明晰夢工房

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【感想】澤村伊智短編集『ひとんち』で知る、ホラーにおける小説の強み

 

ひとんち 澤村伊智短編集

ひとんち 澤村伊智短編集

 

 
『ぼぎわんが、来る』で有名な澤村伊智のホラー短編集。8つの作品はどれも味わいが違っててそれぞれに楽しめるが、やはり表題の『ひとんち』が白眉か。『死神』『じぶんち』も良い。全体として強い恐怖を呼び起こすほどのものではないが、じわじわと日常が怪異に侵食され、平穏が壊されていく感覚を味わえる作品が多い。

 

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先日『氷と炎の歌』を読んでいて、ファンタジー作品には小説独自の強みがあると書いたが、この作品集を読んでいてホラーにも同様のことがいえるのではないか、と感じた。
ホラーもファンタジー同様非現実的な一面があるのだが、とくに視覚的に恐ろしさを感じさせる場面がある作品の場合、下手にビジュアル化されると一気に気分が萎えてしまうところがある。ホラー作品は、ビジュアルが安っぽいと急に現実に引きもどされてしまうのだ。だから、むしろ文章でビジュアルを読者の好きに想像させる方がいい、ということがある。

(正直、NHKでドラマ化された『荒神』のつちみかど様のCGには少々がっかりしてしまった)


この作品集における『ひとんち』なども、ビジュアル的な怖さを持っている。あまり詳しく語るとネタバレになってしまうが、『ひとんち』は各家庭がそれぞれ持っている常識の「ずれ」をテーマとした作品だ。
主人公はかつての友人の香織の家を訪れ、友達と味覚音痴の元恋人のカレーの作り方、夫の家庭での奇習などについて語り合ううち、しだいに香織の言葉にひどい違和感を抱くようになっていく。彼女は「ワンちゃん」を飼っているはずなのに犬小屋を知らないし、購入などしないというし、言っていることが何もかもおかしい。

 

香織が飼っているらしい「ワンちゃん」とは一体なんなのか?その答えらしきものがこの作品中では示されているが、そのビジュアルは最後まで曖昧だ。言葉だけで表現されているそれは、ひどくおぞましいものらしいのだが、細部まではっきり描写されているわけではない。

しかし表現がシンプルであるからこそ、読者は言葉の断片から想像力を駆使し、頭の中にグロテスクな像を結ぶ。はっきり視覚化されないからこその怖さが、ここにはあるのだ。


そして、この短編では最後に主人公にとっての「常識」が示され、香織の家から離れて一安心した読者をさらに打ちのめす。これも我々の想像する「それ」からずれているのか、そうでないのか、答えははっきりしない。ビジュアルが示されていないからだ。でもおそらくこれは「そういうこと」なのだろう、と思わせるような書き方でもある。文章はただ「匂わせる」ことができるからこそ、読者の恐怖をいっそう煽ることもできる。ホラー小説というのはこういうことができるのだな、と感心させられた。


『死神』は現代版の不幸の手紙のような話だが、このストーリーにおいて不幸を引き起こすカギとなる生き物がいる。その生き物の姿は、作品中でこのように描写されている。

 

金魚でもグッピーでもない。瞬きする何かがいるからだ。魚ではないが胸鰭があり、肌色をした大きな何かが。それはおそらく、ただの生き物ではない。

 

この生き物についての描写はこれだけだが、詳しくないだけに、かえってこの文章は読者の内奥に恐怖を呼び起こす。少ない情報から、読者はできるだけおぞましい何かの姿を想像するだろう。

ここだけ読んでもあまり怖いとは感じられないかもしれないが、ここに至るまで多くの惨劇が主人公の周囲に積みあがっているので、これだけの表現でもかえって不気味さが増す。表現とは饒舌ならいいというものではない。

こういうものは、下手にビジュアル化しない方がいい。こんなところにも、視覚情報の少ない小説ならではの強みがある。


最後の短編『じぶんち』は視覚で怖がらせる類の話ではないが、今立っている地面がぐらりと揺らいでいくような不安感に襲われる秀作だ。どういうロジックでこういうことが起きているのか、それがまったくわからないところに恐ろしさがある。自分の家でありながら、何もかもが決定的にずれてしまった世界を描くこの作品は、『ひとんち』とはちがう「ずれ」の怖さがある。

こういうものを読んでいると、昨日が今日へ、今日が明日へと連続していくあたりまえの日々が、ひどくありがたいもののように感じられる。安全な場所から深淵を覗き、すぐまた安全な場所に帰って来られるのもまたホラーの醍醐味といえるだろうか。