明晰夢工房

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【感想】吉岡大祐『ヒマラヤに学校をつくる カネなしコネなしの僕と、見捨てられた子どもたちの挑戦』

 

滞在費が安いから、という理由で行き先をアメリカからネパールに変更した鍼灸師が現地の子供たちの窮状を知り、学校をつくるまでの話。

大きなことをする人には最初から高い志を持つ人と、目の前のことをひとつづつこなしているうちに気がつくと大きなことを成し遂げるタイプの人がいるが、著者は後者だ。

ただ外国で暮らしたい、という夢をかなえるためにこの地へ飛んだ著者が見た光景は、日本で暮らしている身には到底想像もできないものだ。

 

この本で繰り返し訴えられるのは、カースト差別と女性差別のすさまじさだ。

つまり、カーストが低くかつ女性であることは、社会の理不尽を一身に引き受けることを意味する。

ダリットという不可触選賤民の女性は、水場に近づくだけで石を投げられ、給料は地面に放り投げられる。村で家畜が死ねば魔女のせいだということにされるが、魔女にされるのはほとんどはダリットの女性で、村人から暴行を受け、汚物を頭からかけられて村から出ていけと言われたりする。

著者はこのような女性にも鍼治療を行っていたが、ダリットの女性は生れてはじめて人から優しくされたと涙したという。

 

多くの人が貧しく、魔女狩りが横行するほど迷信が支配する社会では、適切な医療など受けられる人はほとんどいない。何しろ下痢ですら悪魔のしわざだと考えられているのだ。

この社会では医療を施すことは対処療法でしかないと知った著者は、やがて教育支援の仕事をはじめることになるのだが、ここで語られるネパールの子供たちの現状がまたひどい。

5歳から16歳の子供の5人に一人が児童労働をしていると報告されるネパールでは、貧しい農村では口減らしのため子供を首都カトマンズへ働きに出す。カトマンズにはストリートチルドレンも多く、物乞いをさせるため元締めから手や足を切られたり、目を潰されたりする子供までいる。

このような現状を知ったからこそ、著者は早くこの子供たちに教育機会を与えなくてはならないと考えたのだ。

 

多くの困難を乗り越え学校をつくることはできても、その先にはまた差別という壁が立ちはだかる。 著者は村の女性の自立のため職業訓練所を設立しているが、せっかく技能を身につけても「女が家の仕事をせず、集まってお茶を飲んで遊んでいる」と陰口を叩かれる。著者も村の女を集めて金儲けをしていると噂される。結局、女性向けの職業訓練は内職型のプログラムに変更することを余儀なくされた。

 

職業訓練をはじめて10年が経ち、今では少しづつ卒業生がここで学んだ技術で自立できる卒業生も出てきているが、もともと女性たちが職業訓練で学んだサリーの刺繍つけは今も中断されたままだ。やはり社会は一朝一夕には変わらない。これほどの苦労を背負い込んでまでネパールで著者が活動を続けるのは、目の前で苦労している人がいるのを放っておけない、というシンプルな気持ちかがあるからだ。フットワークが軽い人だけにここでは書かなかった失敗も多く経験しているのだが、こういう活動に身を投じるには、ある種の「前向きな無鉄砲さ」のようなものは必要かもしれない。そしてそれは、現代の日本人からは失われつつあるものでもある。