明晰夢工房

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磯田道史『武士の家計簿』はやはり傑作だった

 

 

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

 

 

磯田ファンのひとりとしてはとっくに読んでいなくてはいけない本のはずなのに、タイトルから想像される中身の地味さを敬遠して今まで手をつけられずにいた……のですが、やはりこれは傑作。

ベストセラーになり映画化も成功してかなり有名になった一冊ではあるものの、このタイトルのせいで読まずに損している層がいるのではないかと思い、もう十分に語られているこの本の魅力について今さら語ってみることにします。

 

この『武士の家計簿』で語られているのは、「御算用者」として加賀前田家に仕えた猪山家一族の生き方です。加賀藩の会計係の話といえば以下にも地味に思えますが、この猪山家が残した「武士の家計簿」を読み解くことで江戸時代の武士の生活実態がわかり、「身分費用」がいかに重い負担になっていたか、そしてそして明治維新後の武士の生き方までが明らかになるのです。「歴史の覗き窓」ともいうべきな貴重な古文書が、稀代の語り部である磯田道史氏の目に触れたのは僥倖というべきでしょう。

 

数学という武器で身分の差を超える 

面白いことに、加賀藩というのは数学がとても盛んな藩でした。藩祖の前田利家にも戦場に算盤を持って行ったという逸話があるくらい、計数に明るいという特徴があるのです。身分秩序にうるさい江戸時代でも、加賀藩なら算盤という特技を持っていれば出世することができます。猪山家は嫁がもらえない当主もいるほど貧しい家でしたが、算盤という特技があったため藩の経済官僚の働く「御算用場」に職を得ることができました。

 

興味深いのは、ここで西洋の場合と比較がなされていることです。ヨーロッパでも数学が軍隊や国家を管理するうえで重要性を増してくると、数字に長けたものが必要とされ、そこから身分制度が崩れてくるという歴史があります。軍隊でいえば地図と大砲には数学が必要とされるため、貴族の多かった将校も、砲兵将校や地図作成の幕僚に関しては例外だったというのです。それと同様に、数字に長けていた猪山家の武士たちもまた、算盤を武器にキャリアを積んでいくことになるのです。

 

武士の出費の大部分を占める「身分費用」 

しかし、出世したから豊かになれるのかというと、そういうものでもありません。武士の与えられる録は、職務内容とは関係なく決められているからです。猪山家では江戸詰を命じられ、生活費はかさむ一方なのに俸禄は70石のままなので、加賀に帰るころには多くの借金を抱えてしまいました。

 

この借金を整理するために一大決心をしたことが、猪山家の運命を好転させることになります。猪山家では二度と借金をしないようにするため、詳細な家計簿をつけ始めます。『武士の家計簿』はこの家計簿をもとにして書かれています。猪山家では資産の売却を徹底し、茶道具や食器、着物や書籍にいたるまで売却しています。猪山家は算盤の家なのに和算の本まで売り払うほどでしたが、この不退転の決意が評価され、借金の残りは無利子で十年で返還してよいことになりました。

 

これほど徹底的に猪山家では無駄な出費を省くことになりましたが、それでも減らすことのできない出費があります。それは交際費や武家らしい儀礼をおこなう費用、先祖を祀る費用などです。これらは武士であることに必然的に付きまとう出費なので、減らすことはできません。こうした儀礼や交際を怠れば、武士は武士ではいられなくなってしまうのです。こうした費用のことを磯田氏は「身分費用」と呼んでいます。

 

saavedra.hatenablog.com

 

江戸時代の初期には、蝉の抜け殻を取られたので少年が切腹したという話が伝えられているほど、武士というものは面子を気にします。会計官だった猪山家の人々は刀を振りまわすことなどなかったでしょうが、武士である以上斬り合いとは別の場面で面子を保たなくてはならなかったのです。

この「身分費用」が武士の窮乏化の大きな原因であったため、明治政府は大した抵抗なく武士の特権を廃止できたのではないか、と本書では推測されています。武士であることのデメリットが多いから武士の立場を手放せたのだ、という推論は初めて見ましたが、こういう視点から明治維新を眺めるのは新鮮です。

 

猪山家のみた明治維新

歳月は流れ、やがて加賀藩明治維新を経験することになります。ここからが本書のハイライトです。加賀藩は藩兵を京都に駐留させ政治力を持つことをもくろみ、猪山成之を京に派遣しますが、ここで成之の兵站の才能が開花しました。慶応3年の秋から冬にかけ、徹夜で炊き出しを続けた成之の能力は、やがて大村益次郎に見いだされることになります。

加賀藩は結局維新政府についたため、事務的な能力を持つ人材が不足していた新政府に必要とされ、成之は大村益次郎の軍務官になることとなりました。成之の能力は大村にも高く評価されましたが、不運にも大村は暗殺されてしまいました。結局、成之は海軍に就職し、会計官として働くことになります。維新後は公務員になりたくてもなれない武士がたくさんいましたが、成之は算盤という技術を持っていたために武士から官僚への転身に成功したのです。

 

没落する加賀藩の士族の姿

猪山家では詳細な家計簿のほかに、多くの書簡も残しています。成之が東京で就職して単身赴任となったため、父の直之が金沢の様子をくわしく書いて伝えているのです。直之の手紙をみると、加賀藩の士族がどのような運命をたどったのかを知ることができます。

明治4年になると、士族でも官職のないものは農業や工業・商業を営むことが許されています。明治5年に直之は金沢で相撲を見ていましたが、このとき、客の荷物を預かる雑役夫に士族が混じっているという、維新前なら絶対に見ることのなかった光景を目にしています。士族の多くは公務員になりたがっていましたがこれは狭き門で、多くの士族が生計の手段として「士族の商法」に手を染めなくてはいけなくなりました。実際、直之は路上でドジョウを焼いて売る士族の姿を目撃しています。士族にはプライドがあるため呉服屋を営んでいながら看板も出さないなど、士族の商法が失敗する様子まで直之はまのあたりにしています。

 

明治の世の中になり、女性の生き方も激変します。猪山家の親戚のなかにも、経済力を求めて富裕な町人と結婚する人が出てきました。斜陽士族と富裕な町人との結婚は当時の流行で、士族は経済力を、町人は武家の権威と教養を手に入れられるこの結婚は双方にメリットがありました。直之が筆まめな人であったため、こういう生々しい士族の没落の様子も詳しく知ることができるのです。 

 

視点を変えることで見えてくる歴史の面白さ

最近、大河ドラマのネタが尽きてきたといわれます。しかし、こういうものを読んでいると、切り取り方によってはいくらでも新鮮な歴史ドラマを描くことができるということに気づきます。問題は視聴者が受け入れるかどうかですが、『応仁の乱』が数十万部も売れる現在では、むしろ視聴者はこういう濃いネタをこそ望んでいるのかもしれません。本書は2003年に書かれていて磯田氏の著作のなかでは古いほうですが、語り口のわかりやすさ、着眼点の斬新さ、史料の読み解き方のおもしろさなど磯田氏のよいところが全部詰まっているので、今でも強くおすすめしたい一冊です。