明晰夢工房

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モテ男の弾除けに使われていた経験談と「人間関係の等価交換理論」


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悲しいけど、これって現実なのよね……と言いたくなってしまうのは、実は私も似たような経験をしているからでして。

似ている、と言っても私の場合はすごくモテる男友達に、しつこく言い寄ってくる女性の弾除けとして使われた、ということなんですが。

 

大学4年生のころの話なんですが、深夜に卒論を進めて一息ついていたころ、音楽サークルで知り合った他大学の女の子が急に私に電話をかけてきた、ということがあったのです。

それなりに言葉を交わしたこともある仲だし、彼女はわりと誰とでも打ち解けるタイプの人だったので電話がかかってきても不思議ではないのだけども、別に用があった様子でもなくとりとめもない話ばかりするので、いったい何があったんだ、とその時は不思議に思っていました。

知らない相手ではなくても真夜中に電話で話すほど親しいわけでもないし、彼女が実は以前から私と話したがっていて、急に勇気を奮い起こしたなんてこともまず考えられない。暇だからといって誰彼構わず電話して回るような人でもないので、どうも彼女の意図が読めなかったのですが、あとでそのモテ男から聞いた話では、彼女からあまりにしょっちゅう電話がかかってくるので鬱陶しく思っていたのだそうで。

 

そこで、彼は「今ちょっと忙しいし、あいつ(私)とでも話してみれば?」とつい言ってしまったんだそうです。彼は申し訳なさそうに言っていたし、私も別に彼女のことが嫌いというわけでもないので、俺のことを利用しやがって!という気持は特にありませんでした。ただ、ちょっとがっかりはしましたね。もしかしたら、オレにも深夜に突然あの子の話相手に選ばれるくらいの魅力があるんだろうか?なんて気持ちも少しはあったので、仕掛けがわかってしまうとそういうことか……と思ってしまう。と同時に、モテる男というのはすごいものだな、と妙に感心したりもしたのです。魅力があれば指示ひとつで大して興味もない男に電話までさせてしまうのかと。彼女の方では、彼の言うことを聞けば少しは好感度も稼げると思っていたかもしれません。残念ながら、彼の方では彼女の気持ちを受け入れる気はまったくなかったのですが。

 

この後も彼女の彼に対する攻勢は衰えることがなく、誘いを断り続けるのも疲れたので、彼の頼みで私も込みで三人で演劇を見に行った、 なんてこともあります。このことを別の友人に話したら、「そんなに都合よく使われてやる必要はないんじゃないか」と言われたこともあります。確かにこの場面だけ切り取ってみれば、いかにも私が都合よく使われているだけに見えますが、実は私の方でも結構彼に対してひどい扱いをしてしまったこともあるし、これくらいは引き受けてもいいか、と思っていたのです。当時を振り返ってみると、二人の感情の収支バランスはそれなりにとれていたような気がするし、男同士という気安さもあり、この人間関係は決定的な破綻をきたすことはありませんでした。

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でも、これが男女間の関係になると、事情はもっと複雑になると思うんですよね。上の増田氏の味わった状況、おそらく感情の収支バランスはとれていなかっただろうと思います。鴻上尚志さんの言葉を借りると、増田氏とその女性がお互いに渡していた「おみやげ」の価値が釣りあっていない。増田氏のいうことを信じるなら、容姿のいい彼女は「この私と一緒にいられるんだから嬉しいだろう」くらいの気持ちがあったかもしれないし、この自分と遊びに行けること自体がおみやげだ、と思っていたかもしれません。でも増田氏からすればそのおみやげでは十分ではなく、もっと深い仲になりたい。それはむずかしいとは知っていても、男性なら多くの人はあわよくばという気持くらいは持っているものです。

 

ナンパの弾除け役として同行するということと、遊び相手として一緒にいることの価値は果たしてイコールなのか。傍からどう見えるか、はここでは一切関係ありません。あくまで当人同士が互いに渡し合っているおみやげが等価である、と思っていないと関係は長続きしないはずです。惚れた方が立場が弱い、これは仕方がありません。だからつい、惚れた弱みを持つ側は相手からのおみやげが少なくても我慢してしまう。そして、惚れられた側もその弱みを知りつつ利用することもある。これではやはりおみやげを少ししか受け取れない側は苦しいし、どうせ利用するつもりなら最初から明言してくれ、と言いたくなるのもわかります。でも、そう言ってしまったらもう終わりですよね。あくまで表向きは相手を利用するつもりなんてない、と見せなければ、相手はもう一緒になんていてくれないだろうから。

 

結局、普通の人間関係ではどんなおみやげを相手に求めるかをなかなか口にはできないし、口にした時点で関係性が破綻しかねないのです。であれば、時にはお金で「レンタル何もしない人」を借りるのがいちばん後腐れがなくていい、ということになってしまいそうです。金銭とただ一緒にいるだけ、という等価交換がここでは成立しているのだから、トラブルの発生しようがない。互いの求めるものを手探りで当てようとするとなんらかのハラスメントが発生しかねない世の中では、これくらいのドライな関係性にこそ需要が出てきます。この状況は、人の気持ちこそは最大限に尊重されなくてはならない、という社会が求めた「優しさ」の必然的な帰結なのかもしれません。