明晰夢工房

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ドラクエ11で子供のころの記憶が書き換わった

 

 

70時間弱かけてドラゴンクエスト11の真エンドに到達しました。

作品単体で見ても完成度は高いですが、これ、なにが素晴らしいって、ドラクエシリーズすべての歴史がこの作品に詰まってるんですよね。

昔懐かしいBGMがあちこちで流れるし、ロウの「死んでしまうとはなにごとじゃ」のような過去作へのオマージュにも事欠かない。

何より最終戦で○○で○○を○○する場面(ネタバレ故書けない)は感無量だ。ドラクエ3愛する人ならこれを見ただけで即精神がゾーン状態に突入してしまうことでしょう。

真エンドのエンディングの演出も感慨深い。これはこのシリーズを愛し続けて来た人たちへの最大のファンサービスだ。少年時代からの思い出が一気に押し寄せてきて、鼻の奥がつんとしてくる。そうだ、俺たちはドラクエとともに成長し、年を重ねてきたのだ……

 

いやちょっと待った。

ここには明らかな記憶の捏造があります。

実は私、子供のころ、親にファミコンを禁止されていたのです。

親の教育方針で自室にゲーム機を置いてはいけないことになり、代わりにパソコンなら置いていいということになりました。

プログラミングの勉強でもしてくれればためになると思ったんでしょう。まあ、結局そのPCがゲーム機と化してしまいましたが……

 

というわけで、同世代の友達がファミコンドラクエを遊んでいるあいだ、私はPCでファルコム作品などを遊んでいました。

イースやサークやハイドライドが私の青春時代を彩ったゲームであって、ドラクエについては友達の家でプレイ画面を見た程度。

ジャンプの記事やゲーム雑誌である程度ゲームの内容については知っていたんでしょうが、実をいうとこの作品にそこまで思い入れがあるわけでもないのです。

 

にもかかわらず、私はなぜか、ずっとドラクエとともに育ったような気になっている。

あたかもシリーズの草創期から、その歴史の現場にいたかのような気分になっていたのです。

そんな事実はどこにもないにもかかわらず。

 

ドラクエを遊んでいた少年時代なんてなかったのに、そういう時代があったかのように感じることができたのは、ドラクエの過去作を大人になってからひととおりプレイしていたせいなのかもしれません。

ファミコンを禁止されていた私は、ドラクエに夢中になったという「世代の共通体験」を欠いたまま大人になっています。

別にドラクエができないから友達ができないとか、仲間外れにされるなんてことはありませんが、それでも自分の少年時代には微妙な欠落がある、と感じていた私は、大人になってからスーパーファミコンを買い、これでリメイク版のドラクエ1~3を遊んでみたのです。

 

大人になってプレイしてみたドラクエは、確かに楽しかったものの、そこにはリアルタイムでこのシリーズが盛り上がっていった頃の空気感、同時代感が欠けていました。

たとえて言えば、自分だけ参加できなかった学園祭のビデオを、一人部屋で再生しているような感じ。

やはり作品の価値というのは盛り上がっているときにそれを味わってこそだよなあ、などと思ったことをよく覚えています。

小金を持った大人が昔あこがれていたクラスメイトとつきあえるようになったとしても、それでさびしい青春時代を補完できたことにはならないのと同じように、やはり人生には「その時」にしかできないことがある。

 

……と思っていたものの、こうして過去作を一度はプレイしてみたことで、私は少年時代の記憶を部分的に修正していたのかもしれません。

修正したというよりは、欠落をある程度埋められたというか。

おうじょのあいってなんだ?パープルオーブってどこで使うの?という、友達の話を聞くたびに浮かんできた疑問を大人になってから解消できたことで、 あるべき少年時代をずっと遅れて追体験できたような気分になっていたのも確かです。

 

やがて年月が流れ、ドラゴンクエスト11を終えてみて、私の中ではすっかり「ドラクエに夢中になった少年時代」が存在することになっていたことに気づきました。

考えてみると、現時点からみればドラクエ1~3をプレイしていた大学生活最後の年も大昔だし、大雑把にいえば「少年時代」のくくりに入っているのかもしれません。

月日が経てば、それくらい、人の記憶というものは曖昧になっていくのです。

そういうタイミングで、ドラクエ11の過去作の総決算ともいうべき演出に立ち会ったおかげで、もうすっかり過去が書き換えられてしまったような感覚になりました。

そうだ、この感動を味わうために今までこのシリーズにつきあい続けてきたんだ、と思ってしまう。

ほんとうはドラクエ4、5はリメイク版しかプレイしたことがなくて、9、10はいまだに遊んだことすらないというのに。

 

結局、人間は現在の都合のために過去の記憶を呼び出すんでしょうね。

ドラクエ11を最大限楽しむには、「過去作品を時系列順にプレイしてきた」というストーリーが必要。

だからこそ、ほんとうは最初に体験したドラクエが6だったにもかかわらず、初代からずっとリアルタイムで体験してきたかのように感じていたのだと思います。

だとすれば、どうにかして今このときを充実させることができれば、過去が今ひとつ冴えないものだったとしても、今にふさわしく過去が「変わって」しまうのだろうか。

この作品のサブタイトルが「過ぎ去りし時を求めて」だったのはただの偶然でしょうが、それにしても過ぎ去った過去を今からでも「改変」することができるかもしれない、という可能性があるということは、実に興味深いものだと思われるのです。