明晰夢工房

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縄文文化は『文明』ではない──山田康弘(監修)『縄文時代の不思議と謎』

 

縄文時代の不思議と謎 (じっぴコンパクト新書)

縄文時代の不思議と謎 (じっぴコンパクト新書)

 

 

もう20年以上前のことになるが、三内丸山遺跡を見に行った時の衝撃はいまだに忘れられない。300人規模の人数を収容できる建物があり、巨大な櫓のある集落の姿は「原始的」な縄文時代のイメージを塗りかえるに十分だった。

 

現在でも縄文文化に対する新知見はつぎつぎと積みあげられており、貝塚は宗教施設だったとか、すでに階層が存在していただとか、思っていた以上に進んでいる縄文社会の姿もおぼろげながら見えてくるようになった。

このような縄文文化を、世界の四大文明に匹敵する「縄文文明」として評価する意見もある。三内丸山遺跡の威容を目にした身としては、ついこの意見を支持したくなる。だが、本書によれば、縄文文化は「文明」ではあり得ないそうだ。

 

文明の定義のひとつに、都市の存在がある。都市とは、交易・流通など経済の発達の結果、特定の場所に多くの人口が集中している場所のことを指すが、その一方で都市は食料の生産がおこなわれず、周辺から持ち込まれることも、都市の定義のひとつである。

したがって、都市が成立するには、まず食糧生産社会であることが前提となるのである。一時、三内丸山遺跡などを縄文都市として、縄文文明の存在を主張した説も出されたが、これは定義の面からも成立しない。

 

というわけで、食糧生産とは切り離された「都市」が縄文時代の遺跡として発掘されない限りは、縄文文化は文明とはいえないことになる。これは監修者の山田康弘氏の見解だと思うが、縄文時代の専門家の見方はおおむねこのあたりに落ち着くだろう。

 

近年、町おこしの一環として、縄文文化を自然と共生していた平和な文化として世界に発信するという動きがある。これに対し、そんな「縄文ファンタジー」を世界にまき散らすな、と鼻息荒く批判する向きもある。縄文時代にだって争いはあった、自然破壊だってしていただろう、というわけだ。

この種のやりとりは、極端から極端へと振れる傾向があるのであまりつき合う気になれない。では縄文社会の実相はどうだろうか。本書を読む限り、縄文時代はもちろんユートピアではないが、それでもおおむね自然とは共生できていたようだ。というより、開発力が低く自然の脅威を防ぐすべを持たない縄文人は、自然とともに生きるしかなかったのっだ。人口が極端に少ないから結果として自然破壊が少なかったともいえるが、そのことを必要以上に低く評価することもないだろう。

 

縄文社会も人間社会である以上、争いの痕跡は当然存在する。しかし、明らかに戦争をしていた弥生時代にくらべれば相対的に平和だったとはいえる。また、病人が介護されていた可能性も指摘されている。本書では小児まひと思われる女性の遺体が入江貝塚から発見されたことが書かれているが、これは障害を持つ人が成人まで生きることができたことを示している。大人になるまで彼女の世話をした人たちがいたということである。縄文社会は、直接生産の役に立たない人を養う余力があったかもしれないということだ。そのような人が埋葬されているのは、興味深い事実である。

埋葬といえば、縄文時代は犬も埋葬されている。特に寒い地域の縄文人にとり、脂肪を摂取するのにイノシシは欠かせないが、犬はイノシシ狩りに必要な存在だ。縄文人は犬を獣というより、仲間と考えていたかもしれない。

 

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こうした一面を取り上げてみるだけでも、縄文人には思った以上に文化的な一面がある。ほかにも製塩技術を持ち、魚の干物や燻製を作っていたこと、海を渡って朝鮮半島の人々とも交易をおこなっていたことなど、縄文文化の「高度な」一面が本書では紹介されている。縄文文化は文明と呼べるレベルのものではないにせよ、世界的に見ても十分ユニークで評価に値する文化だ。2019年には北海道と北東北の縄文遺跡群が世界遺産へ推薦される運びとなったが、これらの遺跡は世界遺産になってもおかしくないだけの価値はある。

 

ただ、縄文文化には、クリを200年間以上の長期にわたって栽培して、大型の建築物を建てたり、ウルシを栽培して多くの漆工芸品を製作したり、堅果類を加工して食糧としたりといった、高度な植物利用技術が存在した。また、多種多様な土器や石器を製作する技術ももっていた。ときには環状列石や周溝墓、大型建物のように大規模な土木工事を行う技術をもっていた。 大型の集落や大規模な墓地、土偶や祭祀遺跡などからうかがい知ることのできる社会構造と精神文化は非常に複雑なものだ。これらの点をみても、縄文文化は世界中の新石器時代文化には、けっしてひけをとらないものといえる。それほど、縄文文化は世界史的にみて、ユニークな文化なのである。

そもそも文化や文明を大きさや長さでくらべて、優劣をつけることじたいにあまり意味はない。人類の来し方にはさまざまな道があったわけで、五大文明などと謳わなくても、縄文時代にすぐれた独自の文化と生活スタイルがあったというだけで十分なことだろう。

(p149)