、彼のもとに残ったのは盟友のカーライルとフリークスたちだけだった。すべてを失ってから本当に大切なものの価値に気づく、というこのストーリーはベタすぎるくらいにベタなものなのだが、それだけにやはり普遍性があり、多くの人の心に響く。

誰にでも当てはまる性格記述を、さも自分のことをいっているように思えることを「バーナム効果」と呼ぶことはよく知られている。この映画が普遍的なエンターテイメントでありつつ、それでいて観る者個人に向けられたメッセージであるように思えるのは、フリークスならずとも人前に出すなと言われる個性を多くの人が持っているがゆえに、この稀代の興行師の名を冠した心理効果が働くせいかもしれない。